海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ファルージャの現状」『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の5月19日の記事。

2005年05月20日 | イラク問題
「まだ当分平和ではない」と題するビルギット・スヴェンソン記者の記事です。
ファルージャは、バグダッドからほんの80キロしか離れていないが、底へ通じる道路は空路よりももっと危険である。「ファルージャ」という地名は、スンニー派の反政府軍とイラクの治安部隊とアメリカ兵の間の激戦を意味している。
目撃者の報告によれば、当時、何日間も埋葬されない死体が道路上に散乱していた。反政府軍の武器と弾薬庫として使用されていたモスクには兵士が突入した。町から逃げ出さなかった者は、ファルージャで必要なものを手に入れなければならなかった。
司令官マーク・グルガナスは、部隊はスンニー派三角地帯での戦闘に対して準備ができていなかった。上層部の戦略立案者は、2003年3月のイラク侵攻作戦以前に、バグダッドでの市街戦を予想し、イスラエルとオパレスチナで特殊部隊を訓練させていた。「しかし、ファルージャでの戦闘が始まった時には、特殊部隊は帰国していた。
現在、ファルージャに駐屯しているアメリカ軍は、3月以来初めてイラクにやってきた連中である。「黎明」と名付けられた大攻勢は、昨年11月から12月に、別の部隊によって行われた。アメリカ軍は、2004年の初めにこの町を反乱軍に明け渡した後、ファルージャを奪回した。
グルガナスと彼の率いる4000名の兵隊にとっては、今のスローガンは、「再建」である。ファルージャで再建さるべきものは、数多い。かって40万人の市民がいたこの町は、大部分破壊された。通りはことごとく破壊され、僅かに石とがらくたの山がここにかっては家屋が建っていたことを示している。壊されなかったモスクは一つもない。
ファルージャでは、確かに三ヶ月前よりは、事態は落ち着いているが、まだ、本当に落ち着いた状態ではない。ファルージャの近くにあるアル・カマでは、数日前から再び戦闘が始まっている。ライアン・パウエル軍曹は、ハムヴィー型の装甲車三台からなる部隊を指揮している。12名の兵士は、この装甲車で宿営地からファルージャ市内に来る。道路脇の爆発や、手榴弾、小型ロケット、迫撃砲弾はしょっちゅう打ち込まれる。
テロリスト達は、とっくにべつの手段を使っているが、自動車爆弾に対する不安は大きい。自爆暗殺者は、バグダッドでは徒歩で国民軍の事務所の中に侵入し、そこで点火ベルトに点火する。「あれはひどい遊びだよ」とグルガナス司令官は言う。イラク人の治安軍がテロリストの捜査に成功したと報告すると、数日後に警察や国民軍が激しい攻撃の目標になる。アメリカ陸軍がいくつかの町を解放したと報告すると、その数日後に必ず爆弾が爆発する。
アメリカ空軍の最高司令官であるリチャード・マイヤーズの言うところでは、イラクでは一日に60か70の攻撃が行われる。この数は一年前と殆ど同じである。過去数ヶ月の間に、イラク治安部隊は、27大隊から80大隊まで増員された。5万5千人の警察官が雇われ、訓練された。他方、2004年6月以来、2千人の国民軍兵士と警察官が殺された。
ガマル・ハミドは、苦情を言うために、ファルージャの作戦センターへやってきた。彼の会社は、この町の通りや広場にある瓦礫を片づけてくれという委託を受けた。現在彼の労働者は、反乱軍に脅かされている。何年も前から、彼は瓦礫の後かたづけをやっている。「ファルージャは、比較的安全だ」とこのイラク人は言う。彼は彼の家族を再び町へ呼び戻した。
アメリカ軍は、町の周りに安全地帯を設定し、六カ所にコントロール地点を作ったから、現在誰も誰何されずに町へ入ることはできない。ガマルは、外国から来たテロリスト達は立ち去ったと思っている。彼はシリア語を話すアラブ人達が家屋を接収し、住民を追い出したと言う。そういうわけで、彼はアメリカ軍の「黎明」作戦には賛成である。「そうでなければ、われわれはあのテロリスト達を追い出すことはできなかっただろう。」
ファルージャ市民がみなガマルと同じ意見だとは言えない。その数日前、ユーフラテス河を渡る橋のたもとで、ガマルの甥が殴られ、携帯電話を奪われた。数人の黒い布で顔を隠し、武装した男達が、彼の使用人達を誘拐あるいは殺人で脅かした。ガマルは、アメリカ軍に保護してくれるか、自分たちも武装する可能性を要求している。彼によれば、ファルージャでは武器の携帯は、禁じられている。
ファルージャ市は、次第に活気を取り戻しつつある。家具職人のアイヤッドは、彼の家族を連れて町に戻ってきた。
至る所で、住民が窓や扉を修繕しているのが見られる。避難した人の70%が帰ってきたと推定されている。いくつかの商店も開かれた。大抵の店は、食料品を売っている。広場では、果物や野菜が売られている。しかし、店屋の大部分はまだ閉じられている。(後半は省略した。)
(訳者の感想)死の町と言われたファルージャも少し活気を取り戻したようです。一番困っているのは、開かれている病院が少なくて、病人を診てもらえないことだそうです。
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