旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

映画の中の蝶2、「西部戦線異状なし」

2008-08-20 | 
ドイツ人エリッヒ・マリア・レマルクが自身の第一次世界大戦での経験により、戦争の悲惨さを描いた小説を1929年に発表。これが大ベストセラーとなり、1930年、米国で映画化されたものである。

第一次世界大戦、西部戦線での戦いが激しさを増していたころ、学校での教師の弁舌に愛国心を燃えたぎらせた若者たちが、学生志願兵として次々と前線に送り込まれていた。主人公ポールもその一人であった。彼らはやがて戦争の悲惨な現実と向きあうことになる。次々に倒れてゆく仲間。白兵戦のさなか、ポールは塹壕に飛び込んで来たフランス兵を突き刺してしまう。死に行くフランス兵の傍らで一夜を過ごしながら、彼は戦争に対する疑念をつのらせてゆく。翌朝、死んだフランス兵のポケットから彼の妻子の写真を見つけたポールは悔恨の念に打ちひしがれる。

負傷したポールは傷が癒えた後、休暇で故郷の町に帰る。久しぶりに家族とのひと時を過ごすポール。姉と一緒に採集した蝶の標本を懐かしそうに眺めるポール()。観客はここで初めて彼の趣味を知ることになる。しかしこの趣味が彼に悲劇を招くことになるとは、知る由も無い。母校に立ち寄ったポールの目に入ったのは、相変わらず戦争を賛美し、愛国心を鼓舞している教師の姿であった。ポールは戦争の現実と悲惨さを語るが、戦場を体験していない彼らに理解される筈はなく、傷心のポールは予定を切り上げて、また戦線に戻ってゆく。

前線でのある一日、塹壕の中で疲れを癒していたポールの目にふと入ったのは一匹の蝶()。心和らぐ懐かしさに、微笑みを浮かべながら思わず銃眼からそっと手を差しのべるポール()。・・・こだまする銃声。敵の銃弾が彼の若い命を吹き消した。

しかしその日、司令部へは一兵士の死など一顧だにされず、「All Quiet on the Western Front(西部戦線異状なし)」 と報告されただけであった。これは小説の原題「Im West- en Nichts Neuies(西部戦線何も目新しきことなし)」と同じで、個人の死などまったく考慮されない戦争の虚しさを的確に表現している。

当時、世界中の多くの人たちがこの映画を見、小説を読み、二度と戦争を起こしてはならないとの気持ちを抱いたと思うが、現実にはさらに悲惨な第二次世界大戦へと突き進んでしまっている。本当にどうしようもない人類に絶望するほかないが、我が国は運よく第二次世界大戦を最後に戦争に巻き込まれていない。

どうかこの平和をいつまでも大事に守っていって欲しいと切に願っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画の中の蝶1、「慕情」

2008-08-13 | 
映画の中にが登場し、かつストーリー上、かなり重要な意味を持つ作品はきわめて稀と思われる。あまりに有名な映画「慕情」では、何度も蝶が出てくる。

香港の丘の上で、アメリカ人新聞記者マーク・エリオットと中国人と英国人の血を引く女医ハン・スーインが逢瀬を楽しんでいた時、マークの肩に蝶がとまる(A)
「動かないで、じっとして」「あなたの肩にチョウが、・・・幸運のしるしよ」しかし、蝶は飛び去ってしまう。スーインは思わず叫ぶ「動いちゃだめよ。 いいしるしなのに」
中国の迷信を信じるスーインでさえ、本当に幸せが消え去ってしまうとは、その時は思わなかったに違いない。

マークは朝鮮戦争の勃発とともに、従軍記者として戦場に赴く。前線でタイプライターを打っているマーク、そのタイプライターに蝶が止まって(B)、羽を開いたり、閉じたりする(C)。タイプを打つ手を休めて、微笑みを浮かべて蝶を見つめるマーク。きっとスーインとの楽しかった日々を思い出していたのだろう。しかし楽しいひと時は長くは続かなかった。敵機の爆撃によりマークは亡くなる。

彼の死を知り、思い出の丘に駆け上がるスーイン、丘の上から彼女に手を振るマーク。だが、その姿は一瞬の幻に過ぎなかった。泣きくずれるスーインの傍らの樹にまるでマークの化身であるかのように、蝶が飛んで来てとまる(D)。涙なくして見られぬシーンである。

この映画ほど、が重要な役割を担うものとして描かれている作品は寡聞にして知らない。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知られざる熱帯の美味しい果物・マラン

2008-08-12 | 探検
クセ(悪臭)があるが、濃厚なおいしさで知られる果物といえば、ドリアン。東南アジアの旅でドリアンの季節に巡り合えば必ず食べている。しかし、昭和39年(1964年)ボルネオ島南西部のクチンで食べたドリアンの味に匹敵するものについぞ出会うことが出来ぬままであった。

ところが今回、8月のフィリピン・ミンダナオ島でついに味わうことが出来た。最近のドリアンは品種改良()されているのか、昔ほどの悪臭はしない。アポ山へ向かう道端で売っているドリアンを毎朝買っていって、おやつ代わりにその美味を堪能することが出来た。

ところで表題の果物、
マランMARANG)。ご存じの方はあまり多くは無いと思う。4年前、フィリピン・ネグロス島を訪れた時、初めて味わって「これは美味い」と驚いた。大きなボール状の果皮は柔らかくて手で簡単に割ることが出来る。中には「人差し指の頭」よりやや大きい果肉がぎっしり詰まっている。指先を突っ込んで一握りの果肉をつまみだして、一粒づつ口に入れる。種のまわりの柔らかい果肉の甘さにうっとりする。
クセのない甘さについつい食べ過ぎてしまう。

今回のミンダナオ・アポ山行は、ちょうどマランの季節でもあった。左の画像の如く、アポ山麓のマラン専門店で品定めをして、完熟したものを仕入れていく。山中で疲れて、一息入れる時の口中でとろける甘さ!!画像右の満足そうな顔をご覧いただきたい。疲れは完全に吹っ飛んでしまう。日本にいて、今や世界中のいろいろな果物を味わえる時代だが、マランが店頭に並んでいるのを見たことは無い。これはマランが非常に傷みやすく(果皮が非常にもろい)、輸送がむずかしいからであろう。

果物マニアの方、ぜひ現地で味わって下さいね




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする