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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「胡錦涛主席よ、ありがとう」と題する『ガーディアン』紙の論説。

2006年04月23日 | 国際政治
 米国の貿易赤字は、一年間に6,860億ドル(80兆9,480億円)に達した。特に中国に対する赤字が大きい。最近のコメントにおいて、トーマス・ポーリーは、アメリカの経済成長の弱さの原因が貿易赤字にあるとし、米国の長期金利を低く維持することによる住宅バブルの責任が中国にあるとした。この見解に対応して、ブッシュ大統領は、胡錦涛主席に何かをしてくれと懇願した。有り難いことに、胡錦涛主席は、何ら特別の行動を約束しなかった。
 中国が、彼らが昨年われわれに売った商品のうち2千億ドル分(23兆6千億円)を売ることを決定しなかったと仮定しよう。直ちにインフレがエスカレートするだろうし、何十億ドルものドルは、もはや売ってもらえない商品を探すことになる。われわれの連邦準備銀行は、利率を上げることで対応するだろう。議会は、支出を削減し、税金を増やすだろう。
 われわれには商品がなくなり、中国にはお金が入らなくなる。誰かが得するだろうか?誰も得しない。
 あるいは、中国が石油や小麦や機械類や良い生活のために手持ちのドルの蓄積を消費しようと決心したと仮定しよう。その場合、インフレは、中国が購入しようと決めたものが何であれ、世界の物価の上昇に火をつけるだろう。アメリカ人の生活水準は下がるだろう。われわれの政治家達は、素早く反応するだろう。そして事態をもっと悪くするだろう。
 結論は明白である。商品を売り、われわれが彼らのために準備した債券を蓄積することで、中国はアメリカに巨大な恩恵を与えているのだ。これは中国にとっては高くついている。もっとも中国は彼らなりの十分な理由があって、そうしているのだが。つまり、それは中国人がかれらの進行中の都市化を管理するのに役立っている。
 だが、この結果、最後にクラッシュすることにならないか?うん、なるかもしれない。いつか、太陽は爆発し、宇宙は冷たい暗黒物質の重さに堪えかねて崩壊するだろう。だが、それが先延ばしできるとすれば、黙示録を思い出させる理由はない。中国が商品を売り、外貨を増やしている限りは、どうして順応したり楽しんだりしてはいけないのか?相互に同意している限り、彼らがわれわれに与えることを止めさせたり、われわれから受け取るのを止めさせるものは何もないのだ。
 特に多くのレトリックとは異なり、中国がわれわれに貸与できる額には限度がない。なぜなら、実際には彼らはわれわれにぜんぜん貸与なんかしていないのだから。例えば、米国の消費者がクレジット・カードで携帯電話を買った場合、彼が国内の銀行から資金を借りている。クレジット会社は、中国のモトローラに支払われるドルを供給している。すると、中国はそのドルを米国財務省の債券と交換する。それは純粋にアメリカのポートフォリオの移動に過ぎない。「外国資本」は、無関係である。
 結果は次の通りである。われわれはわれわれの貿易赤字に資金を提供するために、外国の貯金に依存しているのではない。理論上の問題ではなく、会計上の問題としては、国内の信用が、外国の貯金に資金を提供している。外国部門は、米国消費者の持続的な購買能力に依存しているから、われわれが外国のために維持している金融資産(financial assets)と引き替えに、米国の消費者は、彼らがわれわれに売りたいと思っている商品を買い続けることができるのだ。中国が投入している唯一の資源は、労働と携帯電話を組み立てている部品である。
 ある日、彼らが1兆ドルでなくて、2兆ドルの米国債券を持つとすると、そのことはわれわれ両国の間の関係を現在とは変えるだろうか。ある日、中国が輸入する以上に輸出することを止めることを選ぶとすると、その理由は、中国が国内でその商品を必要とするからであって、中国が必要以上に米国債券を持っているからではない。
 国家の安全保障についてはどうだろうか?戦略的領域で失われた能力についていらいらしている人たちは、簡単な解決を見逃している。なぜ、米国政府は、国内の設備を維持するために必要な割増金を支払って、戦略的商品を国内の生産者から買うことができないのか?できるはずだ。このほうが、国内の製造業(例えば自動車製造業)によって使用されているより安い製品(例えば鉄鋼)を閉め出すために、インフレ的な関税や割当量を課するより遥かに破壊的でない。
 最後に、輸入はアメリカ人の仕事を奪っているか?確かにそうだ。そして、拡大する貿易によって傷つけられられた人々には、援助が与えられるべきだ。だが、貿易によって失われた仕事をより良い仕事と取り替えることができないということは、全く国内問題である。われわれが労働する意欲のあるアメリカ人のために必要な新しい仕事に資金を出すのに失敗したためである。米国に必要なのは、すべての人に開かれたアップデートされたインフラと公共空間と文化センターである。アメリカに必要なのは、もっと良い学校である。アメリカに必要なのは、普通の労働者が労働時間を短縮しても、十分な生活を送れる可能性である。アメリカに必要なのは、ハリーケーン・カトリーナのような災害に対するもっと強力な予防措置と準備である。玩具やテレビや携帯電話を安価に提供したいという中国の態度は、これらの必要に応じることを容易にするのであって、より難しくするのではない。われわれがこの挑戦に立ち向かうことに失敗した場合、責められるべきは、われわれ自身である。
 われわれの貿易赤字を補填するのに「外国から借金をするという無邪気な欺瞞」という表現は、われわれの本当の問題から注意をそらすことである。ある日、これらの間違った問題が消え去れば、本当の問題はもっと悪くなるだろう。そういうわけで、本当の問題がより悪くならないことを希望して、しばらくは、中国人がしていることを非難したりしないで、中国人に感謝しよう。
[訳者の感想]「貿易赤字は中国のせいだ」という声が米国議会筋には多いようですが、中国が安い商品を輸出し、その代金で米国国債を買ってくれるから、米国はインフレにならずに済んでいるというジェームズ・ガルブレイスとウオレン・モスラーの4月21日付け論説です。クルーグマン教授も多分これと同意見だと思います。経済用語が沢山使われていて、拙訳が正しいかどうか自信がありません。

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「新しい種類の軍事行動と開発援助」、リフキンの近著『ユーロピアン・ドリーム』より。

2006年04月01日 | 国際政治
 ヨーロッパ連合の外交安全保障政策は、二本の柱の上に築かれている。第一の柱は、軍事的参加の役割を領土の防衛についての古い国民国家的考え方から離れて、「平和維持と人道的介入」という新しいトランスナショナルな考え方にむけて再定義することである。第二の柱は、国民と国家の間のより大きな協力を確保するために、「経済援助」を外交政策として使用することである。危機紛争の解決がヨーロッパの軍事的目的の中心になっている。過去半世紀の間、ヨーロッパ連合のメンバーは、世界中の紛争地域に派遣された平和維持軍の80%を提供し、再建のための基金の70%を拠出した。時に「しっかりした平和維持」とか「第二世代の平和維持」といわれるヨーロッパの軍事作戦の目標は、戦っている当事国の間の暴力を停止し、効き目のある平和的合意を確立するための条件を作り出すことである。この種の軍事的介入は、全く新しい軍事的戦略を必要とする。「安全な港」や「飛行停止地帯」や「人道的廊下」というような新しい軍事用語は、近年、事典の一部になった。 新しい軍事的方式は、通常の軍事的参加とは反対の仮定から出発する。古い軍事的図式では、考え方は、敵に最大の兵員の損害を与えることであった。新しい軍事的図式では、目標は、紛争当事国の双方における兵力の損失を最少にすることである。兵士に対する命令は、もはや、自分の生命を危険に曝し、敵を殺すことではない。平和維持部隊は、別の使命を持つ。市民の生命を救うために自分の生命を危険に曝すことである。ロンドン経済大学の「グローバルな統治と人権」担当教授であるメアリ・カルダーは、次のように簡潔に言う。「合法的な武器の担い手である兵士は、自分の国のために死ぬ覚悟がなければならかったが、平和維持軍の兵士は、人道のために自分の生命を危険に曝すのだ。」ヨーロッパ連合の構成国が提供した平和維持軍の兵士の数は、米国の10倍に達する。「ヨーロッパは、世界の警官であるという責務をアメリカの肩に背負わせている」というしばしば聞かれるアメリカ人の主張は嘘である。 ヨーロッパ連合は、人権についてのヨーロッパ合意を侵害する場合には、秩序回復のために、どの構成国の国境へも軍隊を送ることが出来るという考え方自体、革命的である。軍事行動の目的は、もはや土地を占拠したり、人々を支配したり、財産を蓄えたりすることではなくて、むしろ、人々の普遍的な人権を保護することである。雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に掲載された論文の中で、レスリー・ゲルブとジャスティン・ローゼンソールは、この新しい種類の軍事的思考の歴史的な重要性を指摘している。EUのような統治制度は、彼らが軍事的行動の目的をどのように感じるかの点で根本的な変化を示している。「考えても見たまえ。道徳が主権を打ち負かすという原理を国家が是認しているのだ。」 
