旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

万葉集の歌に蝶が?

2019-04-01 | 
サクラが咲き、春の女神と称されるギフチョウが舞う季節になった。万葉集には蝶を詠った歌は存在しないと聞いていたので、下に掲げた朝日新聞の「ナカニシ先生の万葉こども塾」の記事の「蝶」の文字が目に留まり、興味津々たる思いで読み進んだ。大伴家持は天平18年(746年)6月に、越中守に任じられ、8月に着任してから、天平勝宝3年(751年)7月に少納言となって帰京するまでの5年間、越中国に在任した。越中国とは今の富山県で「堅香子」の歌が詠まれたのは天平勝宝2年3月2日だから正しく彼の富山在任中である。ギフチョウの仲間は日本には2種(我が国特産のギフチョウと北海道・東北、中部地方及び国外では朝鮮・満州・極東シベリアに分布するヒメギフチョウ)生息している。富山県に分布しているのはギフチョウなので、中西先生の文中にあるように堅香子の花のまわりを飛びかっていたはずなのはギフチョウに違いない。

この歌の解釈では・・・清純なおとめたちの姿を堅香子の花になぞらえている・・・とされるのが普通なので、中西先生のように堅香子の歌と蝶を結びつける解釈は僕には新鮮でとてもうれしかった。想像の世界をもっと広げて歌を楽しめばいいのだ !!と思いいたった。
前日3月1日には「春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つをとめ」を詠い、3年前の天平19年3月2日には「忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能ニ戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭ツ隔テ琴チ無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能<黙><已> 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳・・・「桃の花がかがやき 蝶がまわりを飛ぶ」・・・との文章を書いているのを結びつけて、少女と花と蝶と―この三つが区別なく一つに溶け込んでしまった世界の中に、家持は今、いる・・・この素晴らしい発想に酔い痴れた僕は中西先生に感謝の意を捧げずにはいられない。

本日(平成31年4月1日)新元号(令和)が発表された。万葉集から採択されたのは大変喜ばしいことである。それよりも驚いたのは採択の元となった「梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序」の「令」と「和」を含む文章をさらに読み進めていった結果である。

梅花の歌三十二首并せて序・・・(書き手は不明とのことだが、大宰府の大伴旅人の邸宅で梅の花を愛でる宴が催された時の様子をおそらくは山上憶良か旅人が作ったのではないかといわれている)・・・の中にもが詠われていたのを見つけたことである。

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

新蝶とは俳句で言う「春の季語」の初蝶(すなわち、春に新しく羽化した蝶をその年初めて見ること)であると僕は解釈している。万葉の歌人は花ばかりか、にも魅せられていたのである 願わくは歌そのものに「」を詠み込んでいてくれればさらに良かったのに!! かなわぬ思いにため息をついた。

堅香子の花に遊ぶギフチョウのイメージを探して、「蝶の傍らに」というブログ中に富山市で撮影された下の美しい画像に出会い借用させていただいた。「蝶の傍らに」のブログ子に感謝したい。

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