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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「イスラエルの植民地主義戦術を非難」と題する『アルジャジーラ・ネット』の記事。

2009年01月10日 | 国際政治
アラブ・イスラエル問題のアナリストで、元イスラエルの国会議員であったアズミ・ビスハラは、ガザ戦争についてのイスラエルのメディア・キャンペーンを攻撃して、この戦争が被害者を犯人扱いし、植民主義者を被害者にしていると述べた。火曜日に「アル・ジャジーラ」とのインタービューで、ビスハラは、ガザに対するイスラエルの攻撃は、不釣り合いであり、ガザ地域におけるイスラエルの既成事実に頭を下げないという理由で、パレスチナ人達を罰しているのだと述べた。
「ある国民を集団的に処罰する理由は、彼らが、抵抗運動や民族解放運動を罰したいからである。それは、植民地主義的な勢力が、やったことだ。そしてイスラエルが現にしていることだ。」
「ガザ地域の大多数は難民であって、彼らの先祖は、いまイスラエルがいる場所に住んでいたのだ」とビスハラは言った。
「ガザ地域の住民の75%が難民だということは誰でも知っている。イスラエルが、軍事的にはガザから手を引いたが、経済的政治的にはそこを占領し、ガザを包囲していることは誰でも知っている。」
「もし、普通の国がロケット攻撃で脅かされたら、何をするか。彼らは行動するだろうとイスラエルは言うだろう。だが、イスラエルは普通の国ではない。それは占領国であり、植民主義国家であり、ガザの住民は、包囲されたままだ。」
パレスチナ人達は、2006年に行われた民主的な選挙でハマスを選び、イスラエルの高官が彼らの嘘をドラマチックにするのを非難したために罰せられているのだ」と、ビスハラは言った。
シモン・ペレス・イスラエル大統領に「もし、あなたの家が包囲され、子供に食べさせるものがなく、学校へもいけず、病気になっても、医者へも連れて行けなかったら、あなたなら何をするか」と尋ねると良い。
「ハマスのロケットは、多くの人間を傷つけていない、ほんの数人だ。ロケットは、彼らの意志を表現するための貧者の武器なのだ。」
「自分たちの政策がパレスチナ人達の意志を挫くように作用しなかったとき、イスラエルは、ロケットは、包囲に対する返事だということを悟った。彼らは、直接的軍事行動という次の局面に移った。この軍事行動は、今やパレスチナ人の民主的選択に対して彼らを罰するために市民に直接向けられている。」
「次に起こることは、ロケット発射が終われば、包囲を終わらせるための停戦である。これほど多くの人々が死んだ後で、停戦が行われるだろう。」
{訳者の感想}ビスハラという人物は、多分、パレスチナ系のイスラエル人だと思われます。
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「われわれは永久に隣人であるだろう」と題する『ツァイト・オンライン』の記事。

2009年01月02日 | 国際政治
著名な政治家・作家・平和運動の代表者達は、どうしたら、中東の共存が暴力なしに可能になりうるか議論している。軍事力の投入は、永続的な解決をもたらさず、イスラエルがパレスチナ人への譲歩をしなければならないと言うことでは皆一致している。
イスラエルの反戦活動家達は、停戦にチャンスを与えるためには、ハマスがロケット攻撃を止めることを要求している。作家のアモン・オズは、イタリアの新聞『コリエレ・デラ・セラ』に「暴力行為のエスカレーションに責任があるのは、ハマスだ」と書いている。オズは、1963年の「六日戦争」と1973年の「ヨム・キップル戦争」に兵士として参加した。後に彼はイスラエルとパレスチナの間の和解ために努力した。彼は[ドイツ書籍相組合の「平和賞」の受賞者であり、「ピース・ナウ」運動の創設者の一人だ。この69才の作家は、妥協を提案している。ハマスがロケット攻撃を止めたら、イスラエルはガザ地帯とイスラエルとの国境を開くべきだと。そうやれば、究極的な停戦は実現されるだろう。
イスラエルの元駐独大使だった、アヴィ・プリモールも、国境の遮断を止めることを推奨している。彼はエジプトの仲介に期待している。パレスチナ人も守れる戦闘停止が必要だと彼は言う。「目標は、ハマスやその政権を壊滅させることではないし、まして、ガザ地帯の再占領ではない」とプリモールは、ドイツのラジオ放送で述べた。「目標は国境線に沿って平和をもたらすこと、ハマスがロッケトでわれわれを攻撃することをできなくするような新しい状況を作り出すことだ。」(以下省略)
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「アメリカは、歯を食いしばってがんばり抜くだろう」と題する『ツァイト・オンライン』の記事。

2008年12月31日 | 国際政治
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シンガポールの元首相りー・クワン・ユーの見解によれば、金融危機にもかかわらず、米国は、まだ、数十年間経済的にも軍事的にも台頭しつつある中国よりも優勢であるだろう。今後、20年間に中国の軍事力は、遙かに攻撃力を持つようになるだろうが、彼らは当分はアメリカの後ろに取り残されるだろう。中国人達は、30年、40年、50年間は、米国を挑発しないだろう、と1959年から1990年までシンガポール首相だった85才のリーは、述べた。
アメリカの経済的将来について、リーは、「10年から15年ぐらいの間は、再び活性化したアメリカが見える。もはや、すべてに優越した勢力ではないが、あいかわらず、世界の最大の国民経済を持っている。もっとも、米国は、彼の見解によれば、危機を克服するのに助けを必要としている。米国だけでは、この危機は解決できない。彼らは、欧州、中国、インド、そして多分ブラジルを取り込まなければならない。
模範としてのアメリカに対する世界の信頼は揺るがされた。誰も、もはや、ワシントン合意を信じない。それによれば、自由市場と民主主義さえあればいい、すべてはうまくいくはずだった。誰も、もはやこのことを信じない。欧州でも、アジアでも、ラテンアメリカでも、それどころかアフリカでも誰も信じていない。