 ヨーロッパ連合の外交安全保障政策のもう一つの柱は、「開発援助」である。大抵のアメリカ人は、合衆国が世界中で一番気前の良い国だと思っている。それは事実ではない。アメリカの対外援助は、国民總収入(GNI)の僅か0.1%であり、ヨーロッパ諸国の3分の1に過ぎない。ヨーロッパは、世界中の民間の開発援助の50%を提供し、世界中の人道援助の47%を提供している。米国は36%を提供しているに過ぎない。2002年には、EUの人道援助は、殆ど12億ユーロ(1680億円)に達した。人道援助は、難民や避難者への援助を含み、緊急援助は、自然災害や民族紛争の犠牲者を助けている。だが、合衆国は、食糧援助では指導的供給者である。ヨーロッパの開発援助の増大する割合は、構成国からEU自体へと移されている。現在、EUは、構成国によって集められた開発援助基金の17%を管理している。(以下省略) 
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「陳水篇の支持者、反中国集会」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2006年03月19日 | 国際政治
台湾の大統領陳水篇によって組織された土曜日の集会は、台湾が独立国家であることを宣言した場合、北京政府の「一つの中国」政策に反するものとして、戦争を正当化する「反国家分裂法」成立一周年を印しづけた。
 中国と台湾は、1949年、中国の内戦の終わりに分裂した。
「ミサイルに反対し、平和を望む」と歌いながら、赤い風船と中国製ミサイルの模型を手に持って、陳水篇の与党民進党は、巨大な群衆が民主主義的な生活を守ろうとする台湾国民の決意を世界に示したと述べた。
 宋ウェンリン(60)は、言った。「台湾は中国の一部ではない。中国はミサイルや鉄砲玉でわれわれを脅すのを止めるべきだ。」
台湾政府は、北京が台湾に標的に800発のミサイルを集め、1年間に75発から100発を武器庫に加えていると述べた。
 何人かの安全保障アナリストは、台湾海峡は、アジアで最も危険な地点であると言う。
48歳の技師である李グオチンは、言った。「台湾は民主制である。中国から独立するか、中国の一部になるかはわれわれ次第である。われわれは中国の脅しに屈するべきではない。」
 陳水篇は、大統領官邸で終わる行進には加わらなかった。だが、集会の終わりの演説で、陳は、「国家統一会議」と呼ばれる組織を廃止しようとする彼の決意は変わらないと述べた。
 「台湾は独立した主権国家である。台湾の国家主権は、その2,300万人の国民に属している」と陳は言った。
 「台湾の国家主権や台湾の未来を決めるのは、中国の1億3000万人ではない。」
台湾の人々にとっては、再統合か、独立かという問題は、常に厄介な問題であった。世論調査によると、台湾国民の80%は、現状のほうが望ましいと言う意見であることを示唆している。
 先週、中国との統一を望む野党の何万人もの支持者が台北を行進し、陳水篇の政策を批判した。
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「カリカチュアは、モスレムの間に民主主義論争を引き起こしている」という『ヴェルト』の記事。

2006年02月15日 | 国際政治
イスタンブール発:カリカチュア騒動における最初のイデオロギー的な衝突の後で、あちこちで、より繊細な議論が際だっている。イスラム諸国では、より憂慮した声が声高になりつつある。彼らは、自分の国の独裁政治や政治家の腐敗に対して抗議する勇気を奮い起こすことは稀であるのに、なぜ何百万ものイスラム教徒が数枚のカリカチュアのために街頭に繰り出す用意があるのかと問う。
答えは、一見簡単である。とのような独裁政治に反対するようなデモは、治安部隊によってたたきのめされるが、手にレシーバーを持った、同じ治安部隊がカリカチュアに抗議するデモ隊を自分で組織したからである。
かなり多くのアラブ系新聞や特にウエッブログに見られるカリカチュアによって引き起こされた憂慮は、注目すべき知的な抗議である。その間に、多くのイスラム教徒がカリカチュアを見た。ヨルダン、イェーメン、エジプト、アルジェリアのいくつかの新聞は、カルカチュアをリプリントした。そのために、編集長が告訴され、首になった。しかし、特にカリカチュアは、イターネット上のアラビア系のブログで見ることができ、そこで何百万回もしげしげと見られた。一万人のインターネット利用者がそれをイーメイルを使って互いに送りあった。
レバノンの新聞『アス・サフィール』には、同国のシーア派のイスラム教徒75万人がデモをした後で、アリ・マフディと名乗る読者の手紙が掲載された。「われわれがカリカチュアに対して抗議するために、これらの連帯を目にしている。まるでこれらのカリカチュアだけが予言者ムハンマドを侮辱したかのように。一体不正義や拷問や文盲や自由の制限は予言者に対する侮辱ではないのだろうか?」印刷されたメディアは、たいていのアラブの国々では検閲を受けるから、このような読者の手紙は、大胆さの限界である。これに対して、インターネットでは、エジプト人ブロッガーによる「愚かな行動に反対するキャンペーン」が形成された。あるイスラム教徒の読者がイスラム教を平和と知識と民主主義の宗教として西欧にも広めることが重要であると彼を非難したとき、彼の答えはこうだった。「それは、確かだ。だが、われわれ自身の国からそれを広め始めるべきだ。一体、どのイスラム国が民主制なのか?」
「愚行に反対するモスレムの革命家達に属しているのは、「エジプトに自由を」というブログを管理する一女性である。「イスラム教徒は、腐敗した政府が彼らの金を盗み、彼らを悲惨に追いやっているときに、あるいは毎日搾取されている何百万もの子供達がいるときに、なぜこのように激昂しないのか?」そしてなぜ法律に守られた自由のなかの生活のためにイスラム教徒はデモをしないのか?
もう一つのエジプトのブロッガーは、「万人のための正義」というウエッブサイトを管理している。彼は次のように書いている。「警察の車が私のそばを通るたびに、怖じ気づくとしたら、預言者を賛美するために何百万もの手紙を書くことが何の役に立つのか?」
これらのブログの中の最も目立つものは、文化の対話の場所になった。それはこれまでカリカチュア論争において欠けていたものである。何百もの西欧とイスラムの読者は、書き込みに反応した。必ずしもいつも理解が成り立ったわけではないが、イスラム教徒には、民主主義理解と寛容を、西欧の読者には他の宗教に対する尊敬を要求する対話が展開される。
ロンドンで出ている汎アラブ主義の新聞『アル・ハヤト』のコラムニストであるジハド・アル・カーゼンは、カリカチュア論争のパラドックスを指摘する。彼が遺憾とする点は、「十億のモスレムが皆カリカチュアは、彼らを侮辱していると考えているが、民主主義というテーマについては、それと比較できる同意は存在しない。民主主義なんて西欧の産物だと非難する者が多い」ことである。
[訳者の感想]最後のアル・カーゼンの指摘するパラドックスは、ある意味でイスラム世界のパラドックスではないでしょうか。民主主義が西欧の産物であってイスラム教国には相応しくないと考えている限り、西欧とイスラム世界との間に、本当の理解は成り立たないように思われます。
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「西欧では新たな傲慢が、目覚めた」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年02月13日 | 国際政治
--猊下、イスラム世界とのカリカチュア論争の中で起こった怒りと暴力の爆発の後でどのように結果を総括されますか?
マルティノ枢機卿:豊かな先進国では、他文化に対して何の敬意も持たないある傲慢さが台頭しました。安易な笑いのために他の文化を侮辱するカリカチュアは、単に傲慢なだけです。
--モスレムの心を燃え上がらせるために、暴動が意図的に操作されているという指摘についてはどのように言われますか?
マルティノ枢機卿:対立は明らかに道具に使われています。けれども、対立の口実は、銀のお盆に載せられて運ばれました。ユダヤ教やイスラム教の文化では、神の像を描くことは許されないということは誰でも知っていることです。イスラム教では預言者マホメットは、描かれてはならないということも誰もが知っていることです。
--では、言論の自由はどうなるのですか?
マルティノ枢機卿:表現の自由の権利には、そこから他者の合法的な権利が始まる限界があります。
--あなたは憂慮しておられますか?
