2010年初夏に大阪大学体育会発行の新聞(広報誌というべきか)「阪大スポーツ(通称ハンスポ)第35号」を読む機会があった。なんと探検部!の文字が一面を大きく飾っているではないか。右肩に祝・運動部昇格記念の文字が見える。
僕たちがおよそ半世紀前に探検部を作った時は体育会に入るべきか、文化会に入るべきか大いに迷った。当時は海外へ学術調査隊を送ったり、国内でも秘境(まだ残っていたのですよ、何しろ沖縄がまだ外国!だった時代ですから)を探査したりするという明確な目的があったので、当然体力や野営技術を要求されるクラブだった。従って普通なら体育会に所属すべきだったし、事実、他大学の探検部は僕の記憶している限りでは体育会に所属していた。
しかし創設当時の部員たちは体力はもちろん必要だが、頭で勝負しようじゃないかという気運が強く、結局文化会に入ることにしたのだった。とはいえ体育会が主催するマラソン大会に他の運動部に伍して参加していたし、山登りを兼ねて野営技術の習得に努めていたので、文化会と体育会の両方の要素を兼ね備えているクラブだとの自負があった。
下って大阪大学創立60周年記念誌(1991年刊)と大阪大学広報委員会発行の1993年(平成5年)7月31日付「大阪大学の動きNo.146」によると体育系、すなわち体育会所属の公認学生団体として登録されている。いつごろ文化会から体育会に移動したのかは知らないが、両誌とも大学の正式の文書なので、我が探検部は当時既に体育会所属の公認団体であったことをはっきりと証明している。従って冒頭の運動部昇格記念という語句は何を意味しているのか、大(?老)先輩としては理解に苦しむところである。
僕たちがおよそ半世紀前に探検部を作った時は体育会に入るべきか、文化会に入るべきか大いに迷った。当時は海外へ学術調査隊を送ったり、国内でも秘境(まだ残っていたのですよ、何しろ沖縄がまだ外国!だった時代ですから)を探査したりするという明確な目的があったので、当然体力や野営技術を要求されるクラブだった。従って普通なら体育会に所属すべきだったし、事実、他大学の探検部は僕の記憶している限りでは体育会に所属していた。
しかし創設当時の部員たちは体力はもちろん必要だが、頭で勝負しようじゃないかという気運が強く、結局文化会に入ることにしたのだった。とはいえ体育会が主催するマラソン大会に他の運動部に伍して参加していたし、山登りを兼ねて野営技術の習得に努めていたので、文化会と体育会の両方の要素を兼ね備えているクラブだとの自負があった。
下って大阪大学創立60周年記念誌(1991年刊)と大阪大学広報委員会発行の1993年(平成5年)7月31日付「大阪大学の動きNo.146」によると体育系、すなわち体育会所属の公認学生団体として登録されている。いつごろ文化会から体育会に移動したのかは知らないが、両誌とも大学の正式の文書なので、我が探検部は当時既に体育会所属の公認団体であったことをはっきりと証明している。従って冒頭の運動部昇格記念という語句は何を意味しているのか、大(?老)先輩としては理解に苦しむところである。