 経済危機や企業の倒産が社会不安を引き起こした場合、中国は強硬な国家指導を行うだろう。暴動が広がるリスクを、犯さないだろう。万一、そういうことになれば、暴動は徹底的に弾圧されるだろう。これは、人権についての繊細な考察や、世界がどう考えているかによってたじろぐような政府ではない。「中国政府に関心があるのは、秩序と安定であり、政権の生き残りであり、一党支配国家の生き残りである」とリーは述べた。
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「勢力は増えたが、投資は減った」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2008年09月12日 | 国際政治
9月11日発:モスクワの目から見ると、アメリカからのろくでもないニュースはしばらく前から日常茶飯事になった。二頭立て馬車のプーチンとメドヴェージェフにうれしいことに今度は少し違っている。火曜日のワシントンの国会での聴聞会で、米国政府は、グルジャ政府が主張するように、グルジャは、8月7日、南オセチアへの攻撃でロキ・トンネルを通って北オセチアから南オセチアへ進入するロシア軍を食い止めようとしたのだということについて確たる認識を持っていないということを明らかにした。このことの結果、サーカシュヴィリ・グルジャ大統領の信用性が西側では低下している。しかし、同様に、聴聞会では、多くの外国人と何人かのロシア人が共有する考え方、つまりモスクワがグルジャを5日戦争をするように挑発したのだ考え方が明らかになった。
 ロシア軍のグルジャへの進軍がロシアの並はずれて厳しい措置であり、グルジャの部分的占領や、中間地帯や南オセチアでの民族浄化措置は受け入れられないという点では西欧側は意見が一致している。だが、コーカサス南部におけるロシアの軍事的政治的プレゼンスは強力になった。4月のブカレストでのNATOサミットでグルジャはいつか北大西洋同盟の一員になってもかまわないということが決定したが、その直前と直後に、ロシアは、グルジャと西欧に対する関係についての目標をはっきりさせた。ロシア外相ラヴロフは、「われわれはグルジャがNATOの加盟国になることを防ぐためにあらゆる手段を講じるだろう」と言った。(中略)
 主権を持った他国にロシア軍の戦車が進入したことは、ソヴィエト時代を思い出させた。モスクワは、西欧との経済関係でかなり大きな永続的な拒否を受けるだろうとは予測していなかった。相互依存はあまりに大きい。
 資本市場は、そうこうするうち、別の法則に従っている。この戦争の一つの結果は、外国の投資家が資本をロシアから引き上げ始めたことである。たしかに、この現在の展開は、6月以来観察されたえた趨勢のなかに埋め込まれていた。だが、資本の流出は、戦争によって加速された。ロシアは、先月、数百億ドルの投資資本を失ったが、まだ6千億ドル(60兆円)の外貨を持っている。モスクワ証券取引所における株価の下落もロシャの投資ファンドからの資本逃避と同様、戦争のせいである。
 投資銀行のゴルドマン・サックスは、ロシャ市場は限定された動揺を何とか消化しただろうと推定している。何人かのアナリストは、ロシアは、この種の損失をコーカサス戦争政策の代価として受け入れたのだの言っている。それが予想通りかどうかは、まもなく分かるだろう。
[訳者の感想]グルジャ相手の戦争でロシアは、再び、帝国主義に復帰したのだという説がありますが、グローバル化がこれだけ進むと、外国人の投資が減って、ロシアは経済的に苦しい状況に追い込まれるかもしれません。ロシャにとってもこの戦争は高くついたようです。

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「ロシア人は占領という美酒に酔っている」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2008年08月18日 | 国際政治
ゴリ発:アレクサンダー・ロマイアは、ここ数日、ほとんど寝ていない。安全保障会議のグルジャ人議長の目の隈は、ストレスの証拠だ。グルジャ軍とロシア軍の戦線の間を往復することで、この政治家は、ロシア軍を約束された撤退させようと、また、少なくとも援助物資のための通過許可を手に入れようと試みた。彼は多くの成功を示すことができない。今日正午、彼は戦略的に重要な都市であるゴリの中央広場に腕をまくり上げて立っていた。「撤退は話題になっていない。むしろ、彼らは彼らが見張っている地域を広げている。」ロマイアの目の前には、巨大なスターリンの銅像が光っている。(スターリンは、グルジャ人でした。)
 交渉人が述べたことは、ゴリへ来る途中で容易に見ることができる。首都チフリスから20キロ離れところで、グルジャ軍がコントロールする地域は終わっている。道を回るとそこには、ロシア軍部隊がチェックポイントを築いている。彼らはジャーナリストだけを通す。周りの丘の上にある砲兵陣地や狙撃陣地は、ここを誰がコントロールしているかを、はっきりと示している。モスクワからのあらゆる言明にもかかわらず、この状態は当分の間続くだろう。明らかにロシア人は、軍隊をグルジャに向けて動かしているが、撤退の兆候はない。コントロール地点の態度で分かる。自分の国にいる警察官のように、彼らは丁寧に車を止める。「ノー・プロブレム」と言って、後は高笑いが響く。
 ロシア人達は、戦闘停止協定に署名した後も自分たちの意志を貫こうとしているように見える。それがどういうことを意味しているかは、ジープでこの地域を巡回している太ったボリソフ陸軍大将が述べている。「われわれには、ここでは、平和を維持するという使命がある。諸君には、ここのどこかに警察やグルジャ軍は見えるかね。われわれは略奪者を逮捕し、町をコントロールしているのだ」と彼は言う。
 グルジャ政府は、ロシャ人のすることを只見るだけだ。グルジャ軍は、首都チフリスの周囲に集結している。ロマイアの警護人が携帯で見せたところでは、武器庫は空っぽ、兵営も空っぽ、駐車場も空っぽである。以前にはグルジャ人の誇りであった軍事拠点をロシア軍は完全に非軍事化した。(後略)
[訳者の感想]ロシアはできるだけ長くグルジャを占領するつもりのようです。
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「南オセチアは、なぜ重要か」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年08月12日 | 国際政治
1.なぜ、戦争が勃発したか?
