旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

筆者が記載した蝶の新属、新種、新亜種を数えてみた ❕ 2ー1

2024-07-01 | 
筆者は朝日新聞を購読しているが、生物、それも新種発見、すなわち分類の記事が結構よく目につく。小型種というよりもっと小さな生物で身近に存在していたが、あまりに小さいので今まで注目されていなかった微小生物についてである。もちろん微小生物でもすでに研究の対象になっている種は多くあるが、身近に存在しすぎて注意を払われなかった生物に焦点が当たり出したということだろうか。ただ身近に普通にいる生物だからといって、それらが新種であると確認するには専門的知識が必要なので事はそう簡単ではない。
でも身近にいる生物ということでこれは何だろうと疑問を持ったなら、あらゆるつてを求めて、いろんな専門家に見てもらうことがとにかく第一歩である。

筆者は多くの子供たちがそうであったように昆虫採集からスタートした。太平洋戦争が終わった昭和20年代、空襲で焼け野原だった大阪市内は虫たちの絶好の住み処であった。爆弾が落ちた跡は地面が深くえぐれたままで、爆弾池と呼ばれトンボの生息地になっていた。昼間は岸辺でトンボを取り、夕方になると夕焼けをバックにギンヤンマが群れを成して飛んで来る。糸の両端に重りをつけた仕掛け(と言えるほどのものではなかったが)を群れ目がけて投げ上げると、それを見つけたギンヤンマが急降下して来て翅に糸が絡んで地面に落ちてしまう。翅の色が褐色のメスが貴重で翌日はこのメスの胸部を糸で縛って短い棒の先にくくりつけ、ギンヤンマのオスが飛んでいるのを見つけるとメスをくくりつけた棒を掲げるとオスが交尾にやって来る。こうして難なくオスも採集出来た。いわゆるトンボ釣りである。蝶の話が出て来なくてすみませんでした。2-2に続く。

ギンヤンマ オス


産卵中のギンヤンマ メス

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わずか3日目の悲劇

2024-06-01 | 
筆者の自宅の中庭の白っぽい壁にアゲハチョウの前蛹を見つけたのは5月22日のことであった。


翌日には緑色型の蛹になっていた。


この家に住みだして6年足らずだが、庭の柚子の葉には毎年何回もアゲハチョウの卵が産み付けられ、幼虫が育っていた。でも蛹になる前に鳥に食べられるのであろうか、わずか数回、柚子の幹に付いた蛹から成虫すなわちアゲハチョウが羽化して飛び立つのを見ただけであった。
幹に着いた蛹はわかりにくいので、うまく鳥の目から逃れていたのだろうが、今回のように人の眼でさえ気づくところに蛹があるのでは危ないなと心配していたら、案の定24日の朝、壁に目をやると蛹の姿はなくなっていた。壁にはかすかに蛹の一部と思われる痕跡があった。


そして近くのエアコンの室外機の天板を覆っているカバーの端に鳥が蛹を食べ残したであろう跡が残っていた。


生存競争の結果とはいえ、蝶になって羽ばたくことも出来ずに命果てた蛹の冥福を祈らずにはおられなかった。

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自然史のイラストレーション~描いて伝える・描いて楽しむ~大阪自然史博特別展に因んで

2024-05-01 | 
大阪市立自然史博物館で2024年2月23日~5月26日までこのブログのタイトルのごとき特別展が開催されている。誰もが写真を気軽に撮れる今の時代に図や絵などイラストレーションを描く過程で、描き手によって必要な情報が取捨選択されることで、写真とは違った情報をもたらしてくれる。下はこの特別展の紹介ポスターである。





筆者は上の紹介文を読んで 長女が高校2年生の時の年賀状を思い出した。毎年、年賀状は家族の名前を連名であげて筆者が記載した新種のシジミチョウの写真を添えていた。この時は長女に因んだシジミチョウを使用する予定だったので、長女に写真ではなくて絵を描くことを勧めた。その時の賀状の一部分を下に掲げた。長女は上手に描いたので、下の解説を読むことによってモノクロの図が色彩を帯びて生き生きと目に浮かぶようであった。正しく「特別展」の意図するように写真とは異なった情報をもたらしてくれたかのようであった。



賀状の線画はオスの表・裏だったので、参考のため下にオスの表・裏のモノクロ写真に加えて雌雄のカラー写真を掲げた。
線画と写真を見比べると読者はその違いに驚かれることと思う。