マルティノ枢機卿:ええ、なぜなら、ヨハネス・パウロ2世は、イラク戦争がキリスト教的西欧とイスラム世界との衝突だと誤解されないように、大変努力されたからです。それに対して感謝するために、インドネシアにまで至る代表団がローマに来ました。それほどうまく教皇はその目標を追求されたのです。
--今、必要なのは何でしょうか?
マルティノ枢機卿:宗教上の敏感さ、人間らしい敏感さそして政治的な知性です。
--西欧は臆病でしょうか?
マルティノ枢機卿:それはどういう意味ですか?もっと重要なのは、西欧が他の文化をその状況や歴史や尊厳の点で理解し、敬意を払うということをどうしたら達成できるかという問題です。
--モスレム社会はあなたにどんな印象を与えていますか?
マルティノ枢機卿:私たちのところで観察されるようなある宗教的な覚醒があります。それはさしあたり良いことです。ですが、西欧には傲慢さの復活もあるのです。けれども、私たちは、世界の一部が近代的発展において非常に遅れてるので、そこでは残りの世界が自分たちを置き去りにしたという意識が強くなったということをはっきりさせなければなりません。このような人たちを助け、彼ら自身の未来の主体となり、客体とならないためには、西欧は何ができるかということを問わなければなりません。
--「対話」という概念は、余りに使い古されていませんか?
マルティノ枢機卿:私たちは他人の身にならなければなりません。同じ目の高さで対話の相手を見るということは、相変わらず西欧にとっては挑戦です。これらの文化に対して公平であるためには、市場のカテゴリーだけでは、十分ではありません。宗教的自由は、私たちのところでは、長く複雑な歴史を持っています。世俗主義的な文化が尊敬されるまでにはヨーロッパでは、何百年もかかったのです。これらの争いの結果は、簡単に輸出されず、他の人たちに押しつけることは出来ません。この展開を、われわれはイスラム教に対しても認めなければならないでしょう。
--この展開を支持するための戦略はどうあるべきですか?
マルティノ枢機卿:テロリズムという現象が存在するから、私たちはその根にまで目を向けなければなりません。貧しい国々に対する約束が守られず、破られたという問題を新たに取り上げなければなりません。われわれは開いた傷口を治さなければなりません。
--どの傷口ですか?
マルティノ枢機卿:中近東の火傷を取り上げましょう。パレスチナ自治政府に対する援助が取り消されなら、災いなるかなと私は言います。ハマスが無条件にイスラエルの存在権を承認すべきだと言うなら、パレスチナ人達は1967年の国境を尊重することを要求するこのは、正しいのです。なぜならば、イスラエルの占領地域で一方的になされた変更は、国際法によれば、法律違反です。
[訳者の感想]このカトリックの枢機卿は、西欧の右派リベラルよりは、遥かに公平な判断をしていると思います。なお、記事の末尾に書かれた注によるとレナート・マルティノ枢機卿は、「正義と平和」についての教皇諮問会議の議長だそうです。インタビューを行ったのはイタリアの雑誌『共和国』だそうです。イタリア語からドイツ語に訳した人は、パウル・バッデというドイツ人です。
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「侮辱する権利」と題する『ツァイト』紙の記事。

2006年02月11日 | 国際政治
筆者は、カタリーナ・シューラー。
アヤーン・ヒルシ・アリが慎重な人間だったら、この灰色の二月の日に連邦記者会見の場所で内外の記者団の前に、無数のカメラの放列の前に立たなかっただろう。もし彼女が慎重な人間だったら、この瞬間に彼女はアフリカの何処かの国で夫と結婚し、子供達の世話をしていただろう。だが、彼女は一度も慎重な人間であったためしはなかった。だから、彼女の言葉は外交的でもよく考えらたものでも控えめでもなく、明晰判明で挑発的である。
このオランダの「自由と民主主義のための人民党」に所属する政治家は、木曜日にカリカチュア論争に対する自分の態度を「傷つけ、侮辱し、不快な印象を与える権利」であると総括した。この権利がなければ、民主主義は存続せず、本当の言論の自由は存在しないと彼女は考えている。予言者マホメットのカリカチュアを掲載したことは正しかったと彼女は言う。なぜなら、それでもって、デンマークの新聞『ジランズ・ポステン』は、西欧のメディアの急ぎすぎた自己検閲に抗議しようとしたからである。その際、彼女は、カリカチュア論争に先立つ歴史を引き合いに出した。そこでは、マホメットについての本のために挿絵画家を見つけられなかった著者と、それが事実と一致するかを吟味しようとして、結局最後に何にかの挿絵画家を見つけた勇気ある新聞が問題となっている。それは周知の事実だ。
それはカリカチュアの成立について語りうる最も好ましい変種である。別の変種も存在する。それは、あの新聞の挑発好きの傾向、それに基づく発行部数の増加、同じ新聞がキリスト教的内容についてのカリカチュアを拒否したことを論じている。拒否の理由は、それは読者を怒らせるからだ。だが、これらの慎重な考慮や相対化や問題視は、アヤーン・ヒルシ・アリの問題ではない。体にぴったりした服を着たこの細身の女性は、どこか地上のものならぬ雰囲気を持っている。彼女の使命は、覚醒させ、弾劾することである。彼女はイスラム社会の暗い側面を世界に意識させようとしている。西欧の政治家やジャーナリストたちがモスレムの傷つけられた感情に対する理解を表明するたびに、彼女はその背後に臆病さと犠牲者に対する連帯の欠如があるのではないかと推量する。「言論の自由によって生活していながら、同時に検閲を受け入れるジャーナリストたちよ、恥じるがいい。「私たちはデンマーク製の商品は売りません」というスローガンで売り込んでいるヨーロッパの会社は、恥じるがいい」と彼女は激しい演説において述べた。
彼女の容赦しない態度には訳がある。それは彼女自身の人生である。ソマリアに生まれたアリは、五歳で陰核を切除された。彼女はモスレム的環境で育ち、宗教的に教育された。「日に何度もユダヤ人を滅ぼして下さいとお祈りをした。」20歳の初め、彼女は強制的に結婚されそうになった。彼女はオランダに亡命し、そこで掃除婦や通訳やソーシャル・ワーカーとして働いた。こういう仕方で彼女はモスレム女性の悲惨を改めて体験した。彼女は政治学を勉強し、2002年以後イスラム教を批判する本を書き、そのために殺すぞと脅迫された。映画監督テオ・ファン・ゴッホのために映画『屈従』の台本を書いたが、この映画のためにゴッホは路上で殺された。アヤーン・ヒルシ・アリは、当時警察の保護下にあったので、暗殺されなかった。彼女は潜伏し、また公共の場に復帰したが、それは彼女が萎縮させられたくなかったからである。木曜日に彼女は「私も自分の生命が不安でした。ですが、私は沈黙しないでしょう」と言った。(省略)
現在の対立には、アリにとっては、人種的社会的背景はない。「問題は、理念の闘争です」と彼女は言う。こちらには啓蒙された自由な民主主義があり、あちらには、不寛容で宗教的な原理主義がある。その際、民主主義は自分自身が批判される可能性を前提にしている。「モスレムがカリカチュアに対して平和的に抗議するなら、私は少しも反対しない。」それは彼女の意味で自由な意見の表明になるだろう。勿論、侮辱する権利にも限界はある。その限界は法律で定められなければならない。侮辱された者は、告訴すればいい。だが、西欧社会の活動規則であるこの対決のための基礎(民主的な法秩序)そのものは議論されてはならないと、アリは言った。
彼女は「反イスラム主義は、存在しない」と言ったが、この点では彼女に異議を唱えなければならない。だって、それは存在するからである。例えば、専らモスレムに向けられた移民法の試験や、空港や国境で強化されているコントロールがそれを証明している。われわれが現在体験している対立は、決して単なる思想の闘争ではない。この対立の根には、社会的民族的な背景がある。イスラムについての多様な取り組みには関心がないが、偏見の強化には非常に関心のあるすべての人々の歓迎すべき証人になっている。
[訳者の感想]筆者のシューラーは、冒頭ではヒルシ・アリにかなり共感しているように見えるのに、最後の一文で彼女がやはり右派自由主義に近い点を批判しているようです。
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「ヨーロッパとイスラムにとっての危険な瞬間」と題する『ヘラルド・トリビューン』紙の記事。

2006年02月08日 | 国際政治
ロンドン発:予言者マホメットのカリカチュアを刊行したことに対するイスラム教徒の抗議が激しくなたとき、ベルギーとオランダとデンマークにある小さなアラブ運動の活動家は、ウエッブサイトにアンネ・フランクとベッドに入っているヒトラーの漫画を描き、「これもお前の日記に書け」と言わせた。