 ロシアとグルジャの間の軍事対決で、問題になっているのはオセチア自治州である。国際法上は、面積4千平方キロメートルで人口7万5千人を数えるこの領土は、グルジャに属している。もっとも、多くのオセチア人は、ロシア国籍を持っている。1999年に南オセチアは、独立の共和国であると宣言した。だが、それは国際的には承認されなかった。グルジャは、その領土上の統一を主張しており、独立を認めていない。
2.なぜ、南オセチアは、重要なのか?
ロシアにとっては、南オセチアを再び併合することで大事である。だが、多くの人はそれは口実にすぎないと見なしている。恐らく、この地域を通る資源とパイプラインをコントロールすることがロシアにとっては重要である。
3.兵力関係はどうなっているか?
 ロシア軍は、39万5千人の兵士を持っており、これに対して、グルジャには、たった1万8千人の兵隊しかいない。ロシア空軍は、16万人を擁しているが、グルジャ空軍には、たった1300人しかいない。ロシア陸軍は、2万3千台の戦車と兵員輸送用の装甲車を9千輌持っている。数万の大砲と1,736機の戦闘機を持っているが、グルジャは、戦車128輌、兵員輸送用の装甲車44輌、109門の大砲と戦闘機9機しかもたない。
4.西欧はどのような役割を演じているか。
 ここでは、大国の利害関心が入り乱れている。サーカシュヴィリ・グルジャ大統領は、米国と西欧の支援に賭けている。彼らは民主化と陸軍の増強を援助している。西欧の数カ国は、グルジャの「北大西洋同盟」(NATO)加盟に賛成している。西欧にとっては、特にグルジャを通っていて、ロシアに依存しないパイプラインが重要である。
5.政治的な役者は、誰か?
ロシアの側では、五ヶ月前に選ばれたメドヴェージェフ大統領がいる。彼にとっては、コーカサス戦争は、これまでで最大の力試しとなる。多くの人は、前大統領で現首相のプーチンが手綱を握っていると思っている。グルジャ側には、ミハイル・サーカシュヴィリ大統領がいる。彼はアメリカ贔屓であると思われている。40才になったばかりのサーカシュヴィリの最も重要な目標は、自分の国をNATOと欧州連合の一員にすることであるが、この戦争でこの目標は遠のいてしまった。
6.戦争はどのように行われているか?
『ワシントン・ポスト』の報道によると、グルジャ政府は、ロシアからの「サイバー戦争」に曝されている。そういうわけで、グルジャ外務省のウエッブ・サイトはハッカーによってハッキングされ、サーカシュヴィリは、ナチの格好に変えられた。サイトは、そうこうするうち閉鎖された。経済にとって重要なインターネットのサーバーは、ジャンク・メールでいっぱいになった。
7.誰が戦争に勝つか?