新種の蝶を記載する際、論文にはオスの交尾器図を添えなければ査読の対象にしてもらえない。最近は顕微鏡写真を添えることが多くなったが、以前は線画が普通だった。
長女の名前を使った別のシジミチョウ・ミオウラオビフタオシジミのオス交尾器図を下に掲げる。これは筆者の描いた線画である。顕微鏡写真では、キチン質の構造があるとその裏にある膜質部分がどのようになっているのかが判然としない場合が多々あるが、線画の場合、点線を使って表現することにより顕微鏡写真でははっきりしない膜質部を表示することが出来る。下図のA、Bを見てもらえば筆者の言わんとしていることを理解していただけると思う。



ついでに、線画でなくて申し訳ないがオス、メスの写真を掲げる。



写真による表現が万能ではなくて、線画で強調したい部分の情報を詳細に描くことで、閲覧者により理解を深めてもらえるものがあるとの「特別展」の意図を理解していただけたと思う。

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大阪大学探検部の古式ゆかしきホームページの表紙画像がリニューアルされた!

2024-04-01 | 探検

これがタイトルにあるリニューアルされた表紙画像である。明るく美しい自然を活写していて魅了される


ホームページに以前からある探検部の宣伝画像である。探検部員の集合写真として秀逸である

ホームページ中の文言によれば「2024年3月現在、部員は133名で、文理、男女(6:4)、キャンパスを問わず在籍している」とのことである。

後輩の皆様の健闘に大いに感謝しています。

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メジロが我が家の庭の山茶花に初めて飛来!

2024-03-01 | その他
2024年2月11日昼前、山茶花の花が小刻みに揺れて小鳥らしきものが落ち着きなく枝から枝へ動き回っている。いつもの雀ではない。違う そっと窓際に近づいてスマホをカメラモードにして被写体を追いかけ始めた。花の間でちょこまか動き回られるとさっぱり得体が知れない。
花の隙間から頭が見えた。 メジロだ。 ここは大阪市内、幹線道路の一つ谷町筋にほど近い小さな庭である。やったー
初めてお目にかかった。もちろんこの界隈では見たことはなかった。ちょっと中心部から離れれば珍しい鳥ではないものの、近隣の公園や樹木の多い天王寺区の玉造地区に長年住んでいたのに出会えていなかったので喜びはひとしおであった。
スマホの画像なので画面は粗いが眼の白い縁取りがはっきりと出ている。
よく出会える方にとっては大したことではなかろうが、筆者の喜びはひときわ大きかった。









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大阪府立高津(こうず)高校12期生による小西英博先生追悼会

2024-02-01 | その他
筆者が高校1年生(昭和32年、1957年)の時、担任だった小西英博先生の追悼会で久しぶり‼️に高津(こうず)高校へ行ってきた。先生は厳しいけれど人気があって、筆者は1年の時だけだったが、2年、3年で担任になった生徒にも人気があって、学年の同窓会とは別に小西先生だけの同窓会があるほどだった。そんな同窓会では「今日は当てませんから・・・」と先生が笑いながらおっしゃられて授業兼同窓会が始まったものだった。
先生は筆者の大学卒業後の東南アジア諸国、特にフィリピンとボルネオのシジミチョウの分類における業績にとても関心を示され高く評価してくださっていたので、筆者は同窓会だけでなしに、一人でとか、友達と一緒にとか、先生宅に何度も伺ったり、喫茶店でお会いしたりしていた。
先生の足が不自由になり、施設に入られてからはちょうどコロナ禍の時分でお伺いするわけにいかなくなった上に、筆者の妻が急病で倒れてからはそれどころでなくなって長らくお目にかかれなかった。
去年亡くなられて今年になり有志による追悼会があったので、親しくさせて頂いた先生にようやく手を合わせることができてこころがやすらぎました。

下に同期(12期)で1年生の時に同じクラスだったM君の追悼会を紹介した文章をお借りしました。M君、お世話になりましてありがとうございました。また、写真の一部は高津高校同窓会ホームページに掲載されたものをお借りしました。当日お世話くださった同窓会事務局の方を初めとする事務局の方々にも厚く御礼申し上げます。

