海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「連邦議会議長、歴史の補習授業をする」と題するドイツの週刊誌『シュピーゲル』の記事。

2005年05月01日 | 中国の政治・経済・社会
「ドイツからの地位の高い賓客は、引っ張り込まれなかった。北京訪問中、ティールゼ連邦議会議長は、軍事大学の講演中日本と中国の歴史を巡る対立に言及した。ドイツ社会党の副党首でもあるティールゼは、日本政府に対する批判を差し控え、聴衆に過去の清算についての教訓を垂れた。」
北京発:それは国民の幹部学校である。北京の夏の宮殿の近くで、同士達は政治路線へと導かれる。同士達とは、解放軍の将軍達や官庁や軍や警察や国営企業で国家のイデオロギーを広めることを要求されている人たちである。
 党中央大学の大講堂で、4月28日、1919年に起こった「五・四運動」の86周年記念が日程に上っている。1919年のこの日に行われた反日デモは、今日まで、中国の政治的文化的革新を代表している。討論はなく、講演に次ぐ講演が行われる。ある女性の講演者は、中国共産党がそのメンバーに課せられた高い道徳的要求について報告した。
 隣り合った近代的な広間では、一人の外国人の来賓挨拶があった。それはドイツ連邦議会議長ヴォルフガング・ティールゼで、彼は「公正な世界秩序のための基本的価値」について語った。約80名の聴衆は、30才から40才までの中国共産党幹部で、大抵はネクタイを締め、背広を着ていた。彼らは201号講義室からこちらの講義室へ流れ込んできた。
 ドイツ人記者団との話し合いは、望ましくないと幹部の一人は断言した。「ロリジン」社の飲料水が机の上に一列に置かれていた。
 ティールゼは連邦議会議長としてではなく、「ドイツ社会党」副党首として、登壇した。彼は「現代文明は、ますます傷つきやすくなっている」と述べ、国際連合を強化する必要性について話した。彼は「一極的な世界秩序」に反対であると主張し、「自由と人権、法と正義、連帯と協力とは、政治における指導的価値である」主張した。
 これらすべては、西欧の政治家のあらゆる主張を知ることを許されている共産党幹部にとってはそれほど驚くべきことではない。だが、聴衆が中国と日本との難しい関係に言及すると、突然興味深くなった。最近数週間の間にいくつかの反日デモが行われ、最後に先週は警察によってあらゆる抗議が禁じられたからである。
 「ドイツ人とは違って、日本人は1930年代40年代に中国及びアジア全体で行った残虐行為を正直に清算せず、従って、国連安全保障理事会における常任理事国の席を得る資格がない」と一人の質問者は、主張した。
 もっともティールゼ議長は、日本に対する批判に同意することによって、幹部達の気に入られることはしなかった。「他人の過去を咎める者は、自分に対して自分自身の過去を突きつける覚悟がなければならない」とティールゼは明言した。「中国が自分の歴史との関わりにおいて説得力のある前例を示すならば、中国は道徳的に優れた立場に立つだろう。なぜならば、過去は他人の過去だけでなく、自分の国にも過去はあるからだ。」
 彼が具体的に何を意味しているのか、彼は礼儀上言わなかった。だが、幹部達は恐らく次のように理解しただろう。中国共産党の指導者であった毛沢東は、1950年から70年までの間に中国国民に限りない苦しみをもたらした。この中国史の暗黒の部分は、黙秘されるか、ねじ曲げられるか、美化された。例えば、「大躍進」として知られる強制的な工業化は、恐らく3千万人の市民の命を奪った。この悲劇や流血の「文化大革命」や「天安門の虐殺」は、中国の教科書では取り上げられないテーマである。
 ドイツから来た賓客は、歴史と偏見について語るために、日本人と同じテーブルに着くように要求した。「もし、あなた方がそう望むなら、より大きな者、より強い者、より権力のある者のほうが招待を申し出、
何かを企て、他方を恥じ入らせるべきだろう」とティールゼは述べた。同志達は、あっけにとられ、それからためらいがちに拍手をした。
[訳者の注]『シュピーゲル』誌の特派員アンドレアス・ローレンツ記者の書いた記事です。町村外務大臣も、先日の外相会談の際、中国の李肇星外相に日中共同で歴史の研究をすることを提案しましたが、中国が簡単に受け入れるとは思えません。
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