この漫画の意図は、「われわれの芸術的表現への権利を行使するためだ」と「アラブ・ヨーロッパ連盟」は言った。それはデンマークの新聞『ジーランド・ポステン』紙が、昨年九月に一連のマホメットのカリカチュアを掲載したときと同様に。「ヨーロッパにも聖牛はいる、もっともそれらは宗教的に聖なる牛ではないとしても」とこの組織の創始者であるディアブ・アブ・ジャジャは、イスラム移民の暴力抜きの権利を主張した。
このような対照は、両者が互いを誤解と疑惑の目で見るならば、カリカチュアを巡る対立が両方を予期されない境を越えさせたという厄介な感じを生み出した。
オックスフォード大学のヨーロッパ史教授であるティモシー・ガートン・アッシュは、「これは私には境界を印づける瞬間だという感じがする。これはヨーロッパとイスラムにとって危機であり、非常に危険な瞬間である。それは相互の認識の下向きのスパイラルに導く瞬間である」と言った。
カリカチュアに対する暴力的な抗議やデンマークの外交施設に対する攻撃が、中近東、アフガニスタン、パキスタンに広まるにつれて、何人かのヨーロッパ人は、比較的少数派のモスレムが、イスラム世界からこれまで用いられたことのない力を行使しているということを悟るに至った。実際、モスレムは、英国の人口の3%、デンマークの4%、欧州連合全体で、5%の割合を占めている。
イスタンブール在住のドイツのジャーナリストユルゲン・ゴットシャルクは、「もはや問題は単に移住者の数を減らすことではない。デンマークに言論の自由のヒーローがいるのと同様に、アラビア半島からインドネシアまで彼らの予言者の尊厳を守る覚悟のあるヒーローがいる」と書いた。
ローマで花屋を経営しているエジプトのコプト・キリスト教徒であるイブラヒム・マグディは、次のように言った。「今問題なのは、あなたが何かを言ったり、したりした場合、あなたはエジプト人やシリア人やサウディ人に語りかけているのではなくて、モスレム世界全体に語りかけているということだ。」
ヨーロッパに住んでいる人々にとっては、あのカリカチュアは、表現の自由と、モスレムやキリスト教徒にいろいろなレベルで影響しているダブル・スタンダードについての深刻な議論を促進した。他の人々にとっては、カリカチュアに対する拡大する抗議は、過激派を硬化を意味しており、それによって穏健な意見を出す余地が狭められている。「穏健なモスレムは、またもや効果的に沈黙させられた」とデンマークのアールフス大学の英文学教授タビシュ・カイールは言った。
何十年間もヨーロッパ諸国は、イスラム教が支配的信仰となっている国々から経済的政治的理由でやってくる移住者の流れと取り組んできた。多くのモスレムは、自分たちが一度も完全には歓迎されたことはないと感じている。
だが、2001年9月11日の米国に対する攻撃から、2005年7月のロンドンでのテロ攻撃に至るイスラム・テロのカタログは、イスラム穏健派とイスラム過激派とを区別するように政府や社会を変えた。
明らかに、衝突によって、互いに二つの価値の集まりが戦い、表現の自由と多文化主義とが戦っているのだとガートン・アッシュは言った。
しかし、それ以上に、あるモスレムの間には、自分たちの信仰を否定する国々では自分たちが二級の市民あるいは潜在的テロリストとして扱れているという沸き立つ反感が存在する。
パレスチナ出身で2歳の時に両親に連れられてデンマークに移住した建設労働者であるムハマド・エルジャヒムは、「黒い髪の毛をしていると、仕事を見つけるのは難しい」と言った。彼は3年半かけて歯科技工を学んだが、仕事を見つけることはできなかった。
この不信感は、自分たちの福祉国家が自分たちの持っている価値を共有せず、潜在的反乱者の第五列を代表しているかもしれない歓迎されない移民を住まわせるようになったというあるヨーロッパ人の間の腹立たしい感覚をも反映している。
「過激派は、合意なんか望んでいない。彼らは円卓につこうとはしない。彼らが欲しているのは、世界中に彼らのイスラムの信仰を広めることだ」とベルリンで保険代理店をやっているライナー・ミオンは述べた。
ベルリンでイタリア風のデリカテッセンのセールスマンをしているグイド・コルデスは、「個人的には、すべてのモスレム達を彼らの出身地へ追い返したいね。だって、連中は、ここの民主的な規則を受け入れられないのだから」と言った。
カリカチュアを掲載した『ジランド・ポステン』紙の文化編集者のフレミング・ローゼは、「お前は敬意を示さなかったとモスレムが言うなら、私は君たちは私の敬意を要求しているのではなくて、屈従を要求しているのだと言うだろう」と述べた。
ある人々が恐れているのは、直接脅かされているのはヨーロッパ的価値であり、ヨーロッパ的自由であるということである。
「イスラム原理主義とヨーロッパの右翼は、どちらも次々に火をつけるのに役立つ貴重な毒物を楽しんでいる」とノルウエーの国際関係教授で外務次官であるジャン・ハーランド・マトラリーは言った。
[訳者の感想]マホメットのカリカチュアを掲載したことから、西欧対イスラムの対立が激しくなりました。日本は第三者の立場を貫けるのでしょうか。
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「ペルーの選管、フジモリの立候補を拒否」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2006年01月11日 | 国際政治
1月10日、ブエノス・アイレス発:ペルーの前大統領アルベルト・フジモリが公式に4月の大統領選挙に候補者として登録しようと試みた数日後、火曜日に選挙管理委員会は、彼の立候補を拒否した。
フジモリは、昨年11月以来ペルー政府の要請によってチリに拘束されているが、先週金曜日、フジモリの娘は自分の父の名前を候補者として登録した。彼が自分で選んだ日本亡命から秘密裏に帰国しようとした際、彼はチリーで国際的逮捕礼状によって逮捕された。彼は1990年から2000年まで大統領職にあったときの腐敗と人権侵害のかどで告発された。
フジモリは、彼に亡命を認めた日本に5年間滞在した。彼は帰国して、大統領に立候補するという意図をしばしば表明し、彼に対するあらゆる告発を否定した。
フジモリの立候補を拒否する際、選管は彼が最低10年間公職につくことを禁止した議会の命令を引用した。フジモリ(67)は、追放令が憲法違反であると主張した。彼の娘であるケイコ・フジモリが父を候補者名簿に登録しようとした際、数百人の支持者が一緒についてきた。
フジモリ支持者は、立候補の決断をアッピールするのに2日しかなかった。フジモリの復帰を援助した元議員のマルタ・チャベスは、「彼のスタッフは期限に間に合うだろうと」述べた。
「私達は、断固それと戦おうとしている。」チャベスは、リマの事務所からの電話インタビューの際、こう言った。「われわれが選管に提出する主張には自信がある。これで彼の立候補がだめになったわけではない。」
先週、ペルー政府は、チリ政府に対してとフジモリの送還を提起した。その際ペルー政府は、政府基金の濫用と二つの事件で25人を殺した殺人チームに対する責任を含む告発でフジモリを裁判にかけようとしている。
これらの告発にも関わらず、フジモリの支持者達は、彼が暴力的な「センデロ・ルミノソ」運動を撃破し、超インフレを緊縮財政政策でコントロールすると信じている。世論調査によると、フジモリは、第三位で、回答者の15%の支持を得ている。前国会議員ルールド・フローレス・ノノと退役将校のオランタ・フマラが、それぞれ20%の支持を得て初期投票をリードしている。
[訳者の感想]フジモリさんは、逮捕覚悟で出国したようですが、成算はあるのでしょうね。
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「ヨーロッパは、異質なものの恐怖に直面している」と題する『ガーディアン』紙の論説。

2005年11月09日 | 国際政治
11月9日付け『ガーディアン』紙に掲載されたサイモン・ティスダルの論説です。
フランスで起こった暴動を恐怖と「いい気味だ」という気持ちが入り交じって観察することによって、ヨーロッパの支配者達は、二つの結論に到達した。一つの結論は、暴力はフランスに特有の出来事であり、肌の色に目をつぶる共和制と接触しないエリートによる失策の産物である。もう一つの結論は、あんな暴動は自分の国では起こらないだろうというものである。どちらの結論も疑わしい。
「フランスの条件は、われわれがドイツで持っているものとは異なる。われわれには巨大なアパート群はない」とドイツの外交顧問のヴォルフガング・ショイブレは言った。フランスの警察の戦術を非難して、英国のトニー・ブレア首相も、「英国はフランスとは違う」と述べた。イタリアの野党党首ロマーノ・プロディが「次の番は、イタリアだ」といったとき、彼は脅かし屋だと非難された。