グルジャ国民の間では、神経が参りかけている。サーカシュヴィリ大統領は、昨日夕方、国営テレビで、「グルジャの存続は、ロシアとの紛争で、危機に瀕している。グルジャ国内の目標に対するロシア軍の空爆は、「パニックを起こすだろう」と述べた。「グルジャは、平和以外に何も望んでいない。」ロシア空軍の猛爆後、グルジャは、軍を南オセチアから撤退させた。
[訳者の感想]グルジャは、たいした軍事力がないのに、南オセチアに侵攻したために、国全体がロシアの占領地になりそうです。
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「ロシアの平和部隊の戦争目的」と題する『シュピーゲル・オンラインン』の記事。

2008年08月11日 | 国際政治
ベルリンおよび南オセチア発:紛争は三月以来くすぶっている。だが、それはコントロールされた不安定さの軌道の中で動いていた。ロシアとグルジャの停戦協定が、1992年以来ほとんど習慣となっていたように。8月8日に、グルジャが南オセチアの町チンヴァリを
攻撃したことによって、この凍結した紛争は、熱い代理戦争となった。そのエスカレーションがどこまで進むかは、際限がないように見える。だがそれは、ヨーロッパの安全にとって直接的な影響を持っている。
その際、南オセチアの独自の民族文化とアイデンティティを守り保存することは問題ではない。そうではなくて、自分で任命し、いかなる国によっても承認されていない南オセチアの事実上の政権、エドワード・ココイティの政権が問題なのだ。彼の陰謀は、一方では、ロシアの地政学的利害関心に有利であるが、他方では、グルジャやヨーロッパや米国にも役に立つ。
南オセチアは、5世紀以来、グルジアに属している。だが、1991年以来、。ロシア領の北オセチアとの合併ではなくて、独立を宣言してい。ロキ・トンネルだけが、北オセチアとの連絡道路であり、密輸のルートである。この抜け穴は、ココイティといわゆるロシア平和部隊の手中にある。
ロシアは、グルジャからの独立を唱えるアブハジアにも平和部隊を送った。アブハジアへの黒海艦隊の派遣、グルジャの都市ポチとゴリへの空爆、グルジャの首都チフリスの近くにある航空機工場の空爆は、ロシアがこの紛争をどれほどエスカレートさせたがっているかを示している。モスクワがどれほど、平和勢力であるという公式の役割を演じる気がないかを示している。
実際、問題は、NATOへのグルジャの接近を妨害し、この政策をとっているサーカシュヴィリ・グルジャ大統領を失墜させることである。北京旅行から帰ってすぐこの危機地帯をプーチンが訪問したことは、誰の署名がロシアの介入に賛成したかを示している。同時に、それは、メドヴェージェフ・ロシア大統領の権力がどれほど弱い足に支えられているかも証言している。また、国際法を遵守することについての彼の演説がどれほどの価値を持っているかを示している。
 ロシアの攻撃は、グルジアの領土の驚くべき侵害であり、ロシアの旅券をもったアブハジア人や南オセチア人には領土権はない。
 サーカシュヴィリ大統領が、2004年の「バラ革命」によって権力を握って以来、彼は紛争を鎮めるために、米国とヨーロッパの強力な援助を懇願した。ヨーロッパに関しては、その努力は無駄だった。確かに、紛争の防止が問題である場合には、グルジャは、欧州同盟の近隣プログラムのメンバーである。だが、スエーデンやポーランドやバルト三国とは違って、ベルリンの声は小さかった。民主主義が足りないという批判の背後で、ヨーロッパの連帯に対するグルジャの要求は拒否された。アブハジア紛争を沈静化するためのドイツの外相のイニシャチブは、グルジャの状況がヨーロッパの安全にとってリスクだという認識が目覚めたからである。(後略)
[訳者の感想]グルジャとその領土であるアブハジアおよび南オセチアとの紛争は、ロシアにグルジャ侵攻の口実を与えたようです。西欧各国の対応は後手に回り、ロシアが大きな力を持つようになりそうです。
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「力強く勇気のある演説」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2008年07月25日 | 国際政治
ベルリン発:あらゆる方面からの賛辞。バラク・オバマは、「戦勝記念塔」の下での登場でドイツの政治家達を熱狂させた。
 ベルリン市長クラウス・ヴォーヴェライトは、民主党の大統領候補であるオバマの演説を、強力で勇敢な宣言であると評価した。「それは、米国の政策に新しいアクセントを与え、ベルリンに対する賛歌となった。」と述べた。
オバマは、60年前のベルリン空輸の時代を振り返った。ヴォーヴェライトは、「ベルリン空輸から始まる独米の友情は、世界でどのように前進できるかということの模範だ」と述べた。
 CSUの名誉総裁で元バイエルン州首相のエドムント・シュトイバーは、「若い上院議員には、多くの人間が憧れるカリスマと指導力がある」と『シュピーゲル・オンライン』に述べた。「しかし、ドイツの政策は、グローバルな問題を引き受けよという彼の要求と取り組まなければならないだろう。アメリカは、ドイツとヨーロッパに賭けているのだ。大西洋を挟んだ橋はもっと強力になる。」
 CDU/CSUの外交問題に関するスポークスマンであるエッカルト・クレーデンは、「印象的な演説」に触れて次のように述べた。「あの演説は最善の意味で、アメリカ的で、個人的なニュアンスの点まで、マケイン候補にもできるようなものだった。」彼はオバマの「完全な選挙戦演出」について語り、中心となる告知は、ヨーロッパとアメリカがが協力すれば、世界の諸問題を解決することができるという内容だった。それには、一緒に重荷と犠牲を担わなければならないということだ。」
