海外のニュースより

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「ビッグ・スリーに覆い被さる黒い影」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年01月14日 | アメリカ社会
ワシントン発:プリンストン大学の卒業生で、ブッシュ大統領によって最高裁の裁判官に指名されたサミュエル・アリトはが、まもなく上院議員による儀式的な質問を済ませると、ハーバード大学とイェール大学とプリンストン大学の法学部ではシャンパンが流れるだろう。サミュエル・アリトの指名に対する500名の法律家の抗議の手紙を巡る政治的喧嘩の果てに、最高裁判所における「ビッグ・スリー」の殆ど完全な優勢が祝われるだろう。彼らは9人の終身裁判官のうち8人を生み出した。そのうちの6人は、ハーバード大学の卒業生である。
 裁判官は、アイルランド人とイタリア人とユダヤ人と黒人に対する敬意を表明することでアメリカのエリート大学における業績主義と人種的解放を証明するものである。ここ数十年の間、歴代のアメリカ大統領はそうしてきた。ここ108年間のうち47年間は、ホワイト・ハウスは、「ビッグ・スリー」の卒業生によって占領されてきた。2004年の大統領選を争ったのは、イェール大学の卒業生であるブッシュとケリーだった。ハーバードとイェールとプリンストンはいつもそう望んできたのだと思われるかもしれない。つまり、才能と知的な輝きが階級や社会経済的特権に勝って来たのだと。それを信じることは、アメリカの自己創造の神話とアメリカの体面のために多くの業績を残したアイビー・リーグの同窓会のネットワークに生命を吹き込む。結局、これを信じることによって、巨大な影響とハーバード、イェール、プリンストンの何十億ドルもの寄付金は維持されてきた。この信念に抵触する者は、強力な反対に直面する。昨年12月にジェローム・カラベルが書いた『選ばれし者達』(The Chosen.)が出版されたとき、「ビッグ・スリー」の事務室での反応は、面白がっているようではなかった。ハーバード、イェール、プリンストンにおける入学許可と不合格との隠れた歴史についてのカリフォルニア大学バークレー校の社会学者であるカラベルの研究は、このテーマについての他の書物よりももっと包括的に、これらの大学が、60年代の終わりまで、学生の選抜に当ってどれほど人種主義的反ユダヤ主義的に振舞ったかを証明した。大学の前衛は、残りのアメリカよりも悪くはなかったが、公正ではなかった。「ビッグ・スリー」が彼らの過去に追いつかれるなら、事態は教訓的で苦痛に満ちている。詳細に研究された711ページ(そのうち150ページは注である)の中で、カラベルが証明したことは、ジェントルマンの仲間であるために、1920年代以降、東欧系のユダヤ人の子弟を退けようとした「白人でアングロサクソン系でプロテスタント」(WASP)に属する人たちの試みである。大学での成績は、要求されず、「性格」、「指導力」、「円満な人物」が要求された。由緒ある家族の出であること、良いスポーツマンであること、学生クラブの冗談が分かること、これが大事であった。勉強することは、何か女々しいこと、人の楽しみをぶち壊す人であった。1907年に出た『イェール年鑑』は、歴史のどの時代よりもより多くのジェントルマンを生み出し、学者は余り生み出さなかったことを自慢している。
 アイビー・リーグの大学が採用の際優れたスポーツマンと卒業生達の子弟を優先するということはアメリカ人にとっては、今日まであたりまえのことであった。残りの座席の間では、女性やアジア系の学生で成績が同等であれば入試で差別されないように細かく注意されている。フランス、日本、ドイツあるいは中国から来た学生にとって、なぜボールを持って走ることや両親がどこの大学で学んだかが最高の声望のある大学への合格にとって決定的であるのかを理解するのは難しい。だが、それは、外国人として腹を立てることを必ずしも意味しない。現行の「反差別法」の枠内で、アメリカの私立大学は、彼らが取りたい人を優先することを許されている。マーカム・グラッドウエルは、『ニューヨーカー』に寄稿した『選ばれた者達』の書評で、「エリート大学は、贅沢なトレードマークと同様、審美的な経験であり、彼らはこの経験を維持するために何がなされなければならないかを恒に心にとめている」と述べている。1900年から1930年までにイェール大学に入学したユダヤ系の学生のうち、ただの一人も有名な学生団には選ばれなかった。「ビッグ・スリー」の学長や入試課は、進歩的であって反動的ではなかった。彼らはユダヤ人やカトリック教徒や、黒人の業績に敬意を表した。だが、彼らは、そういう人々の数が増えることを恐れた。ユダヤ人の割合は、ハーバードでは、15%に、イェールでは、10%に抑えられた。ユダヤ系学生の割合を制限しなかったニューヨークのコロンビア大学は、ユダヤ系学生が増加するとともに声望を失った。
 「ビッグ・スリー」は、ユダヤ人問題を解決しなかった。WASP達の腹の立つことに、ユダヤ系学生を思いとどまらせることはできなかった。ハーバード大学の入試課のウイルバー・ベンダーは、「ユダヤ人は、女性的で柔弱で情緒的で情緒不安定である。私が欲しいのは、男性的な熱血漢だ」と述べた。合格者の条件を変えることに最も粘り強く反対してきたのは同窓会である。それは、1960年代に、女性に対する入学許可や、少数派の割合を決定することに反対した。
[訳者の感想]アイビー・リーグの大学では、どのような学生を合格させるかが入試の点数だけで決まる日本の大学とは大分事情が違うことがわかりました。ここでも人種や宗教の差別が影を落としているようです。アリト氏の任命に法律家達が反対した理由の一つは、彼が学生時代に「大学に女性とユダヤ人を増やすな」をモットーとする極右の学生団体に所属していた疑いがあるためのようです。
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1 コメント

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Unknown (kts)
2006-01-15 12:12:56
エリートであるはずの官僚が自分のことしか考えていない今の日本の現状を考えると、育ちや思想などの背景を考慮することが一概に悪いとも言えません。

同窓会が苦労して得た自分たちの名誉(それがフェアなものかは知りませんがw)を守りたいと考えるのもそれなりに自然なんだろうと思います。
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