海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「攻撃は、最善の防衛か」と題する『メルクーア』紙の論文。

2008年06月02日 | 国際政治
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ユニバーサル インターナショナル

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(前略)
民主社会は、それ自身が攻撃されない場合、戦争遂行のために経済的社会的人道的費用を負担する用意がどれほどないかが新たに明らかになる。第一次大戦後、勝者も敗者も、自分たちの経済的社会的に崩壊した社会を再建しなければならないという問題に直面した。ヨーロッパの参戦国のどれも、それが戦争を始めたときのように戦争を終結することができなかった。英国の実質収入は、戦争開始時よりも10%から20%も低下した。フランスでは、収入は4分の1減った。民主主義の存立にとって本質的な中間層も、ヨーロッパの広い地域で経済的に貧困になり、政治的に過激なった。
民主制がはその習慣に反して、軍事的に攻撃的になると、少し後にそれはこのことを後悔する。フランスとイギリスは、1956年のスエズ危機でこの経験をした。パリとロンドンは、最終的に世界勢力の地位を失った。今日、アメリカ経済とドルがそうであるように、当時、英国の経済とポンドが下落し、第三世界での体面を失った。第三世界では、イギリスとフランスの植民地の残りが、独立運動を始めた。
 その10年後、イスラエルは、同様の経験をした。7日戦争の数ヶ月後、国防相だったモシェ・ダヤンは、ベトナムを訪問した。彼の結論は、「アメリカ人はここではすべてを手に入れた。戦争以外は。」というものだった。1967年6月にはイスラエルについて反対のことを言うことができた。「彼らが手に入れた唯一のものは、戦争だった。」占領した地域での住居の建設とともに、パレスチナ人難民問題と並んでそれ以上の政治的な問題が生じ、それが中近東を今日まで不安定にしている。土地と平和とを交換できるという希望は、これまで満たされなかった。反対である。あの戦史において例のない勝利の後40年以上経った現在、戦場でのイスラエル人の驚嘆すべき仕業のうちのいくらも残っていない。パレスチナ人の領土をイスラエルが占領して数十年の間に役割が入れ替わった。ダヴィデはゴリアテになってしまった。防衛する者は攻撃する者となり、イスラエルに対する連帯は、パレスチナ人に対する連帯に変わった。(後略)
[訳者のコメント]ボン大学講師で歴史家のトーマス・シュペックマンが書いた論説です。
戦争が果たして国家が望むことを達成するのかを疑っている論文です。
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