阪大に探検部が誕生して50年。
創部の頃には50周年記念のイベントをするなどとは夢にも思わなかったことが実現した。
数年前から関西在住の1-7期のOBを中心に2期のO氏の好意で彼の会社の部屋を使って創部から約10年ほどをめどに50周年記念CD作成のための資料収集と編集作業を始めた。時には関東から1期のY氏も参加してくれたりして、有志OB諸君の熱心な共同作業の結果、今年7月に記念CDが完成してOB諸氏の手元に届けることが出来た。

記念大会はちょうど大学祭(銀杏祭)に合わせて11月2~3日に実施した。2日午後、阪急石橋駅から少し坂道を歩いて懐かしの豊中キャンパスの入口の手前、昔、阪大病院分院があり、今は阪大総合学術博物館になっている場所に約35名の老OBが参集した。我々の時代、女性部員は1名もいなくて彩りを添えてもらえなかったのが少し寂しかった(^^;)
全員で探検部部室へ向かう。探検部とほぼ同年齢の二階建ての「明道館」と名付けられた建物があり、ここに各クラブの部室が集まっていて、我が探検部も明道館が建てられた当初からここの住人であったので、懐かしき古巣へ戻る渡り鳥といった風情で部室を訪ねた。数人の現役部員と言葉を交わしながら交代で室内を見せてもらった。室内は我々の時代とは違って、予想していたより整然としていて、スチールの棚やロッカーに装備品や道具類が収められていた。探検部の海洋研究班が独立してスキューバダイビング部になり同居しているとのことであったが、実質的にはほとんど探検部が占拠して使用しているらしい。登録している部員は90名余、実際に活動しているのは30数名、女性部員が3分の1を占めているとのことで、部室が片付いているのは女性部員のおかげかも知れない。

部室見学後、模擬店で賑わう大学祭の中心部へ向かう。人ごみをかき分け探検部の模擬店を探す。ありました! ゴマ団子、唐揚げ、そして酒類の水割り、ロック、ストレートがリーズナブルな価格で売られていた。店の前はたちまちOBたちで賑わい出した。

48年前(1965年)、ボルネオ遠征から帰った年の大学祭でマカイ料理と銘打って、ボルネオ先住民イバン族の料理を模して半分に割った竹筒に入れた飯、田螺(タニシ)の入ったスープなどを売ったことを懐かしく思い出した。創部当時は探検部の活動にはもちろん体力は必須であるが、知力も重視しようとの意図で体育会ではなく文化会に所属していた(現在は体育会所属)。

夕方、今夜の50周年記念パーティーの会場であり、宿舎となる箕面観光ホテルへ現役部員4名の参加を得て送迎バスで2班に分かれて向かう。冒頭に物故者に黙祷して、パーティーが始まった。我らが作った探検部が50歳、ここまでよく続いたものである。現役部員の皆さんの挨拶や抱負を聞いて、探検部魂が連綿と引き継がれており、これからも引き継がれてゆくことを確信した実に感慨深いひと時であった。

あくる3日、空模様の怪しい中を予定どうりハイキングのため能勢・妙見山へ向かった。この夏からの異常気象で綺麗な紅葉は期待薄であったが、久しぶりに見る山々の自然はやはり美しく心和ませる風景であった。

降り出した雨の中で肩を寄せ合ってバーベキューの昼食を取りながら、みんなの心の中は50年前の学生時代に戻っていたに違いない!
創部の頃には50周年記念のイベントをするなどとは夢にも思わなかったことが実現した。
数年前から関西在住の1-7期のOBを中心に2期のO氏の好意で彼の会社の部屋を使って創部から約10年ほどをめどに50周年記念CD作成のための資料収集と編集作業を始めた。時には関東から1期のY氏も参加してくれたりして、有志OB諸君の熱心な共同作業の結果、今年7月に記念CDが完成してOB諸氏の手元に届けることが出来た。

記念大会はちょうど大学祭(銀杏祭)に合わせて11月2~3日に実施した。2日午後、阪急石橋駅から少し坂道を歩いて懐かしの豊中キャンパスの入口の手前、昔、阪大病院分院があり、今は阪大総合学術博物館になっている場所に約35名の老OBが参集した。我々の時代、女性部員は1名もいなくて彩りを添えてもらえなかったのが少し寂しかった(^^;)
全員で探検部部室へ向かう。探検部とほぼ同年齢の二階建ての「明道館」と名付けられた建物があり、ここに各クラブの部室が集まっていて、我が探検部も明道館が建てられた当初からここの住人であったので、懐かしき古巣へ戻る渡り鳥といった風情で部室を訪ねた。数人の現役部員と言葉を交わしながら交代で室内を見せてもらった。室内は我々の時代とは違って、予想していたより整然としていて、スチールの棚やロッカーに装備品や道具類が収められていた。探検部の海洋研究班が独立してスキューバダイビング部になり同居しているとのことであったが、実質的にはほとんど探検部が占拠して使用しているらしい。登録している部員は90名余、実際に活動しているのは30数名、女性部員が3分の1を占めているとのことで、部室が片付いているのは女性部員のおかげかも知れない。

部室見学後、模擬店で賑わう大学祭の中心部へ向かう。人ごみをかき分け探検部の模擬店を探す。ありました! ゴマ団子、唐揚げ、そして酒類の水割り、ロック、ストレートがリーズナブルな価格で売られていた。店の前はたちまちOBたちで賑わい出した。

48年前(1965年)、ボルネオ遠征から帰った年の大学祭でマカイ料理と銘打って、ボルネオ先住民イバン族の料理を模して半分に割った竹筒に入れた飯、田螺(タニシ)の入ったスープなどを売ったことを懐かしく思い出した。創部当時は探検部の活動にはもちろん体力は必須であるが、知力も重視しようとの意図で体育会ではなく文化会に所属していた(現在は体育会所属)。

夕方、今夜の50周年記念パーティーの会場であり、宿舎となる箕面観光ホテルへ現役部員4名の参加を得て送迎バスで2班に分かれて向かう。冒頭に物故者に黙祷して、パーティーが始まった。我らが作った探検部が50歳、ここまでよく続いたものである。現役部員の皆さんの挨拶や抱負を聞いて、探検部魂が連綿と引き継がれており、これからも引き継がれてゆくことを確信した実に感慨深いひと時であった。

あくる3日、空模様の怪しい中を予定どうりハイキングのため能勢・妙見山へ向かった。この夏からの異常気象で綺麗な紅葉は期待薄であったが、久しぶりに見る山々の自然はやはり美しく心和ませる風景であった。

降り出した雨の中で肩を寄せ合ってバーベキューの昼食を取りながら、みんなの心の中は50年前の学生時代に戻っていたに違いない!