 SPDの外交問題スポークスマンであるゲルト・ヴァイスキルヒェンは、「あれはドイツ人やヨーロッパ人だけでなく、米国人にも向けられた世界市民の演説だった」と述べた。
 SPDのブランデンブルク州代表ミヒャエル・ミュラーは、オバマがどのように大衆を動員したかに印象を受けた。彼の演説において、オバマは、グローバル化に対するアメリカ人とヨーロッパ人の共同責任を強調した。その限りでは、彼の演説は、他のアメリカの政治家の演説とははっきり別の語り口を持っていた。
 ベルリン市議会の「緑の党」議員であるフォルカー・ラッツマンは、演説がよく練られていたと言った。ベルリン市民が「米国の将来の大統領を体験したのは確かだ」と述べた。
[訳者の感想]オバマ候補のベルリン演説は、ドイツの政治家達にはおおむね好評だったようです。米国とヨーロッパ諸国の協力を強調した点、オバマが単独主義から協力主義へと外交方針を切り替えることを示唆していると言えるでしょう。「ベルリン空輸」というのは、1948年6月、ソ連が西ドイツと西ベルリンをつなぐ鉄道と自動車道路を封鎖した際に、米軍が西ドイツの飛行場から西ベルリンのテンペルホーフ空港まで軍用機を使って食糧や燃料を空輸したことを指しています。「戦勝記念塔」というのは普仏戦争の後でできた高さ67メートルの塔で、ブランデンブルク門から西に1.5キロほど離れています。
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「オバマのベルリン演説をめぐる論争エスカレート」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年07月13日 | 国際政治
連立政権は、米国の民主党大統領候補バラク・オバマのブランデンブルク門前での演説についてしのぎを削っている。
社民党総書記のフーベルト・ハイルは、メルケル首相が象徴的な場所でのオバマの選挙演説に対する違和感を口にしたという理由で、新たに彼女を批判した。
金曜日には、連邦首相府と外務省とオバマの選対本部との間でオバマのプログラムについて直接対話が行われた。オバマのベルリン訪問は、7月24日に予定されている。
フーバーやメルケルと違って、CDUの会派副代表のアンドレアス・ショッケンホーフは、ブランデンブルク門前でのオバマの演説に対して肯定的な見解を示した。「ドイツ・ヨーロッパ・アメリカの自由の象徴であるブランデンブルク門での大統領候補の外交的な方向を示す演説は、これらの国々の関係に対するチャンスだ。」
フーバーは、「ヴェルト・オンライン」に対してシュタインマイヤー外相が同感を告知することによって特権を約束したと批判した。「私はそれは十分否定的だと見なしている。ブランデンブルク門は、ドイツ統一の象徴である。私はオバマ氏が統一に対して貢献したとは思わない。これは、非難ではないが、特権を与える理由は存在しない。」
ハイル総書記は、メルケル首相は、民主党の大統領候補に対して選挙演説だと非難することに関して慎重であるべきだ」と『フォーカス』誌に述べた。
「メルケルは、2002年の総選挙の際、野党の指導者として、米国で、当時のドイツ首相のゲルハルト・シュレーダーに反対する選挙演説を行い、イラク戦争に対するドイツの参加も辞さないと述べた。彼女は、当時の連邦首相と与党の虚をついた。」
独米協力に対する連邦政府の調整役であるカルステン・フォークトは、この論争について、「われわれは将来、すべてのアメリカ大統領候補者にドイツとベルリンへ来るように要請したらいい」と提案した。ドイツ人にもアメリカ人にも、自由のシンボルであるブランデンブルク門は定着している」とフォークトは述べた。
最後に、オバマ氏が、2週間のベルリン訪問の際、ブランデンブルク門の前で選挙演説をしない可能性があると示唆した。連邦政府とオバマの選挙対策本部との接触で、ベルリンでの大統領候補の登場にとっていい解決策があると政府報道官のウルリッヒ・ヴィルヘルムは金曜日にベルリンで述べた。メルケル首相は違和感を表明した。「目下、誰もが納得する解決策が探されている」とヴィルヘルム報道官は述べた。
[訳者の感想]国外で活動したことがなかった、オバマ候補はベルリン演説で自分には十分外交能力があるということを示したかったのでしょうか。「ブランデンブルク門」は、ドイツ統一のシンボルにはなるでしょうが、自由の象徴だと言えるかどうかちょっと疑問です。マッケイン候補は全くそのようなことをする必要性はないと考えているようです。
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「欧州連合は、魅力的でない」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年06月23日 | 国際政治
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 たとえば、ペーター・ヒンツェだ。彼に対して、多くの否定的な意見が述べられた。彼が彼の下手な演説者たちに対してそういう意見を言うことを容易にした。学習した牧師が顔に浮かべるような無邪気さは、しばしば、全くたちの悪い狡猾さであると解釈された。
