海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「軽蔑による殺人」と題するクルーグマンの論説。

2005年09月06日 | アメリカの政治・経済・社会
カトリーナ以来、毎日、連邦政府の役人の致命的な愚かしさの証拠がもたらされている。私は州政府や地方の役人を無罪放免する気はないが、連邦政府の役人は、違いをもたらしたであろう資源に対するアクセスを持っていたのに、それを動員しなかったのだ。
ここに多数の例の一つがある。『シカゴ・トリビューン』紙によれば、「U.S.Sバターン病院」は、手術室6つ、数百のベッド、毎日10万ガロンの新鮮な水を作り出す能力があるのに、先週月曜日以来、一人の患者も迎えず、無為に過ごしていた。
専門家が言うには、自然災害後、最初の72時間が即座の行為が多くの命を救うことができる重要な窓である。けれども、カトリーナ後の行動は、即座どころではなかった。『ニューズ・ウイーク』誌の報道では、「奇妙な麻痺」がブッシュ行政府の中に起こり、彼らは何千にもの人たちが死にかけているのに、行動方針について議論していた。
一体、何が麻痺を引き起こしたのか?ブッシュ大統領は、確かに彼のテストに落第した。9.11以後、この国が彼から必要としたのは、演説だった。今度は、必要なのは行動だった。そして彼は行動しようとしなかったのだ。
だが、連邦政府の役人の致命的な愚かさは、ブッシュ氏の個人的不適切の結果ではなかった。それは公共の善のために政府を使うという考えそのものに対するイデオロギー的な敵意の結果だったのだ。25年間も、右派は、公共部門を軽蔑し、政府は常に問題であって、問題の解決ではないとわれわれに言い続けた。われわれが政府による解決を必要としたときに、それがすぐに間に合わなかったということに、われわれはなぜ驚かなければならないのか?
空港の安全を連邦政府の管理下に置くことを巡る闘争を誰か覚えているだろうか。9.11の後でも、行政府と議会の保守派は、空港の保安を民間会社の手に置いたままにしようとしたのだ。彼らは国民の安全にある致命的な穴をふさぐことよりも、連邦職員が増えることを心配したのだ。
勿論、空港の保安を私的にしておくことは、哲学に関わる問題ではなかった。それは私的利益を擁護する試みであった。政府に関するイデオロギー上のシニシズムは、政府の支出をあなたの友人に報いる一つの方法だと扱う用意に変形する。結局、政府は何も良いことをするとは信じないならば、なぜそう信じてはいけないのか?
この問いは、われわれを「連邦緊急時管理局」(FEMA)に連れて行く。前のコラムで、私は、ブッシュ行政府がFEMAの有効性を壊したかどうかを尋ねた。今、われわれはその答えを知っている。
FEMAの遺憾とする状態についての最近のニュースの分析は、管理局の無力化を国内安全省
編入したことのせいにした。後者の主たる関心は、テロリズムであって、自然災害ではない。だが、問題になっている変更は、事態の重要な部分ではない。
第一に、FEMAの弱体化は、ブッシュ大統領が職務に就くや否や始まった。災害に対応して管理局を指揮する専門家を選ぶ代わりに、ブッシュ氏は、政治上の側近であるジョセフ・アルボウを任命した。アルボウ氏は、素早くFEMAの緊急準備プログラムのいくつかを削除し始めた。
あなた方は、行政府が9.11以後、緊急準備に対する敵意を修正すると期待したかもしれない。結局、危機管理は、自然災害を追求する場合も、テロリスト攻撃の後においても重要である。多くの人々が気づいたように、カトリーナに対する対応の失敗が示しているのは、われわれが今日、四年前よりもテロリスト攻撃に対処する用意ができていないということである。
しかし、アルボウの後任として、マイケル・ブラウンが任命されたことで、FEMAの降格は続いている。
ブラウン氏は、アルボウと大学の寮の同室者であったという以外、はっきりした資格がない。だが、ブラウン氏は、FEMAの次官となった。『ボストン・ヘラルド』紙によれば、ホースショウを見ていたために、前職を逐われた。
アルボウが辞任したとき、ブラウンは、管理局の長官になった。この任命の粗末な縁故主義は、行政府が管理局に対して感じた軽蔑を示している。人は管理局のスタッフのモラルに対する影響を想像することができる。
この軽蔑は、善をなす力としての政府の役割に対する敵意を反映している。メキシコ湾岸に住むアメリカ人は、いま、あの敵意の結果を刈り取ったのだ。
行政府は、いつも9.11を善対悪についての教訓であると扱おうとしている。だが、災害には、それが悪人によって引き起こされたのではないとしても、対処しなければならない。今、われわれはなぜわれわれが役に立つ政府を必要としているか、なぜ献身的な公僕が尊敬に値するかについてもう一つの致命的な教訓を持っているのだ。われわれは聞く気はあるのだろうか?
[訳者のコメント]ハリケーン・カトリーナの災害に対するアメリカ政府の対策がどう見ても後手後手である理由が、「連邦緊急時管理局」を軽蔑したためであるとクルーグマンは指摘しています。二つ前に翻訳した論説と趣旨は同じですが、語調はさらに厳しくなっています。
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