中国と日本という極東の二つの重量級がこの数週間、リング上の格闘に乗り出した。表面的には、彼らは過去について争っているが、実際に問題になっているのは、東アジアの政治的顔の将来である。
日本がその破壊的な帝国主義的局面を今日まで知らぬ振りをしたために、その隣人やかつての犠牲者に攻撃の武器を与えているのだが、それは日本の戦争の過去とは限られた程度でしか関係していない。公の場での謝罪--最も最近の謝罪は、ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議でなされたのだが、--にもかかわらず、今日まで東京の政府は、残虐で血まみれの帝国主義の克服を真剣に行っているということを一度も立証したことがない。反対に、とっくに信頼でき安定した民主主義的世界の一員である公式の日本は、問題のある靖国神社参拝や戦争犯罪を押し隠す歴史教科書でもって政治的歴史的無神経さを繰り返し、軍国主義的な過去の遺産に清算することができていない。
その政治的行動において歴史を引き合いに出すことが好きな中国の支配者にとって、過去を処理できない日本の無能力を自分の目的のための手段にするのは容易である。そういうわけで、国連の安全保障理事会の常任理事国になりたいという日本の要求を退けることが問題となっている現在の争いにおいてもこの手が使用されている。もっとも日本の経済力と国連に対する財政的貢献度から見れば、このような要求は正当化されるだろうが。
中国と日本の両国関係が過去数週間の間に注目すべきテンポで最低点に達したということは、この地域における中国の経済力の台頭が持つ政治的影響を際だたせるものである。独裁的な中国を脅威であると感じているのは、日本だけではない。東アジアの他の国々も、非常に集中した経済関係によって彼ら自身がその片棒を担いでいる中国の増大する地域政策的な重要性を疑惑の目で見ている。中国の攻撃性と外国人嫌いの爆発は、隣人達には脅威である。
ヨーロッパと違って、東アジアは、多国間の協力や統合という政治的に安定させるメカニズムを知らない。ここでは、いまだに、先ず第一に自分のことを考え自分一人で決定するという国民国家の原理が通用している。対立は二国間で話し合われる。そういうわけで、この地域で北朝鮮に対して十分な圧力を加えることは困難である。なぜならば、韓国と日本と中国は、北朝鮮の核による脅迫的マヌーバーに異なった対応をしているからである。それは、自分自身の利害関係と北朝鮮との特殊な結びつきにとに対応している。
このような国民国家的条件の下では、のし上がりつつある力に対する不信は、当然ながら特に大きい。中国の具体的な事例においては、疑惑は、政治的にかなり鈍感な独裁制と関わっているがゆえに、なお強められる。日本と中国との間の現在の冷え込んだ関係が示すように、このような不信を強い経済的関係も変えることはできない。
中国は経済的な路線において世界と向き合おうとし、何十億ドルもの市場の投資天国という魅力で誘惑しようとしている。インドでの温家宝主席の登場は全くこの意味での演出である。両方の経済の相互の補いとそこから引き出される利益が問題となった。未解決の国境問題は、経済的な協力という文脈に従属させられた。中国とヨーロッパの接触もこの方式で行われる。北京政府は、フランスとドイツとは特に密接な関係を結んだが、その理由は、中国がシラク大統領とコール元首相とシュレーダー首相とに無批判でオポチュニスト的なパートナーを見いだしたからである。
しかし、中国の東では、中国と日本の間の経済交流にもかかわらず、友情は深まらなかった。台湾問題においても、密接な経済関係は、北京と台北の間に緊張緩和をもたらさなかった。経済的な関わりは、国際間の安定を保証しないのである。
北京の権力者にとって、日本との争いは、国内的な要素も持っている。反日的デモは、政権の目には、愛国主義の発露であると見える。今日なお、中国共産党は、1930年代40年代の日本占領軍に対して抵抗したという事実から彼らの無制限な支配の合法性の根拠を導き出している。その限りでは、公的なデモ行為を悪魔がお払いの水を恐れるように、恐れている中国当局が、反日的デモには展開の余地を与えたというのは不思議ではない。しかし、それは彼らにとっては気分の良いものではなかったように見える。なぜならば、愛国的デモは、中国では、過去において、常に政権に対する批判に転化したからである。いずれにしても、最近の抗議は、国営のメディアにおいては、何の反響も見いださなかった。
ヨーロッパの責任ある中国政策は、中国が経済的な上昇志向にかかわらず、何らの法治国家的なコントロールに従わないその独裁的な指導のゆえに、地域政治的にも世界政治的にも真に信頼できる政治的大物とは見なされないということを勘定に入れなければなるまい。それとは対照的に、民主的な日本というライバルは、戦争の過去を十分に清算はしてないけれども、国際政治においては、はるかに信頼できるパートナーなのだ。
訳者の感想:日本の弱点も認めた上で、中国よりも日本のほうが信頼できるパートナーだと言っています。ドイツやフランスが対中武器禁輸政策を撤廃しようとしていることに対して警告を発している論説です。