「高校12期生による故小西先生の追悼会は去る令和5年(2024年)1月20日、高津高校内クリエイトラボで34名(ほぼ全員82歳)の有志が出席してしめやかに開催されました。
昨年7月に逝去された先生は享年97歳、旧制高津中学出身、広島高等師範卒業後、昭和31年より13年間高津に国語の教師として奉職されるなど高津高校に縁が深く、特に教え子となった12期生にはその忌憚のない物言いながら熱意を持って接せられ人気のあった方です。
会はしめやかながらも和やかな雰囲気の中で執り行われました」

小西英博先生の記念写真を次に掲げます。

追悼会式場の台に先生の写真が飾られていました。


追悼の辞を述べる12期生たちです。



会場はアルコール禁止のため、ミネラルウオーターで献杯。


先生の遺影を囲んで。


1年D組 昭和32年(1957年)、校庭で。筆者は1年生の時、身長は150cmにとどいていなかった。
2年生になってから一挙に173cmにまで伸びた


写真に書かれているように「喜寿記念同窓会(2018年)」です。


(2019年)令和元年5月8日、H君運転の車で先生宅から遠くない外環状線道路沿いの「珈琲館」でYさんと共にお茶のひと時を楽しみました。


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大阪大学探検部創部60周年に当たり記念大会を開催

2024-01-01 | 探検
 阪大探検部が産声をあげたのが、昭和38年(1963年)。部員はわずか20名足らずでスタートしたが、翌年のボルネオ遠征を筆頭に少人数の班に分かれて国内外の秘境(当時はまだ残っていた)を訪ねる活動を始めた。
時代の変化と共に海洋班の中でスキューバダイビングをする部員があらわれ、後にスキューバダイビング部として独立、探検部とは袂を分かった。
 昨年の新入生(63期生)は26名で男女比3:1。部員数は120名で近年はほぼこれぐらいの部員で活動している。今は洞窟探検、登山、カヌー、ラフティングなど多岐にわたる活動を行っている。
 創部50年記念大会から5年ごとに記念大会を開催することになり、昨年11月12日、吹田市の大阪メトロ御堂筋線江坂駅近くにある15期のI君経営のホテルで創部60周年記念大会を開催した。OB45名と現役部員30名、総勢75名が集った。現役部員の参加希望は多かったのだが、会場の関係で制限せざるをえなかった。僕たち1期生は6名で幸い全員生存しているが、出席者は4名になった。
 僕たちが創部した時にはこんなに長く探検部が続くとは予想もしていなかった。後輩たちが伝統の火を絶やすまいと連綿として続けてくれた努力の成果に感謝と誇りの気持ちで胸がいっぱいになった。現役、OBの方たちの熱のこもった報告と講演を聞いていると探検部精神を忘れずにがんばってくれているのがよくわかった。世代をこえての交流の現場に立って「探検部を創るのに関わって良かった」・・・感動の思いをこらえることが出来なかった。

下に当日の模様の画像を掲出しますのでどうかご覧ください。




60周年記念品のTシャツ(表・裏)


































早速12月16日には阪大探検部主催で北極冒険家 荻田泰永氏の特別講演が豊中キャンパスの大阪大学会館で催された。


おまけ! 近所のお好み焼き屋さんも60周年でした((´∀`*))

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和歌山県日高町西山から放たれたアサギマダラと尖閣諸島中国漁船衝突事件と香港

2023-12-01 | 
タイトルをご覧になってどういう関連があるのか、 に思われたことだろう。
すでに13年前になるのだが、2010年9月7日に沖縄県・尖閣諸島付近で操業中の中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船が衝突して、当然だが日中間でややこしい事件に発展してしまい、後々にいろんな問題を引き起こしていた。

話は飛ぶが、翌年の2011年10月に和歌山県日高町西山(標高328.7m)で採集されマーキングされ放蝶されたアサギマダラが高知県香美市を経由して12月に香港で捕獲されて、当時の最長移動距離(約2,500km)を記録して日本のマスコミだけでなく香港のマスコミでも大きく取り上げられた。
一方、大阪市立自然史博物館はアサギマダラの渡りの研究や観察を熱心に行っていて、学芸員の方が香港を訪問した際、現地の蝶愛好家の人たちに歓迎されて香港の新聞に取り上げられたほどであった。そして香港の蝶愛好家たちが日本へ、大阪へ、そして和歌山の西山を訪問する話に発展した。その際大阪市立自然史博物館はもちろんのこと和歌山県の博物館も協力していただくことになっていた。
ところが1年もたっているのに尖閣諸島の事件が尾を引いていて、訪日の予定が近づいた時、香港の蝶愛好家から今は時期的に適当でないという連絡があって彼らの訪日はキャンセルになってしまった。香港側の事情があったのだろうが、蝶々と尖閣諸島事件が結びつくとは予想もしていなかったので呆気に取られてしまった。筆者はこの時、弱輩ながら大阪市立自然史博物館と和歌山県側との仲立ちをしたので強く印象に残っていた。

2023年11月3日の朝日新聞の「季節を渡る」というタイトルで上記の西山の山頂付近で、アサギマダラがフジバカマの花の上を飛び回る幻想的な光景の写真と記事が目に止まったので、ひょっと思い出してしまった。
当日の紙面の写真のコピーを下に掲げた。
朝日新聞社と撮影された方に、懐かしい出来事を思い出す機会を与えてくださったことに厚く感謝申し上げます。


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夜空を彩る素晴らしい蝶のアート映像

2023-11-01 | 
美しい蝶のアート映像に接したので紹介する。
アメリカ合衆国ネバダ州のブラックロック砂漠で毎年8月から9月にかけて繰り広げられるバーニングマンと呼ばれるクリエイティブな大規模イベントがあり、このイベントでは参加者全員が主人公となり、自己表現をすることで究極の経験をすることを目的としているそうである。
2021年にクリストファー・シャルトさんが38000個のLEDを使用して、ブランコを漕ぐことで羽ばたく蝶(なぜブランコを漕いで羽ばたく蝶を表現するのかはわからないが)の映像を表現した。この映像を今年9月、wakanderさんなる人が投稿し、HさんがXで紹介した。
わずかな映像しかアップしていなくて申し訳ないが、実際の素晴らしさを想像してお楽しみください。
クリストファー・シャルトさん、wakanderさん、Hさん、素晴らしい映像を見せていただいてありがとうございました。

映像を拡大して見るには各映像をクリックしてください。














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蝶にとっても暑すぎた今夏!

2023-10-01 | 
梅雨が明け夏空が広がる2023年7月下旬、我が家の庭の緑濃き木陰に一匹のアゲハチョウが舞い降りた。こちらはエアコンの効いた室内からアゲハの様子を観察することにした。
アゲハはゆっくりと翅を開閉し始めた。飛び立つ様子はなくいつまでも下に掲げた画像の如く、超スローな翅の開閉運動を続けていた。










ひょっとしてこの行動は体温を下げるためではないかと気づいた。
そこで次の一首をこのアゲハチョウに捧げることにした。

  うちわ持ち 煽ぐが如く アゲハチョウ
               涼を取りたり 翅開閉し



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真夏に羽化したばかりのツマグロヒョウモンが交尾をしていた!

2023-09-01 | 
8月18日、娘が柳美里さんのTwitterにツマグロヒョウモンの動画が出ているのを教えてくれた。
柳美里さんが今朝庭に出たら、羽化したツマグロヒョウモンが交尾したまま彼女の手首に止まったという。
彼女は宮城県に住んでおられるらしい。1980年代までは近畿地方以西が生息域とされていたツマグロヒョウモンが生息地域を拡げながら北上を続け、2007年から毎年宮城県内で確認されているというネット上の記述に接し、近畿地方の情報しか知らなかったぼくには予想していたとはいえ驚きだった。
新たな変化が短時日で生じている世の中のスピードについて行けなくてめげているぼくだが、蝶たちのニュースにはホッとさせられる。
柳美里さんの動画から数枚拝借して下に掲げました。
柳美里さん、素敵な動画を楽しませていただきましてありがとうございました。











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新聞の夕刊に蝶の画像が2ヶ所も出ていた!