だが、「差別と青年の失業、--逮捕された暴動参加者の半数は18才以下である--人種的偏見、宗教的不寛容、テロリズムとグローバル化によって生み出された外国人嫌いとは、たいていのヨーロッパ諸国で揺るぎないものとなった」と「ヨーロッパ改革センター」のオロール・ワンリンは述べた。それらの事柄は、もっと多くの爆発を引き起こす潜在力である。
「どの社会でも、少数民族や移住者、特に経済的に困難な時代には、未熟練労働者をどうして統合するかについて議論される」とワンリン女史は言う。「だが、何をしたらいいかについては意見が一致しない。だから、この議論は普通余り活発でない。フランスで騒動が起こるまで、問題についての透明度が欠けている。それは避けがたい。だから、このような暴動は他では起こらないだろうと言うことは出来ない。」
 反感の下層流は、ヨーロッパ中で認められる。オランダでは、昨年11月に映画監督のテオ・ファン・ゴッホが街頭で殺されて以来、トラウマになった。「この殺人は、人口の20%が外国人である国で、国際的テロリズムに対する恐怖と国民的アイデンティティの問題を結晶化した。その結果、モスクに対する襲撃が行われた。」
ドイツは、260万人に上るトルコ人移民に対する統合的アプローチを自慢している。だが、移住者共同体における失業は、全国平均の2倍に達している。若年労働者の30%は職がない。今年初めにベルリンにショックを与えた「名誉殺人」(トルコ人女性がドイツ人と恋愛関係を持ったために、兄弟に殺された事件。)のように、緊張状態があることは、明白である。
 ヨーロッパがその主要な少数民族をどのように処遇するか、彼らにどのように話しかけるかについて同意に成功しなかったことは、「欧州連合」自体に及んでいる。ワンリン女史は次のように言う。「欧州連合は統合について指針を展開しようとしているが、この問題は非常に敏感なので共通の土台を見つけることが困難だった。」
 ヨーロッパの政府が手探りしている間に、極右政党は、別の傾向を代表し、それがトラブルの引き金を引いている。「極右の前進は、ヨーロッパにおける人種主義の程度の現れだが、それは異質なものを何でも恐れるというもっと深い社会的不安の現れだ。」
[訳者の感想]フランスの暴動は、ヨーロッパ全体が抱えている社会問題ということが良く分かります。
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「資本主義対民主主義」と題するポール・サミュエルソンの論説。

2005年10月03日 | 国際政治
2005年9月28日に『ワシントン・ポスト』紙に掲載されたもの。
最近のドイツと日本の総選挙は、より多くの注目に値する。なぜならば、それは資本主義と民主主義の間の不安定な関係を明らかにしているからである。資本主義は、変化の上で繁栄する。それは新しいテクノロジーや製品や利得の機会を引き起こす。これに対して、民主主義は、変化に逆らう。それは現状に対する関心をもった強力な支持層を作り出す。
資本主義という言葉で私は、市場と私有に重きを置く経済体制を意味しているのだが、それと民主主義はお互いを必要としている。一方は、生活水準の向上をもたらし、他方は、資本主義の不公正を和らげ、公的支持をつなぎ止める。だが、この相互依存は、油断がならない。なぜならば、民主主義の特権が振り回されると、その特権は資本主義の首を絞めるからである。
この両者の関係をどのように規制するかが、日本とドイツの選挙の核心問題だった。よく知られているように、彼らの経済はひどくよろめいていた。1997年以来、彼らの年間経済成長率は、平均1%で、アメリカの三分の一であった。1980年代後半と比べると、日本の失業者は二倍に増えた。ドイツでは、失業率は、十年間約10%を上下していた。
選挙権者は、反対の結論に到達したように見える。日本人は、選挙を彼の経済改革日程のテストにした小泉純一郎首相に圧倒的な勝利を与えた。対照的に、ドイツ人達は、もっと臆病であったように見える。選挙前の予想では、社会民主党(SPD)のシュレーダー首相は、攻撃的な経済改革を説いたキリスト教民主同盟(CDU)のメルケル女史に対して負けるだろうというものだった。しかし、選挙の結果は、どちらもほぼ同じパーセントの投票しか取れなかった。CDUは総得票数の35.2%を取り、SPDは、34.3%を取った。次の政府の首相に誰がなるかは不明である。
結果は異なるけれども、両国における経済的革新の見通しは、不確かである。「経済改革」を宣言するのと、それを遂行するのとは同じではない。日本では、小泉は、郵政公社をオーバーホールするのに勝った。郵政公社は、単なる郵便事業以上のものである。それは世界最大の銀行であり、日本の貯金額の30%を吸収している。『東洋経済レポート』の編集者であるハワード・カッツによれば、問題は、これらの金の大部分が無駄遣いされていることである。それは国債を引き受けているが、その金は疑わしい公共投資に使われている。どこにも通じていない道路や、舗装された河川敷などである。
小泉は、郵政公社を民営化したいと思っている。それを利益を生む会社に変えたいと思っている。そうすれば、それはもっと生産的な投資を助けるだろうし、経済を刺激するだろう。これは賢明であるように聞こえるけれども、それは経済の万能薬ではない。第一に、小泉の改革は、十年かかる。第二に、私有化された郵政公社は、まだ、大失敗をやるかもしれない。第三に日本には他の問題がある。例えば、国内での競争が少ない。老齢化社会である。対外投資が僅かであるなどなど。
同様に、ドイツの怠慢さには多くの原因がある。アメリカ大学の政治学者スティーブン・シルヴィアの研究によれば、「ドイツ経済における政府負担部分は、余りに大きくなりすぎ、もっと生産的な経済活動を押しのけている。雇用の費用は、特に非賃金コストが高くなりすぎ、競争を妨げている。」シュレーダー首相は、いくつかの変化はもたらした。彼は、気前の良い失業保険を削った。メルケル女史は、労働者の首切りに対する制限を緩和することを提案し、団体交渉を緩和しようと思っている。
これらの問題はアメリカ人にも関係がある。第一に、日本とドイツの経済は、世界経済成長の偏った性質を部分的に説明している。つまり、世界経済の成長は、アメリカの貿易赤字を拡大することに依存している。2000年から2004年まで、潜在的に、ドイツの僅かな経済成長のすべては、輸出の増大に由来するものであったし、日本の業績も全く一方的であった。多くのエコノミストは、このパターンがグローバルな不景気を増大するが故に、不安定であると見なしている。両方合わせるとアメリカ経済の規模の半分に達する日本とドイツの経済が、もっと強ければ、世界経済はより健全だろう。
関心の第二点は、役に立つ政治的教訓である。成功した民主主義は、国民に彼らの利害とライフスタイルを守る機会を与える。だが、これらの保護が、変えられない経済的現実を否定するとき、それは自己防衛的になる。更に、それらの保護は、変化する現実に適応することが困難である。なぜならば、変化は、現状から利益を得ている選挙区を怒らせるからである。アメリカ人が非常に複雑な税制度を持っている理由は、有力な有権者が疑わしい税金の選好を防衛するからである。同じ理由で、莫大なアメリカの財政赤字は、いつまでも続く。支出削減と増税は、怒りの連合を引き起こすからである。
人口の漸次的老齢化莫大な援助を必要とするが、誰も真剣にこの費用を抑えようとはしない。日本人もドイツ人も彼らの問題に対して同じ態度を取った。彼らは決算日が来ないことを望んでいる。だが、彼らはまちがっている。
[訳者のコメント]日本とドイツとが同じような経済的政治的問題を抱えていることが分かります。アメリカにも同じ問題があることを指摘する辛口の評論です。
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「私たちは同じボートに乗っている」と題するイスラム法学者とのインタビュー

2005年05月15日 | 国際政治
『ヴェルト』紙5月14日号に掲載されたカイロのアル・アズハル大学教授アリ・ゴマとのインタービューです。
ベルリン発:アリ・ゴマは、エジプトのイスラム法学者で、全世界の13億人のイスラム教徒の90%が属しているスンニー派イスラム教の法律及び社会政策についての権威である。彼はカイロのアル・アズハル大学で教鞭を執っている。ゴマは、リベラルなイスラムの宗教見解(ファトワ)のゆえに、何度も話題になった。例えば女性の先唱者やヴェール着用についての議論において話題になった。彼と対談したのは、ミヒャエル・シュテュルマー、カール・ホーエンタール、ディートリヒ・アレクサンダーである。