日本がその破壊的な帝国主義的局面を今日まで知らぬ振りをしたために、その隣人やかつての犠牲者に攻撃の武器を与えているのだが、それは日本の戦争の過去とは限られた程度でしか関係していない。公の場での謝罪--最も最近の謝罪は、ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議でなされたのだが、--にもかかわらず、今日まで東京の政府は、残虐で血まみれの帝国主義の克服を真剣に行っているということを一度も立証したことがない。反対に、とっくに信頼でき安定した民主主義的世界の一員である公式の日本は、問題のある靖国神社参拝や戦争犯罪を押し隠す歴史教科書でもって政治的歴史的無神経さを繰り返し、軍国主義的な過去の遺産に清算することができていない。
その政治的行動において歴史を引き合いに出すことが好きな中国の支配者にとって、過去を処理できない日本の無能力を自分の目的のための手段にするのは容易である。そういうわけで、国連の安全保障理事会の常任理事国になりたいという日本の要求を退けることが問題となっている現在の争いにおいてもこの手が使用されている。もっとも日本の経済力と国連に対する財政的貢献度から見れば、このような要求は正当化されるだろうが。
中国と日本の両国関係が過去数週間の間に注目すべきテンポで最低点に達したということは、この地域における中国の経済力の台頭が持つ政治的影響を際だたせるものである。独裁的な中国を脅威であると感じているのは、日本だけではない。東アジアの他の国々も、非常に集中した経済関係によって彼ら自身がその片棒を担いでいる中国の増大する地域政策的な重要性を疑惑の目で見ている。中国の攻撃性と外国人嫌いの爆発は、隣人達には脅威である。
ヨーロッパと違って、東アジアは、多国間の協力や統合という政治的に安定させるメカニズムを知らない。ここでは、いまだに、先ず第一に自分のことを考え自分一人で決定するという国民国家の原理が通用している。対立は二国間で話し合われる。そういうわけで、この地域で北朝鮮に対して十分な圧力を加えることは困難である。なぜならば、韓国と日本と中国は、北朝鮮の核による脅迫的マヌーバーに異なった対応をしているからである。それは、自分自身の利害関係と北朝鮮との特殊な結びつきにとに対応している。
このような国民国家的条件の下では、のし上がりつつある力に対する不信は、当然ながら特に大きい。中国の具体的な事例においては、疑惑は、政治的にかなり鈍感な独裁制と関わっているがゆえに、なお強められる。日本と中国との間の現在の冷え込んだ関係が示すように、このような不信を強い経済的関係も変えることはできない。
中国は経済的な路線において世界と向き合おうとし、何十億ドルもの市場の投資天国という魅力で誘惑しようとしている。インドでの温家宝主席の登場は全くこの意味での演出である。両方の経済の相互の補いとそこから引き出される利益が問題となった。未解決の国境問題は、経済的な協力という文脈に従属させられた。中国とヨーロッパの接触もこの方式で行われる。北京政府は、フランスとドイツとは特に密接な関係を結んだが、その理由は、中国がシラク大統領とコール元首相とシュレーダー首相とに無批判でオポチュニスト的なパートナーを見いだしたからである。
しかし、中国の東では、中国と日本の間の経済交流にもかかわらず、友情は深まらなかった。台湾問題においても、密接な経済関係は、北京と台北の間に緊張緩和をもたらさなかった。経済的な関わりは、国際間の安定を保証しないのである。
北京の権力者にとって、日本との争いは、国内的な要素も持っている。反日的デモは、政権の目には、愛国主義の発露であると見える。今日なお、中国共産党は、1930年代40年代の日本占領軍に対して抵抗したという事実から彼らの無制限な支配の合法性の根拠を導き出している。その限りでは、公的なデモ行為を悪魔がお払いの水を恐れるように、恐れている中国当局が、反日的デモには展開の余地を与えたというのは不思議ではない。しかし、それは彼らにとっては気分の良いものではなかったように見える。なぜならば、愛国的デモは、中国では、過去において、常に政権に対する批判に転化したからである。いずれにしても、最近の抗議は、国営のメディアにおいては、何の反響も見いださなかった。
ヨーロッパの責任ある中国政策は、中国が経済的な上昇志向にかかわらず、何らの法治国家的なコントロールに従わないその独裁的な指導のゆえに、地域政治的にも世界政治的にも真に信頼できる政治的大物とは見なされないということを勘定に入れなければなるまい。それとは対照的に、民主的な日本というライバルは、戦争の過去を十分に清算はしてないけれども、国際政治においては、はるかに信頼できるパートナーなのだ。
訳者の感想:日本の弱点も認めた上で、中国よりも日本のほうが信頼できるパートナーだと言っています。ドイツやフランスが対中武器禁輸政策を撤廃しようとしていることに対して警告を発している論説です。