2023-08-01 | 
朝日新聞、2023年3月17日の夕刊に蝶の画像が二つも出ていて筆者の目を引いた。
一つはホテルニューオータニ大阪のSpring Fair 2023の広告で、北米で渡りをする蝶として有名なオオカバマダラ Danaus plexippus で翅脈を含む黒色部分以外を透明にして背景のカラフルなデザインを目立たせている。


もう一つは多賀新さんという銅版画家が観た映画のモチーフを崩さずに作品にしたもので、
対をなす蝶々は、修道院の天井から舞い降りる天使をイメージしたとのことで、描かれている蝶はニューギニアに分布しているミイロタイマイ Graphium weiskei である。


ページ数の少ない夕刊で蝶が二ヶ所に出ていたので、蝶はやはり目立つのかな と思い紹介した。
多賀新さん、画像をお借りさせていただきました。ありがとうございました。

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庇を貸して母屋を取られる…の記

2023-07-01 | その他
太平洋戦争が終わって何年後だったのか知らないが、まだ生活が安定していなかった時代、妻の両親が二階建て住宅の角地に面した一、二階の部屋を契約書も交わさずに貸してしまった。借りた住人は懇意にしている工務店に頼み、母屋との板壁一枚を挟んで、下の写真(ずっと後の2020年秋に撮ったものである)のように、本来ならば溝に使う土地にまで迫り出して二階建ての一軒家のように作り変えてしまった。この時に抗議して原状回復してもらっていればよかったのに両親はなぜか黙認してしまった。このことにより長年迷惑を被ることになってしまった。


角地の奥へは駐車場や住宅などがあるので普通の路地部分よりはやや広い道路が通っている。母屋の前面道路は一方通行ながら車には主要道路への近道、中学生には通学路として利用され、もちろん一般の人たちも多く行き来する生活道路である。かように結構交通量がある道路に面している角地なのである。
前面道路にある玄関前に下の2枚の写真のような樹木を植えたので、長年の間に繁茂して道路が狭くなるほどになってしまった。角地から出て来る車と前の道路を行く車が衝突したり、行き交う人たちが車と接触する恐れが大いにあって近隣の人たちや町内会の人たちから危険性を指摘されて、妻は何度も借り主に樹を切っていただくようにお願いしたのにまったく同意してもらえなかった。


一方通行の下りの坂道を右に少しカーブした時に運転席からこの邪魔な樹が突然視界に入り、その先、左側の道から車や人がいきなり出て来るのだから、危険で迷惑この上ない代物である。早くに手を打たないと後々に大変な事態を引き起こすことになる。


困り果てた妻は弁護士さんを煩わせ、家賃を受け取らない代わりに居住者が亡くなったらこの二階建てを明け渡してもらう契約書を作って、署名、押印してもらった。樹を切ってくれない事に業を煮やした近隣の人たちが2020年の秋にこの迷惑な樹を切ってくれた。この時の写真が下の写真である。ずいぶんすっきりとして危険性が無くなり多くの人から感謝された。
 

居住者が亡くなって、2022年夏に明け渡してもらい、解体、更地になった様子が下の写真である。板壁一枚で隣接していた部分がブルーシートで覆われて哀れをとどめている。


2022年12月、改修工事を終えてホッとした。貸し部屋のような物でも一度貸してしまうとこんな事態になるという庇を貸して母屋を取られた顛末である。
物件が明け渡されたことも、母屋が立派に修復されたことも知らずにこの世を去った妻にこの一文を捧げたい。

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妻、緖子が大切にしまってくれていた筆者からの便りと詩

2023-06-01 | その他
2023年2月1日、「My wife Tomoko HAYASHI passed away」のタイトルで本ブログに綴ったように、妻、緖子は2022年12月11日に亡くなった。結婚しておよそ53年後である。
婚約していた1969年(昭和44年)10月2日、筆者は彼女に拙い便りと詩を送っていた。彼女は大切にそれをしまっておいていた。
彼女のやさしさと思いやりはその時代からずっと続いてきた。彼女にこころからの感謝を込めて今一度捧げたい。
(画像をクリックすると大きくなります)



緖子さん、ありがとう。何て表現したらいいのかわからないけど。ほんとにありがとう。
君に初めて会った時から、君は僕の心の中に入り込んでしまいました。毎日毎日君のことを考えない日はありませんでした。何かぼやっとしている時、嬉しい時、苦しい時、ふうっと君のことを思い浮かべてしまうのです。そしてそんな自分に、にやりとしてしまいます。きのうお話ししましたね。嬉しい時にも眠れないって。君と会う日、会った日、何だか寝つかれないのです。
僕の苦しみを君に打ちあけた時、一緒に心配してくれましたね。その夜は僕のことが心配で、心配でたまらなかったって。
僕は果報者です。僕は君を生涯の伴侶に選んだことに誇りを感じます。そして君に悲しい思いをさせて悪かったけど、僕の悩みを聞いてもらってよかったと思っています。
君なしの人生なんて、僕には考えられません。君の助けが必要なのです。苦労させるだろうけど、一緒についてきてくれますね。おかあさんが君にいやだったら、いつでも帰っていらっしゃいなんておっしゃったけど、僕は絶対に君を離さないよ。覚悟して来てくれ。
最後に強迫みたいになってしまって申し訳ない。
工事の音のあいまに(あんまりロマンチックじゃないね)、こおろぎが鳴いているのが聞こえます。君のやさしい声のようです。
すこし眠くなってきました。僕のかわいい緖子、おやすみなさい。

