海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「アルジャジーラ・テレビ、ヘクマチアル元首相の談話を放映」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2006年05月05日 | アフガン問題
「ヒズビ・イスラム政党」の創設者で指導者であるカルブ・アルディン・ヘクマチアルは、自分がオサマ・ビン・ラディンの側に立って戦う準備があり、パレスチナ、イラク、アフガニスタンにおける引き続く紛争は米国が干渉しているせいだと非難した。
 この反体制派の人物は、米国はイスラム諸国に侵入し、直接に支配するかあるいは彼らの代理人を押しつけることによって、この3ヶ国で戦争を始めたと述べた。
 アルジャジーラは、過去数年間政治的に沈黙していたヘクマチアルの声を初めて放送した。彼の演説で、ヘクマチアルは、1980年にアフガンニスタンに侵攻したソビエト軍と戦って駆逐した人たちに対して感謝を述べた。
「われわれはすべてのアラブ人戦士、特にオサマ・ビン・ラディンとアイマン・アル・ザワヒリと他の指導者に感謝する。彼らはロシアに対する聖戦を助け、偉大な犠牲を払った。」
イランとパキスタンに触れて、ヘクマチアルは、「諸君が知っているように、われわれの悪意ある隣人達は、われわれに対して米国を助け、モスクワも同様に米国を助けている。十字軍がわれわれの国を占領して以来、4年と6ヶ月が過ぎた。われわれの隣人達は米国を助け、モスクワは米国の側に就いている。」
アルジャジーラ・テレビは、モハメド・ハタミ元イラン大統領の顧問であるモハメド・シャリアティにインタービューを行い、このビデオについてコメントを求めた。
シャリアティは次のように言った。「事実、イランはアフガニスタン侵略を現実として扱ったが、パキスタンは、米軍の武器を国境を越えて輸送するのを援助した。その当時、ヘクマチアルは、パキスタンと繋がりがあり、アフガンの内戦に火をつけたと思う。私の見解では、ハタミ政権は現実を取り扱い、サウディ・アラビアのジッダで開かれたイスラム会議でこの問題を議論した。
「ハタミとビン・ラディンとは、異なる路線を取っている。彼らの一人は、暴力をイスラムを規定する手段だと考えているが、他方、ハタミは、暴力を否定し、特に文明の間の対話に敬意を払っている。イランは、ロシアの植民地主義やアメリカ支配に対してはアフガニスタンを援助し、道路建設にも手を貸した。」
 1980年代にヘクマチアルは、他のアフガン軍閥と協力して、ソビエトをアフガンから追い出した。1996年に、タリバンが権力を握った時、首都カブールを脱出するまで、彼は首相であった。現在、彼は彼の敵であったタリバンと連合しており、米軍は彼を追いかけている。
 彼はアフガンとパキスタンの国境地帯に潜んでいると考えられている。
 彼はイランへの亡命を認められたが、テヘランがカルザイ大統領を支持することに転じたとき、反政府軍としてアフガンに戻った。米国は現在、アフガニスタンに2万人の軍を派遣している。
[訳者の感想]「ウィキベディア」で調べたところでは、ヘクマチアルは、ソ連軍と戦ったときは、パキスタンとアメリカのCIAから何十億ドルもの支援を得たそうです。1992年から1996年までのカブールを巡る北部同盟とタリバン軍との攻防戦ではカブールの市街の70%を破壊しました。タリバンにカブールから追い出されされた後、イランに亡命しましたが、アメリカによるアフガン侵攻が始まると、アフガンに戻り、カルザイ政権が出来ると、2002年3月、ヘクマチアルはカルザイ大統領支持を表明。元国王の帰国も支持したようです。しかし、新政権で重要な位置が与えられないことが分かると、カルザイ大統領の暗殺を謀り、以後、ビン・ラディンと同盟を結んだようです。現在、アフガニスタンとパキスタンとの国境地帯に潜伏していると見られています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする