海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「我が中国」と題する『オブザーバー』紙の9月18日の記事。

2005年09月23日 | 中国の政治・経済・社会
記事の筆者シンランは、文化大革命の間に中国で育ったジャーナリスト。
上海では、ビルは非常に速く建てられるので、私はコンピューター・ゲームの中にいるような気持ちになる。私は一年に二度中国を訪れるが、そのたびに、私は上海が劇的に変化しているのが分かる。最後に訪れた際、私が本当に中国人だったのかと疑った。
私は、1958年に北京に生まれた。文化大革命のとき、私の両親は、投獄され、私は孤児院に入れられた。私が中国国内を旅行し、見たものにショックを受けたのは、私が80年代にジャーナリストになったときだった。
今日でさえ、国民の78%は農民である。四月に、私はその生活が限られた食糧と彼らが栽培する野菜に依存している人々に会うために、北京の北へ車を走らせた。都市と田舎の生活には大きな開きがある。
中国の5千年の歴史で、私たちは、外国に開かれたことが二度ある。最初は、1840年のアヘン戦争のときで、次は、1980年代である。私がジャーナリストとして、旅行したとき、人々は西欧的なものを疑うことなく尊敬した。トップの知事でさえ外交官をマクドナルドに招待した。昨年彼らは紫禁城内にスターバックスを開いた。彼らはそれが西欧文化と中国文化の完全な統合だと考えたのだ。
20年のあいだにあなたは街路を西欧の金やアイデアで変えることができる。だが、あなたは、人々の心や歴史や文化をそう素早く変えることはできない。2003年に初めて許可がなくても、自由な旅行が認められた。それ以前には許可なく旅行すると逮捕されたのだ。多くの人々は、隣村で何が起こっているかさえ知らなかった。今や、彼らは自分の目で教育される。それは私たちが以前には持っていなかった自由である。
西欧は、数百年間自由と民主主義をもっていた。中国はもう二世代必要とする。しかし、私はすべては非常に肯定的な方向に進みつつあると考える。
原注:シン・ランは、『中国の善良な女』の著者である。彼女の最新作『空の埋葬』は、ヴィンテージ社から出版された。貧困の中で育っている中国の子供のための募金活動は、
www.motherbiridge.orgに見いだされる。
[訳者の感想]中国の民間人の意見はなかなか聞けないので、貴重な記事だと思い、訳しました。中国が開かれたのが二度だけだというのは過小評価だろうと思います。
コメント (2)
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