--あなたはイスラム世界との宗教間対話に関して、新しいドイツ人のローマ法皇に何を期待されますか。
アリ・ゴマ:イスラム世界は、ベネディクト16世が彼の前任者の路線を継承するだろうと期待しています。ヨハネ・パウロ2世は、イスラム教との対話を開始し、まさに今日非常に重要な相互の理解に貢献しました。
--ヨハネ・パウロ2世の死と彼の後継者の任命は、キリスト教徒の間に宗教的喜悦のようなものを生みだしました。この宗教心の革新は、イスラム教においても、世界的な現象でしょうか。
ゴマ:ポーランド出身の法皇は、寛容を旗印にしました。だから、宗教的実践の革新について語ることができるのです。このことは、われわれが生きているこの世界ではとても大切です。それは諸宗教が共生するための必要な第一歩です。私ならそれを宗教の革新とか改革とか言わず、本当の宗教の再生と言うでしょう。新しい法皇について私の知っていることは、彼がこの道を続けるだろうという私の意見を裏書きしています。
--それは具体的に言うとどういう意味ですか。私たちは「文化の対立」を望みませんが、それを防ぐのに私たちは何をすべきでしょうか。
ゴマ:イスラム教がドイツの学校でどのように伝達されているかについては、科学的な研究が存在します。その研究が示しているのは、われわれの宗教について間違ったイメージが教えられているということです。われわれが、われわれの青少年のところで他の宗教についてどのような理解を呼び起こすことができるかに多くのことが依存しています。その際、非常に重要なのは、正しい情報であり、正しい教科内容です。自爆があると、メディアは、すぐにイスラム教徒のテロリストの仕業だと言います。しかし、犯人がイスラム教徒でない場合には、彼らは決して犯人の宗教が何であるかを言いません。あなた方は例えばあれこれのテロ行為がカトリック教徒や仏教徒やヒンヅー教徒によってなされたとメディアが報道しているのを一度でも聞いたことがありますか。けれども実際は、テロリストは、われわれの共通の敵だということです。エジプトのアンワル・アル・サダト元大統領の暗殺を思い出せば、あなた方よりも私たちのほうがテロリズムの被害者なのです。あなたがたと私たちは、同じボートに乗っているのです。私はあなたがたにテロリストに対する共同の戦いを呼びかけます。西欧世界は、十把一からげに扱うことを止めるべきです。あなた方は、13億のイスラム教徒を、わずかなイスラム教徒の行為のために、同類扱いすることはできません。自爆テロを禁じているかなり多くのイスラム法学者がいるのです。
--ですが、アル・アズハル大学のモハメッド・サイエド・アル・タンタウイ師は、イスラエル人に対するパレスティナ人のテロ攻撃は許されると言いませんでしたか?
ゴマ:マス・メディアは、私たちにとっては、いつも大きな問題です。それが省略したり、歪めたりするからです。タンタウイ師については、パレスティナ人のテロ攻撃についての具体的な言明や評価は存在しません。なぜなら、すべてのイスラム法学者は、中東紛争を政治的対立と見ていて、宗教的対立とは見なしていないからです。私たちは、パレスティナ人のテロ攻撃にどう反応するか、どう評価するかは政治家達に任せているのです。
--イスラム世界では、民主主義的構造に向かういくつかの展開が見られます。イラクやレバノンの選挙、サウディ・アラビアや他の湾岸諸国の地方選挙がその例です。これは民主化の波なのでしょうか?
ゴマ:私たちは、エジプトでは、150年前から民主主義を実践しており、世界の民主主義的発展と歩調を合わせています。しかし、私たちには、他の優先性を強いるいくつかの内部の問題があります。そういう訳で、私たちは36%の文盲を抱えています。これは、民主主義に最善の形で到達するのに大きな障害です。その上、高い失業率や、高い人口増加率があります。これらのファクターすべては、私たちが手に入れたいと思っている種類の民主主義を定着させるのを妨げています。
--フランスでは、学校でのベールの着用禁止令が発効しました。アル・タンタウイ師は、それに対して、このような禁止を決議することは、フランス政府の権利であると言いました。あなたもそういう意見ですか?
ゴマ:有り難いことにこの件については意見の相違はありません。しかし、大法学者の宗教見解には、その前の歴史があるのです。彼は第一に「ヴェールを被ることは宗教的義務である」と言いました。第二に、政治家は誰もこの義務を疑う権利はないのです。しかし、第三に、「すべての国には、その法的決定に関して主権を持っており、それに介入する権利はわれわれにはない」と彼は付け加えたのです。それは、外国人がわれわれの国内の事柄に介入することが許さないのと同様です。フランスの法律によって、フランスに住むイスラム教徒は、困った状況に追い込まれました。しかし、彼らは、われわれの宗教の規定にしたがって、女性がヴェールを脱ぐことを認めたのです。
[訳者の感想]イスラム教の法学者の間ににもいろいろな意見があることが分かります。ゴマ師などはやはりリベラル派のイスラム教徒と言うべきでしょうか。
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「疑り深い隣人達」と題する『ツァイト』紙の最近号の記事。

2005年05月11日 | 国際政治
 われわれドイツ人は、われわれが外国で好まれていないということに悩んでいる。隣人がわれわれに鏡を突きつけたり、それが歪んだ鏡が問題であることが分かったりすると、われわれはがっかりしたり、腹を立てたりして反応する。何とこの世は不当であることか。なぜなら、われわれは殆ど60年間安定した民主主義の中で生活し、われわれは非戦闘的な国民ですよと取り入ってきたし、過去の悪行を細かく懺悔したではないか。
 英国の新聞は、特にわれわれに嫌がらせをしているように見える。ドイツ人の法皇が選ばれたことについて、英国の新聞は、われわれの『ビルト新聞』によって非難された。(訳者注:ベネディクト16世が少年時代、ヒトラー・ユーゲントに属していたことをイギリスの新聞があげつらったことに対してドイツでは非難が出ていました。)イギリス人がヒトラー・ドイツに対して長く孤独だが最後には成功を収めた抵抗を祝い、このパーティでドイツ人のスケープゴートは必然的に常連客であるということを否定することは困難である。ロンドン駐在のドイツ大使トーマス・マトウーセックがイギリス人達にはっきりした言葉で、余りに脅迫観念的にナチの過去をほじくることは、現代の民主的なドイツへの眼差しを歪め、両国民の間の関係にとって好ましくない帰結を与えるだろうと言ったのは正しかった。多くの若い英国人は、ナチと戦争を中心にした「ドイツ」と一緒に成長している。
その上、英国の左翼リベラルと保守主義者のグループの中には、われわれの国民に特に好意的な感情を持たない同時代人が十分に存在する。彼らは、「ドイツ人は特に悪に染まりやすいのだ」と信じている。マーサ・ゲルホーンは、1990年代半ばに、「ドイツ人は恐らく遺伝子一つ分ゆるんでいるのだ」と書いた。われわれの平和な変貌を本当には信じない人たちが沢山いる。このことを遺憾に思うこともできるし、腹立たしく思うこともできる。だが、ドイツでも同様な疑いが全く知られていないわけではないと言うことを見逃すべきではなかろう。われわれの親たちが時に不安にさせるほど素朴な熱心さでかき抱いたヨーロッパ統合のプロジェクトは、ヨーロッパ大陸の真ん中にある不安定な国をガリバーみたいに超国家的な契約の網でつないでおこうという意図から生じたのだ。「安全なものは、安全である。」
 (ドイツの)左翼グループの一部は、ドイツ統一に抵抗し、自分自身の国に対する疑いを繰り返し表明した。その自己懐疑の頂点は、ベルリンの「自立的」光景で鳴り響いた「二度とドイツを復活させるな」という呼び声であった。ギュンター・グラスは、ドイツ統一に対して、マーガレット・サッチャーが言うのと殆ど同一の主張をした。極端な場合には、自分の国民の精神的安定性に対するドイツ人の疑いは、選民の妄想の裏返しのように作用する。ナチのイデオロギーは、われわれを優れた人種に変えた。かなり多くの同時代人は、別の極端に陥ろうとしている。(「ドイツ人は最低の民族だ」という主張を指している。)
 ドイツに対する疑いや恐れについて言うと、英国人は、意見の自由と全く野放しの自由な新聞によって、われわれの隣人が考えていることを口に出しているだけである。ドイツの周りには、われわれを信用せず、特に評価もしない多くの隣人が生きている。われわれの堕罪、ナチとホロコーストがわれわれの民族的素質から生じたにせよ、あるいはわれわれの過去の最も暗い局面が、経済的社会的政治的ファクターと結びついた人間本性によって、説明されるにせよ、われわれは、歴史の重荷を背負って生きなければならない。