     10月2日              寿一
(画像をクリックすると大きくなります)



清らかに咲けるを見たり
白百合の

深きみどりの山裾の
そよ吹く風に我は見る
君がさやけきその姿
我 蝶となり 君が香の
ふくいくたるに酔い痴れん

朝霧に
楚々たる姿白百合の
含みし露をのまんとて
かの花びらに口ふれぬ

星降る夜の草原に
銀のガウンをまといたる
君が姿の淋しげに
我も添い寝の
夢を追う

明るき日射しに
我は舞い
君美しく咲き誇る 

静かな夜のくらやみは
白く映えたる花びらに
宿りし蝶の姿あり
この幸せは蝶と花
結ばれゆかん姿なり

筆者からの「便りと詩」と共に妻の中学1年生(昭和33年、1958年)の時に書いた詩がしまってあった。よほど妻が気に入っていた詩なのだと思うので紹介しておきたい。

私は雨が好き
 
私が寂しい時
雨はお庭の木の葉の上で跳ね
水溜りの水面に 小さな輪をいっぱい描いて
私をそっと 慰めてくれる

私が悲しい時
雨はお部屋の窓のガラスを濡らし
あとから あとから 流れて落ちて
私と一緒に 泣いてくれる

私が嬉しい時
傘も差さずに飛び出して
上を向いて歩いたら
私の顔をピチャピチャ叩き
良かったね と 言ってくれる

だから 私は雨が好き

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3-3 知の探検・茸を食草とする蝶がいた!

2023-05-01 | 探検
「知の探検 3-1,3-2」で日本とモンゴルには茸を幼虫時代に食べる蛾が存在することを探求してきた。一方、幼虫時代に茸を食べる蝶の記録は見つけられなくて、茸を食草とする蝶はいないだろうとの思いが、長期間ぼくの頭の中を占めてきた。2017年、はるか離れた中米のコスタリカ(下の地図)で茸を食草とする蝶(それもぼくの専門分野のシジミチョウ・・・但し、ぼくの専門は東南アジアのシジミチョウ)が見つかっていたのだ


2020年にコスタリカ在の探検昆虫学者・西田賢司氏を第一筆者とする研究論文「One side makes you taller: a mushroom-eating butterfly cater ( Lycaenidae) in Costa Rica」が発表されて、茸を食べる(食草とする)蝶なんていないだろうとのぼくの思いは消し飛んでしまった。彼は研究室兼住居の前の林縁に落ちていた「サルノコシカケ科のキノコ」を食べていた幼虫を発見したのだ。たぶん傍に生えていた樹に着生していたキノコだろう。(下の写真)けっこう大きなキノコであるが、無視せずに拾い上げて観察したのだから、さすが西田氏である。
キノコに付いていたシジミの幼虫である。

「知の探検 3-1」の中でムラサキアツバはカワラタケ(サルノコシカケ科)をも食するとの記述があったのを記憶にとどめておいてくださっているだろうか。偶然にも日本の蛾とコスタリカの蝶とがサルノコシカケ科のキノコを食草としている事実にやはり鱗翅目(蝶・蛾)という同じグループに属するのもむべなるかな・・・との思いを強くした。

成虫、すなわち羽化したシジミチョウ(メス)である。学名はElectrostrymon denarius  西田氏は和名を「ドウイロチュウベイ(銅色中米)カラスシジミ」と呼んでいる。家の近くで幼虫が見つかるぐらいだから普通種であろう。西田氏はこれをきっかけにこのシジミチョウをいろいろな視点から調査や研究をしてみたら面白いのではないか・・・それこそが論文のタイトルにふさわしいと思っておられる。キノコを食べる蝶 すばらしい発見である。
本稿中、地図を除く画像は西田氏他の論文から借用させていただいた。ここに記して厚くお礼を申し上げる。

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