このことは、幾つかの不幸な事情と関係がある。この青年みたいな外見をもった男は、1992年に当時の雄牛みたいな無鉄砲なフォルカー・リューヘの後継者として、CDUの総書記になった。ヘルムート・コール党首は、ドイツ統一の偉業を成し遂げた直後だった。あまりうれしくない改革の数年が始まり、1998年にはコールは政権を失った。ペーター・ヒンツェは、この政策を攻撃的に先鋭化するというありがたくない課題を背負った。
1994年に連邦議会選挙戦で「赤いソックス」キャンペーンを彼が思いついたとき、彼はそれで左翼連合の危険を警告したのだが、彼の思い通りにはならなかった。多くの人々には彼は相変わらず「冷戦」にこだわっていると思われた。
だが、この判断は、公平でない。ヒンツェは、1998年に総書記を辞任して以来、欧州政策に目を向けた。彼は「ヨーロッパ国民党」の副議長になり、7年間、「ヨーロッパ問題のための研究グループ」の議長だった。
ここでは、彼は彼を取り巻く一様な親切さで、正しい場所にいた。EUは、爆発的な気質を持った人物には耐えられなかったが、決して衰えない精力で毎日大きなEUというジュウタンを織る人物を必要とした。EUは、落ち着いた継続者を必要とした。
 国境と遮断機が消えたので、彼らの値段表は、かなり上昇した。だが、ナチの前に逃亡した人たちは、ヨーロッパにあった沢山の国境を賞賛した。国が小さければ小さいほど、隣の国の岸に着くのは容易だったからだ。
 不統一にもチャンスはあるということを、EUを作り上げた人たちは忘れてしまった。彼らは大陸に目の細かな規則の網を投げる権力に駆り立てられた官僚だと思われた。(後略)
[訳者の感想]欧州議会を動かしている人たちがどういう種類の政治家なのかが分かるような解説だと思います。
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「攻撃は、最善の防衛か」と題する『メルクーア』紙の論文。

2008年06月02日 | 国際政治
スターダスト・ランデヴー井上陽水・安全地帯LIVE AT 神宮
井上陽水・安全地帯,井上陽水,安全地帯,松井五郎,忌野清志郎
ユニバーサル インターナショナル

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(前略)
民主社会は、それ自身が攻撃されない場合、戦争遂行のために経済的社会的人道的費用を負担する用意がどれほどないかが新たに明らかになる。第一次大戦後、勝者も敗者も、自分たちの経済的社会的に崩壊した社会を再建しなければならないという問題に直面した。ヨーロッパの参戦国のどれも、それが戦争を始めたときのように戦争を終結することができなかった。英国の実質収入は、戦争開始時よりも10%から20%も低下した。フランスでは、収入は4分の1減った。民主主義の存立にとって本質的な中間層も、ヨーロッパの広い地域で経済的に貧困になり、政治的に過激なった。
民主制がはその習慣に反して、軍事的に攻撃的になると、少し後にそれはこのことを後悔する。フランスとイギリスは、1956年のスエズ危機でこの経験をした。パリとロンドンは、最終的に世界勢力の地位を失った。今日、アメリカ経済とドルがそうであるように、当時、英国の経済とポンドが下落し、第三世界での体面を失った。第三世界では、イギリスとフランスの植民地の残りが、独立運動を始めた。
 その10年後、イスラエルは、同様の経験をした。7日戦争の数ヶ月後、国防相だったモシェ・ダヤンは、ベトナムを訪問した。彼の結論は、「アメリカ人はここではすべてを手に入れた。戦争以外は。」というものだった。1967年6月にはイスラエルについて反対のことを言うことができた。「彼らが手に入れた唯一のものは、戦争だった。」占領した地域での住居の建設とともに、パレスチナ人難民問題と並んでそれ以上の政治的な問題が生じ、それが中近東を今日まで不安定にしている。土地と平和とを交換できるという希望は、これまで満たされなかった。反対である。あの戦史において例のない勝利の後40年以上経った現在、戦場でのイスラエル人の驚嘆すべき仕業のうちのいくらも残っていない。パレスチナ人の領土をイスラエルが占領して数十年の間に役割が入れ替わった。ダヴィデはゴリアテになってしまった。防衛する者は攻撃する者となり、イスラエルに対する連帯は、パレスチナ人に対する連帯に変わった。(後略)
[訳者のコメント]ボン大学講師で歴史家のトーマス・シュペックマンが書いた論説です。
戦争が果たして国家が望むことを達成するのかを疑っている論文です。
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「世界はアメリカをより肯定的に見ている」と題する『BBCニュース』の記事。

2008年04月02日 | 国際政治
サブプライム金融危機―21世紀型経済ショックの深層
みずほ総合研究所
日本経済新聞出版社

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米国は肯定的な影響を及ぼしているという人々の平均的パーセンテージは、一年前の31%から35%に増えた。米国は否定的な影響を及ぼしているという人々の割合は、5%下がって、47%になった。
世界世論の一部である調査は、34ヶ国に住む1万7千人にインタビューを行った。調査期間は、2008年1月末までの三ヶ月間だった。
しかし、調査は、世界における米国の影響についての評価がなお主として否定的であると見いだした。もっとも、昨年調査された23ヶ国のうち11ヶ国では、改善されたのであるが。アメリカについての評価は、カナダとレバノンとエジプトでは悪くなった。
