旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

チューク諸島(トラック諸島)のリュウキュウムラサキ

2021-05-01 | 
朝日新聞に「また会う日まで」という連載小説が掲載されている。2020年8月1日から始まり、太平洋戦争の戦前戦中に海図の製作などを担う水路部に所属した実在の海軍軍人の生涯を描いている。彼は幼い頃から敬虔なキリスト教徒で、海軍兵学校を出て少将まで務めた軍人であり、東京帝大で学んだ天文学者でもあったという変わった経歴の持ち主である。
下の地図の赤枠で囲んだ島が今回の主題となるミクロネシア連邦中のチューク諸島(トラック諸島)のローソップ島である。


興味に駆られて毎日ではないが、時々流し読みする程度であったが、今年(2021年)3月20日の部分(ローソップ島 19)を読んでいて、・・・朝食の時に誰か生物に詳しい者が説明していた― 「蝶を見かけましたが」 「私も見ました。あれはたぶんリュウキュウムラサキですね。熱帯の蝶だからここにいてもおかしくない。しかし自力で来たのかどうか」 「あんなに小さいから無理でしょう」 「ところがね」と別の者が言う、「小さいからこそ台風などに乗って遠くへ渡るらしいんですよ。とんでもないところにいたりする。食草はサツマイモとかだから、この島にもあるでしょう。だいたい孤島では植物相も動物相も貧しいですがね」・・・の会話の部分を読んでビックリした。トラック諸島(現在はチューク諸島と呼ばれている)のローソップ(Losap)島に日食観測に来た数名の科学者の会話なので蝶の名前が出ても不思議ではないのだが、この小説に蝶の種名が出て来るとは思いもしなかった。

下の蝶がリュウキュウムラサキのオスで、海洋島型である。本種は変異が多くパラオ諸島で見られる海洋島型が恐らくローソップ島に分布していたと思われる。


第一次大戦後、この付近の南洋諸島は日本の委任統治領となり、トラック諸島と聞くと太平洋戦争が始まって大艦巨砲主義の象徴であった戦艦「大和」と「武蔵」は活躍の場を無くし、長期間ここを泊地として利用していたことを思い浮かべる。下の画像はその当時のトラック諸島における「大和」と「武蔵」である。


太平洋戦争がまだ始まっていない1934年、トラック諸島近辺のローソップ島で日本人学者だけでなく、諸外国の学者たちが研究のために日食観測に集まって来ていた平和な時代だったからこそが話題になったのだろうと思うと感慨深いものがある。

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