 われわれはなぜ戦後60年は長い年月であるという幻想的な希望を捨てるべきなのか。問題になっているのは、歴史的には、短い挿話である。これに対して、民族相互の間の考え方は、何世紀もかかって形成されたのである。その上、偉大な国民は、その隣人達によって評価されることは稀である。われわれドイツ人も、多くの悪い思い出を持った多くの国民を持っている。特に、われわれは、どうしても愛されたいと思うことを止めるべきだろう。愛好は強制することはできないし、裏切られた希望は、結局、フラストレーションしか生まない。むしろわれわれはフランス人から学ぶべきだ。彼らは、人が彼らを好んでいるかいないかを余り気にかけない。もっと平然としていることが得策である。特にわれわれの過去を思い出させる記念日の数は、確かに減ることはないのだから。
[訳者の感想]ドイツ人がいくら過去についてついて謝罪しても、相変わらずイギリス人あたりから、いろいろと文句をつけられていささかうんざりしているドイツ人の考えかたが良く分かると思います。日本人は、もう少し自己反省すべきだとは思いますが。フランス人は、他国民の評価を余り気にしないというのは、面白いとおもいました。
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「日本政府は、北朝鮮のミサイル発射を冷静に受け止める」と題する『ヴェルト』紙の5月3日の記事。

2005年05月03日 | 国際政治
北朝鮮は、明らかに短距離ミサイルを日本海に向けて発射した。隣国の日本と韓国は、--平壌の脅しに最も関わりがあるのだが、--動揺した様子はない。日本と韓国は、昨日、ミサイルを意識的に軽視した。日本の官房長官は、「このようなテストは、時々行われている。射程100キロのミサイルは、日本にとっては危険ではない」と述べた。「このようなミサイルが核弾頭をつけているかもしれないということは、ありそうにない。このミサイル発射テストは、実際の核問題とは全く関係がないと、彼は述べた。
 この点に問題がある。平壌の問題になっている核計画を巡る北朝鮮とアメリカとの間の争いは、先鋭化している。隣接諸国は、憂慮している。言葉はますます激しくなり、刀をガチャつかせる音がますます大きくなっている。ワシントンは、先週末、ある報告を公表したが、それによれば、北朝鮮は、6月にも地下の核実験を行う予定である。来月には両国の間の対決が行われるだろう。
平壌は、ブッシュ政府が北朝鮮の要求を呑まないならば、今後三ヶ月以内に燃料棒を取り外し、核兵器の製造をするだろうと告知した。これに対して、ワシントンからは、昨年六月に開催された六ヶ国会議が一年後に開かれない場合には、北鮮のどたばた劇に対するアメリカの堪忍袋の緒が切れるだろうという声が聞こえる。核戦力のデモンストレーションは、確かに、後戻りの効かない一歩であるだろう。金正日総書記は、もはやアメリカの譲歩を望むことはできないだろう。アメリカは、当然、北朝鮮に対してもっと厳しい処置をとることができよう。
核実験は、金正日政権がこれまで貫いてきた戦略的な両義性、つまり脅迫的態度と外交的な乞食行為を壊してしまうだろう。明白さが欠けていたので、隣国はこれまで北朝鮮を公式に核保有国だと宣言することを避けてきた。そして、それに対応する帰結を引き出すことを避けてきた。東アジアの安定性を極度に危険にする帰結を避けてきた。
 そういうわけで、北京とソウルと東京は、火に油を注ぐ代わりに、話し合いをしようとしてきた。北京のバランス外交は特に困難であった。アメリカによって主要な仲介者に選ばれたので、中国政府は、北朝鮮を確かに抑制しようとしているが、隣国における混乱と避難民の流入と政権の崩壊に対する恐れから、余りに大きな圧力を加えることを避けてきた。韓国も接近と兄弟国をなだめる試みの政策に賭けている。
しかし、アメリカは、北朝鮮の策略にうんざりしている。アメリカは、この議題を国連総会にかけようとしている。だが、中国と韓国はそれは避けたい。なぜなら、その場合には彼らは立場を明確にしなければならないだろう。既に一度、国連の原子エネルギー査察委員会が2003年2月に北朝鮮の件を常任理事会にかけようとした際に、中国の抵抗で失敗したからである。
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「自白がなければ、罪もない」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年04月28日 | 国際政治
「犯人意識と犠牲の神話と自己憐憫--日本の過去との関わりとその隣人の反応」という副題を持ったウーヴェ・シュミットの論説。
ワシントン発:日本は8月15日にその戦後の最も孤独な日々の一つを耐えなければならない。ジャカルタやマニラやホー・チミン市やシンガポールや台北やソウルや平壌や北京の人々は、お祝いや慰霊の列を作って、優越感から彼らを「三等市民」と蔑み、白人の植民地支配から解放するという名目で破滅的な戦争に巻き込んだ国を指さすのだ。それだけでは十分ではない。ロンドンやパリやモスクワやキャンベラやウェリントンの白人達は、確かに抑制してではあるが、勝ち誇るだろう。日本が降伏文書に調印した9月2日には、悪循環は、ハワイでのアメリカの日本に対する戦勝記念日でもって、閉じられるかもしれない。
 戦勝国は、日本が戦争の責任を理解もせず、代償を払いもせず、それ故時代錯誤的な自己理解にとらわれたままであるという状態にあることに責任がある。それは攻撃者を犠牲者に変えた原爆投下と共に始まった。当然の同情の壁の背後で、何十年も集団的自己憐憫が蔓延するのを許された。犠牲の神話は、占領国の長年の秘密主義的政策に助けられて、記憶が薄れるにつれ、次世代に知識を教えないことによって、成長した。日本の核アレルギーと平和主義は、尊敬に値するが、それは情緒的であり、気分的なものである。それらは日本の国体の血の純潔さと生まれの良さを強調する日本の人種主義と連合国のプロパガンダにおいて、ナチとジャップとを区別する西欧の人種主義の反映である。彼らはドイツ人の中にいる敵とそうでない者とを区別したが、日本人はすべて「敵」であった。ヒロシマとナガサキの原爆投下の数日後に、トルーマン大統領は、何ら遺憾の意を表すことなく、「獣と関わっているのなら、彼らを獣として扱わなければならない」とある私信のなかで(原爆を投下した理由を)説明した。
 ヒロヒトはヒットラーではなかった。ナチ的な心情をもった官僚や将校の、暴行の限りを尽くす軍隊を中国や日本の植民地であった台湾や朝鮮に投入しようという試みは、失敗した。「聖戦」における日本軍の嫌悪すべき残虐や虐殺は、(ナチの)ホロコーストではなかった。中国側の資料によれば、20万人が虐殺された南京においても、1945年2月と3月において殆ど10万人の民間人が日本軍によってかアメリカ軍の空襲によって殺されたマニラにおいても、一民族を工場的なやり方で絶滅することはなかった。朝鮮人は、日本名を名乗り、神道の神々を礼拝し、自分たちの言葉を否定し、従軍慰安婦となるように強制された。南京では、6週間の間に、少なくとも2万人の女性が強姦された。空中に投げ挙げられた赤子を銃剣で突き刺している写真が存在する。召集される前は、百姓であったものが、司令部が大目に見たために、支配者として人を殺した。人間の想像を超えたに違いない虐殺は、血に飢えた家庭の父や職人や米作りの百姓によって、天皇の名においてなされたのだ。
ヒロヒト天皇は、連合国が望むならば、戦争裁判でそれらの出来事を耳にしただろう。アメリカ人は天皇が共犯者であることを選んだ。天皇は神であることを断念した。すべての臣民は、弱々しく聞き取れない声で読み上げられた8月15日の「終戦の詔勅」を知っている。それは多くの者が何を信じているかを明らかにした。「帝国の存続と東亜の安定を確保するために、われわれは米国と英国に宣戦を布告したのであって、他国をわれわれの主権に従わせたり、あるいは領土を占領せんとする意図に出たものではない。」有名な箇所で、天皇は、「耐え難き耐えん」と決意した和平の意志を明らかにした。天皇はこのように語り、彼が勅語を述べている最中に、彼の臣民の何人かは腹を切った。他の臣民は、謙虚に占領軍に服従し、西欧の国々との長い競争に着手した。
 あの戦争が日本では統一的な名称を持たないことは不思議ではない。「太平洋戦争」という呼び名と並んで政治的な色彩に応じて、異なった名称で呼ばれている。極右は、あの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ。左翼自由主義者は、1931年の満州事変から数えて、「15年戦争」と呼ぶ。ドイツ人が第二次大戦を婉曲に「崩壊」と呼ぶように、日本では「暗い谷間」というような呼び名が使われる。学校では、攻撃的戦争は、「事変」とか「前進」という決まり文句で矮小化される。品位を持ち貴族の出であった細川護煕首相が1993年夏に、あの侵略戦争をずばりその名で呼んだとき、まるで彼が天皇自身を殴ったみたいに、愛国者達は吠え立てた。