「BBCワールド・サービス」は、2005年以来、諸国の影響について人々の意見を調査している。2005年以来、毎年調査された17ヶ国のうち、アメリカについての肯定的な考え方は、今年32%に改善された。それ以前の三年間は、減少し続けていたのであるが。
世論調査の結果に関して、国務省の高官であるカート・ヴォルカーは、近年否定的だったということを認めたが、2003年と2004年とは、「イラク戦争」のせいで、異常だったと述べた。
「世論は、我々がしていることの遅れた指標であると言いたい」と彼はBBCとのインタービューで述べた。「誰でも愛されたいからね。しかし、われわれは超大国なのだ。われわれには、巨大な責任がある。大きな経済と大きな外交的軍事的到達範囲がある。だから、当然、世界は、ほかのどの国よりも米国を非常に注意して見ているのだ。」
他の国のなかでは、イランとイスラエルが最も否定的に評価された。イランの影響の否定的な見方は、54%に達した。だが、イスラエルについての否定的評価は、57%から52%に下がった。パキスタンは、三番目に大きな否定的な評価を受けた。
ドイツ連邦共和国は、初めて56%の肯定的な評価を受けたが、18%の人は否定的な評価をした。日本が肯定的評価を受けた第二位の国で、56%の人が肯定的な評価をし、21%の人が否定的な評価をした。しかし、隣国である中国と韓国では、多数の人が日本に対して否定的な評価を下した。ロシアは、調査された国々のなかでは、肯定的に評価する人が、29%から37%に増えた。
 調査はメリーランド大学の「国際政策態度プログラム」(PIPA)の協力を得て、国際的な世論調査機関である「グローブ・スキャン」によって行われた。
 PIPAの所長であるスチーブン・カルは、米国についての肯定的評価が改善したのは、間近に迫った大統領選挙に結びつけられるかもしれないと述べた。「米国が大統領選挙に近くなると、米国に対する見方が、新しい政府が世界中で不評だった外交政策から変わるだろうという希望によって和らげられるからかもしれない。」
 調査の対象となった人々は、ブラジル、英国、中国、フランス、ドイツ、インド、イラン、イスラエル、日本、北朝鮮、パキスタン、ロシア、米国、欧州連合が肯定的な影響をもつか、否定的な影響をもつか、意見を述べてくれと要求されたのである。
[訳者の感想]捕鯨問題が表沙汰になる前の調査だから、肯定的評価が高かったのかもしれません。あるいは、ドイツも日本も人畜無害だということかもしれません。
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「政治家たちは資本主義革命に気付いていない」と題する『シュピーゲル』誌の論説。

2008年02月29日 | 国際政治
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ハンブルク発:企業が赤字を抱えている場合、職場を減らさねばならないということは、経営経済学上の論理である、何年も前から、われわれはこのことを観察し、知的には後をたどることができた。企業があまりに生産費が高かったり市場を無視して生産したりすれば、費用は高くなり、売り上げは低下し、決算が赤字になると銀行は、資金の供給を少なくする。経営の失敗に対して、被雇用者が犠牲になる。こういうふうに、市場経済は作用し、何人は、これが自由市場経済の代価なのだと自らを慰めるかもしれない。
 しかし、ジーメンス、BMW、ヘンケル、あるいはコンチネンタルなどのDAX市場に上場されている大企業が、優れた製品を作り、多くの分野で市場の牽引役を務め、何十億ユーロという利益をあげているのに、その従業員を何千人と解雇するということは、被雇用者や労働組合員を不安にするだけでなく、保守党のCDUに所属する政治家までも憤慨させる異常な出来事である。
 政治とメディアは、このような厚顔無恥な経済に対して責めを負うべき人間をすばやく見つけた。それは、欲望の塊で無慈悲な経営者であり、自分の利益しか考えない考え方と管理棟のなかでのセルフ・サービスである。トップの経営者は、その批判者たちにこのような論証をしやすくしている。被雇用者のところでは、実質賃金がよろめいているのに、六人の人間からなるダイムラー経営陣はの所得は、去年、1480万ユーロ(23億円)増えて、250億ユーロ(4兆円)に上がった。平均して、ドイツの経営者の所得は2007年度には18%上昇した。
 このような不平等な展開においては、人気取り的な要求がすばやく持ち出される。経営者に株オプションを与えることは制限されなければならない。その上、株の投機期間を延長することや、株主に対する投票権を株の所有期間と結びつけることが考慮されねばならないなどである。「短期的な投機を減らすためのインセンティブを設けなければならない」と『ベルリン新聞』に属する社会民主党の政治家は言った。
 株オプションは、大量解雇の原因なのか。経営陣は、本当に株のチャートを上げ、彼ら自身のオプションを上げるために、従業員を首にするほど彼らは冷酷に計算しているのか?経営者のためのオプションが存在せず、投機期間が延長されるならば、システムは、修復されるのか?
 ある「経済政策のスポークスマン」の口から出たこのような経済的な主張は、われわれを驚かす。なぜならば、その論証は、システムの問題がもっと差し迫ってたてられるべき場合には、当該の人間にスティグマを与える。社会は、どれほど長く、株式市場の力に、したがって、シェアホールダーの価値への定位とグローバル化の強制に耐えるだろうか。超資本主義は、民主主義を破壊するのだろうか?
