旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

カナダ・ウイスラースキー場

2010-03-11 | 登山・スキー
バンクーバー・冬季オリンピックが終わった。バンクーバーという名で代表されているもののバンクーバーに雪山があるわけではなく、スキー競技は山岳地帯のウイスラーで開催された。昔、ウイスラーへ滑りに行ったことがあるので懐かしい思いでTV画面に見入っていた。僕の興味はアルペン競技だったが、残念ながら日本人選手の成績は芳しくなかった。男子回転(スラローム)で前回、トリノで4位だった皆川選手は期待されていたが、1回目の滑走でコースアウトして棄権、決勝に進むことは出来なかった。

観戦していて、かの地の急斜面のゲレンデでハデに転倒した時のことを思い出した。当然スキー板はブーツからはずれてくれたのだが、斜面を転げ落ちる僕の目に入ったのは高く舞い上がって行く板であった。ようやく停止した僕は急いで板の行方を目で追った。板は何と雪面にほぼ直角に突き刺さっていた。広大なゲレンデには幸いスキーヤーはほとんどいなかったので、ヤレヤレと胸をなでおろしたのだが、僕の長いスキー経験で初めての光景に苦笑いするしかなかった。

この時はJALの2名より催行というスキーツアーに参加したのだが、2か月前の申し込み時点では僕を入れて3名申し込みになるので、「ツアーは決行します」ということだったので申し込んだ。予定通りバンクーバー空港に到着して驚いた。2か月前の2名はキャンセルしていて、客は僕ひとりだという。大型の観光バスにただひとりの客として、ウイスラーへ向かった。

海外のスキーツアーでは、いくつもある広いゲレンデを初日に現地のスキーガイドが半日かけて案内してくれるのが慣例になっている。やはりここでも僕ひとりのためにちゃんとガイドが付いて一緒に滑ってくれた。完全に採算割れやん!・・・と気の毒な半面、おもいっきりガイドと二人きりで日本のスキーゲレンデでは味わえない豪快な滑りを楽しむことができ、本当に贅沢なスキー旅行となった思い出の地である。

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ボルネオのガキ大将

2010-03-01 | 探検
1969(昭和44)年、東宝系列の「東京映画」制作の「ボルネオ大将 赤道に賭ける」という映画がある。北大路欣也演ずる日本人青年がボルネオを舞台に、トロール漁でエビの大量漁獲に成功、彼の恋人役が栗原小巻という設定である。

北大路欣也にはもちろん歯が立たない上に、金儲けとはおよそ縁のない話だが、この映画の公開から遡ること5年、1964年に阪大探検部のボルネオ学術調査隊の一員として、海ではなく、熱帯雨林の奥深く分け入って、原住民の村に住み込んで彼らと生活を共にした。

当時は海外に出かけること自体が大変困難な時代であり、まして現地の事情がよく分からない、いわゆる秘境へ行くとなると結構ニュース・バリューがあって、毎日新聞社が後援してくれ、現地から、また帰国してからいろいろ記事になるような話題を提供して、紙面を飾ることが出来た。

最近、当時のアルバムを見る必要ができたので懐かしさ一杯でページをめくっていて、上掲の写真が目にとまった。調査は原住民の生活とその自然環境を探るというのが目的であったが、蝶の好きな僕のこと、調査の合間に捕虫網を振ることはもちろん忘れてはいなかった。網を持って一生懸命に蝶を追っかけていると、たちまち子供たちの人気者になった。子供たちが網を貸してと持っていって、珍しい蝶を捕ってくれたこともある。

子供たちと仲良くなって、言葉は通じなくても童心にかえって一緒に遊びまわっているうちにいつしかガキ大将のような立場になってしまった。写真を見ると子供たちがそれぞれいろんな格好をして自己主張をしている姿が、なんともかわいらしい。大人たちもこの無邪気な日本人青年にこころを開いてくれるようになって、この時ほど蝶研究の趣味を持っていて良かったと思ったことはない。

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