 白状しなければ、責任がないかのように、終戦に以来振る舞ってきたことは、日本の外交の重大な間違いである。北京とソウルが経済力をつけて、型どおりの憤激で靖国参拝や図々しい南京虐殺を否定する人たちをやり玉に挙げた1970年代の初め以来、日本の責任追及は、跡を絶たない。田中角栄首相がニクソン・ショックの中で、北京で日中国交正常化をしたとき、彼は日本の罪責として賠償支払いをしないという愚行を犯した。北京は、寛大な人を演じ、田中は彼の安直な和解をしたことで祝福された。だが、北京は賠償を諦めることによって何十年も金を搾り取り、東京を政治的に恐喝することができるということを予想しなかった。
 日本とドイツは、どちらも、侵略者であり、負けたが故に戦争に勝った国だが、この比較は、分かりやすいと同時に、誤解を招くものである。日本人は、人種イデオロギー的な民族抹殺はやらなかった。ナチの裁判官によって下された何万人もの死刑宣告とゲシュタポのテロ行為とは、日本で60人ほど殺され、1600人ほど拷問と病気で収監中に死んだ政府の反対者とを、比較することはできない。
 これらすべてによっても、アジアでは日本に有利にはならない。どんな懺悔も、許しを請うことも、どれほどの金を積んでも、天皇が南京でブラント首相のように膝を屈することも、反感を解消しない。日本の右翼がすべての和解の裏を掻こうと可能なことをやるからだけでなく、かっての被害国にとっては、金持ちの犯人は、貧乏な罪人と同じぐらい貴重だからである。
訳者の感想:アジアにおける日本の立場をよく見ていると思います。最後の箇所を読むと何をしても日本は中国や韓国の非難を回避することはできないように見えます。日本とドイツの戦争犯罪の性質が違うことをはっきり指摘している点が、ドイツ人らしいと思います。
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「中国に教科書を送ろう」と題するドイツの『ネット新聞』の記事。

2005年04月26日 | 国際政治
ドイツの『ネット新聞』というサイトで見つけたヨアヒム・ヘルファーという人の記事。
 中国とその隣人である日本及び台湾の間の緊張は、最悪の場合新しい世界大戦になるかもしれない。にもかかわらずドイツのシュレーダー首相は、中国に武器を供給しようとしている。
 中国を孤立させたくないと首相は言うが、彼は連邦議会やヨーロッパ議会の多数派とは違って、中国へ再び武器を供給したいのだ。中国がグローバルな経済においてとっくに遙かに重要な市場となり、供給者となっているので、中国を孤立させることはできないということのほうが、恐らくもっと真相に近い。
 中国は自分で自分を孤立させることはできるし、実際、中国は、その何千年もの歴史において繰り返しそうしてきたのだ。けれども中国が自分の周りの出来事に参加し、それに干渉しようとようと決めれば、日本と台湾とが孤立するのだ。
1.歴史的責任
 両方の国に関して目下緊張が示されているとすれば、その緊張は、ドイツの法に従って、武器の供給を禁じるだろう。初めに、中国の全国人民代表者会議は、何十年も自己を統治してきた台湾に対して、台湾が独立を宣言すれば、この島を力づくで中国に取り戻すぞと脅した。
 次に、中国の多くの都市で、激高したデモ隊が日本人の会社や商店を壊した。引き金になったのは、人種主義的な征服戦争の残虐行為に対する争う余地のない罪責を、70年代以来ドイツの教科書で普通であったほどは、仮借なく告白し、遺憾としていない日本の教科書であった。
2.中国に対する開発援助
 自分の歴史に向き合うこのドイツらしいやり方は、われわれの独特の文化の表れであり、われわれの文明の断絶を初めて可能にした徹底性の産物であって、そのようなものは、ラテン的色彩の強い他のヨーロッパの隣人においては、考えられない。
 保たれなければならない「メンツ」という全く別の概念を持っている東アジア人達は、自己暴露におけるドイツ的な徹底性をお互いに期待することはできない。日本が中国人に与えた苦痛を何度も遺憾としたこと、日本がそれ以外に中国に対する寛大な開発援助を与えてきたということは、中国のデモ参加者にとっては大したことではないか、むしろ知られていないのである。
 いずれにしても、中国の街頭で見られる、日本の教科書には日本国家の責任があるとする行為は、この無知によって説明される。そして国連の安全保障委員会の常任理事国になりたいという日本の願望にデモ参加者は教科書を理由にして反対した。(他人についての)自分自身の経験が欠けているために、他人のイメージを自分自身から導き出すのは、孤立したものの間違った推論である。中国では教科書は、国家自体である共産党の公式見解を反映している。(だから、日本の教科書も日本政府の公式見解だと中国人は考えている。訳者の補注。)
 日本には、多元的で民主主義的な社会の体制を越えるような国家の主義主張がないだけなく、教科書を執筆するような役所も存在しない。しかもそれはまさに日本を戦争の冒険へと駆り立てた中央によって操作されたナショナリスティックな煽動についての経験にもとづいてそうしているのだ。
3.周期的孤立
 現在の緊張が中国側の無知に基づいているのだとしたら、その緊張は日本の教科書に対する批判によってよりもむしろ中国の生徒に隣国との複雑な関係についてのもっと真実らしいイメージを与えるような教科書を与えることによって解決される。実際、中国の生徒や学生に自由に検閲や監視なしにインターネットでサーフィンすることを許すほうがもっと簡単だろう。自分を周期的に世界から切り離すという中国の伝統に従ってこのことがまさに中国では厳しく禁じられており、コントロールされている。
4.傲慢とコンプレックス
 その際危険のは、態度であるよりも、その不整合、その時代錯誤である。地上最大の国民経済を運営している中国は、その息を呑む上昇を残りの世界との交流によって到達したのである。その結果、中国は以前よりもより強くなったが、残りの世界から切り離されず、むしろ依存するようになった。その国境を越えた他の市場や資源に依存するようになった。
 この自分の力と自分の依存性について意識するには、他国との関係や他国の利害を正確に知ることが必要となる。そのような正確な知識がない場合には、容易に自己の過大評価と劣等感に基づく傲慢が生じる。これまではうまくいかなかったが、これからは、力づくでも敵対的だと思われる世界に対してすべてを手に入れようという勘定に基づく傲慢が生じる。
5.共産主義の代わりにナショナリズム
 中国国内で経済だけは自由化されるが、政治は自由化されることが少ないのと同様に、中国は他の世界と商品だけはやりとりするが、情報や思想はやりとりすることが少ない。この二つの矛盾は、同じメダルの両側である。中国共産党も中国政府も、この矛盾を見ている。もっと長く困難を切り抜けて自分を救う唯一の可能性は、もはや共産主義的プロジェクトに基づいてではなく、ナショナリスティックなプロジェクトに基づいて、その権力を正当化することである。台湾に対するむき出しの脅しも、繰り返される日本の謝罪を認めることを拒否し、日本の施設に対する攻撃を謝罪することを拒むのもこの戦略の一部である。
6.他人の愚行から学ぶ
 中国政府は、自分の人民の中で解き放たれたエネルギーを民族的な感激としてナショナリスティックな憎悪として外に向けて操れると計算している。しかし、一度呼び覚まされた魔力をお払い箱にしようする自分の力を過大評価することは危険である。
 資本主義の法則に従って、避けることのできない成長の危機がくると、この民族的な波は、共産党を攻撃的戦争に巻き込む。1871年(ドイツが普仏戦争に勝った年)と1945年の間のヨーロッパの歴史を知っている者は、シナ海を巡る状況に関して、そこでは新しい世界大戦が発酵しつつあるという結論に導かれる。
 人類最古の文化民族が、ドイツ人や日本人よりは少し賢明であるということが望まれる。シュレーダー首相に忠告できることは、中国人に武器ではなくて、ドイツ史についての教科書を数百万冊提供することである。
訳者の感想:中国を巡って世界大戦が始まるかもしれないと言う主張は、いささかオーバーだと思いますが、かえってヨーロッパ人のほうが今のアジアの情勢を危機的であると感じているようです。日本の歴史だけでなく、中国の歴史もより客観的なものにしなければならないと思います。
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