あらゆる重圧で資本主義の新たな時代がわれわれの上にのしかかってきた。(中略)今や、世界中で活動しているフォンド会社やヘッジ・フォンドや独裁国の国営フォンドが主導権を握っている。経営者は、強力な株式売買人の「召使い」である。それを感じない者は、去らねばならない。(後略)
[訳者の感想]金融資本があまりに肥大した資本主義の現状に疑問を投げかける好論文だと思います。筆者はアンドレアス・ネルティングという人です。
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「クルド人の夢」と題する『ツァイト』紙の記事。

2008年02月26日 | 国際政治
ムソルグスキー:展覧会の絵(ピアノ&オーケストラ版)
カラヤン(ヘルベルト・フォン)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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イラク北部へのトルコ地上軍の大規模な攻勢は、公式にはトルコとイラクの国境地帯にいるPKKに向けられている。だが、問題の範囲はもっと広い。というのも、兵力の投入は、政治的にイラク北部でこれまで全面的に独立の行動をしてきたクルド人にも向けられているからだ。最近のエスカレーションは、長期的な趨勢にとって重要である。なぜなら、クルド人自治地域の野心的な政策に対して反対しているのは、トルコだけではなく、イラク、イランと米国だからである。
特に顕著なのは、米国がこの紛争で目立つほど静観していることである。コンドリーザ・ライス国務長官は、先週土曜日に、イラク北部の激化する戦闘を背景にして、トルコとの「絶対的な連帯」を誓った。米国の気分は変わりつつある。『ワシントン・ポスト』紙に掲載されたライス長官の言明は、イラクのクルド人に対して、これ以上最大限の要求をしてはならないという一つの警告であった。紛争が拡大した場合には、責任はクルド人にあるという訳だ。これは、イラクのクルド人にとっては、青天の霹靂である。イラクにおける米国の唯一の同盟者としての彼らの有利な立場を彼らは失ったのだ。
多くの観察者にとっては、1991年以来のイラク北部におけるクルディスタン自治領は、イラクの一部だと見なされている。バグダッドの国防省の兵隊には、この地域への投入は禁じられている。治安に責任を負っているのは、クルド人の「ペシュメルガ部隊」である。その際、この地域は、イランやトルコとの密接な関係から経済的に利益を得ており、国際的な石油会社との緊密な接触を保っている。クルド人地方政府は、バグダッドからの強硬な抗議に対して、広範な石油採掘協定を結んだ。
クルド人住民は、政治的には団結して政府を支持している。2005年には、住民投票で99%がイラクからの独立に賛成した。確かに、地方政府は、この要求に対して公式の拒否を伝えたが、過去の悲劇的な迫害と圧迫を考えれば、多くのイラク系クルド人は、サダム・フセインの没落以来のこの地域の発展を、歴史的な幸運だと感じている。もっとも、彼らの台頭の根拠は、全く偶然ではないのであるが。
クルド地域以外のイラクの不安定な状況は、クルド人の台頭に強く貢献した。バグダッドの権力の空白によって、その上、イラク内部の勢力は、クルド人の自治の段階的構築を妨げることができなかった。(以下省略)
[訳者の感想]米国はイランとイラクのシーア派イスラムの影響力を食い止めるために、どうしてもトルコの影響力を必要としているようです。クルド人が気の毒に成ってきます。コソボの独立を認めるなら、クルドの独立も認めるべきだと思うのですが。クルド人というのはイラン系人種でトルコ人ともアラブ人とも違うようです。
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「欧州連合に選択の余地はない」と題する『ツァイト』紙の論説。

2008年02月23日 | 国際政治
セリーヌ・ディオン・トリビュート(DVD付)
オムニバス,平原綾香,伊藤由奈,K(featuring aki),JUJU,SOULHEAD,福原美穂,星村麻衣,Lyrico,LISA,加藤ミリヤ
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

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ヨーロッパには子どもができた。古い世界の47番目の国家として、コソボは、地図の上に現れた。かってのユーゴスラビアの廃墟から生じた七番目の共和国として。
新しい国家は、アルバニア語を話すコソボ人によって、花火で歓迎された。彼らは200万人の人口のうち、90%を占めている。これに対して、約10万人のセルビア系住民は、新しい国家の誕生に怒りのデモ行進で答えた。半分はイスバルの北部に住み、後半分はコソボ全体に散らばっているセルビア系住民は、アルバニア系住民の報復を恐れている。1980年代90年代にミロシェビッチ・セルビア大統領の支配下で、彼らが加えた残虐な迫害や虐殺に対する報復である。
ベオグラードは、地方を失うことが我慢できない。セルビアは、独立国家としてのコソボを承認することは決してできないと、ヨーロッパびいきのボリス・タディッチさえ述べている。セルビア人にとっては、1389年にバルカン半島に侵入したトルコに対して致命的な敗北を喫したヴァルシュタットが残っている。民主主義的な考え方をするセルビア人でさえ、アルバニア系コソボ人がミロシエビッチ政権がしたことの後では、決して再びセルビアの支配下に生活したいと思わないということが見抜けない。われわれドイツ人が苦々しい仕方で学ばなければならなかった洞察を拒んでいる。つまり、ビスマルクが言ったように、歴史はプロシャの会計検査院よりもずっと厳密なのだという洞察である。
1999年にセルビアに対する戦争でアルバニア系コソボ人を救ったのはNATOだった。それ以来、西欧の同盟国は、国連と一緒に、コソボ州を管理し防衛してきた。合意に基づく解決は、マルッティ・アーティサアリ元フィンランド首相も、ドイツの優れた外交官のヴォルフガング・イシンガーも作り上げなかった。ロシアと中国が反対したのだ。今度は欧州連合が責任を引き受けた。NATOの1万6千人の兵士が引き続き秩序と安全を保障するだろう。
この解決は恐らく不可避である。(以下省略)
[訳者の感想]筆者はもと『ツァイト』紙の主筆だったテオ・ゾンマーです。
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