アレキサンドラトリバネアゲハ (Ornithoptera alexandrae Rothchild, 1907) は世界最大の蝶と言われ、メスでは翅を広げた大きさが28cm近くになる個体があり、メスを最初に見つけた探検家は鳥と間違えて鉄砲で撃ち落としたと伝えられているほどです。
オスの美しさと相まって採集による絶滅が心配され、現在ではワシントン条約附属書Ⅰに掲載されて大切に保護されています。しかし附属書Ⅰに掲載されるまでは採集や標本の売買は規制されていませんでした。
フランス人ポール・ジャクレー(1896~1960)は1899年以来、両親と共に日本に住み、版画家として名を成した人ですが、蝶のコレクションにも熱心に励んでいました。太平洋戦争後の日本と言えばまだまだ経済的に恵まれない時代でしたが、そのさなかにドイツのスタウディンガー&ハンクス商会に、アレキサンドラトリバネが入荷して、3ペアが日本に来ました。
1ペアは後に国立がんセンター研究所初代所長となる中原和郎氏が入手、後に国立科学博物館動物研究部長になり、国の天然記念物であるヤンバルテナガコガネを新種記載した黒澤良彦氏と共に著した「世界の蝶」(1958年北隆館発行)に掲載され・・・僕もこの本を買い、むさぼるように読み、海外の蝶へのあこがれを募らせたものです。この1ペアは国立科学博物館に入ったけれども、今や朽ちて見る影もないと言われています。
次の1ペアは先祖伝来の土地を売った資金で大阪の田中龍三なる人が買いました。この標本を専門は蚤の研究ですが、蝶に造詣が深い京大教授阪口浩平氏が引き取り、彼の死後、他の標本と共に阪口コレクションとして三田市にある「兵庫県立人と自然の博物館」に入ったはずですが、田中龍三氏のアレキサンドラは見当たらないと言われています。
3番目のペアは前述のポール・ジャクレーが購入し、ジャクレー亡きあと大阪市立自然史博物館がジャクレーの他の標本と共に一括してポール・ジャクレーコレクションとして購入しています。
1番目、2番目の標本はこのようにして、現在無きに等しいことがわかっていますが、大阪市立自然史博の3番目のアレキサンドラの現状は果たしてどうなっているのだろうか?標本の探索は自然史博外来研究員の僕に突き付けられた課題に思えました。
昆虫研究室の学芸員に尋ねるとポール・ジャクレーの標本はコレクションとしてまとめて保管されていなくて、一般の標本と一緒になって地下の特別収蔵庫のどこかにあるはず、とのことでした。「わあーっ、これはおおごとになりそう!」これが最初に抱いた感想でした。
特別収蔵庫は地下にあって2階構造になっています。扉付きのキャビネットの中に標本箱が収められているのですが、扉には一部を除いて中の標本についての表示がありませんので、キャビネットを開いて中の標本箱を念のため一つ一つ引っ張り出してチエックする・・・これの繰り返しでした。
何ヵ月かをかけましたが、結局1階では見つからなくて、2階に挑戦せざるを得ませんでした。何回かの探索の後キャビネットの前の通路に他の標本箱が高く積まれている場所に来ました。「ああっ、これを動かさないと見られない。もうやめとこか」と思ったのですが、ここまで頑張ったのに・・・との思いと「虫(蝶)の知らせ!?」を感じて、定温に保たれて涼しいはずの特別収蔵庫で汗をかきかき標本箱を移動させました。
後ろに隠れていたキャビネットの標本箱を一つ一つ疲れた身体で期待を抱きながら覗き込んでいきました。「ヤッタア!」ついに探し当てました。他の2ペアと違って、たぶん当時の姿のままで無事保管されているのを確認しました。整理されていなかったのは少し残念でしたが、大阪市民の税金を無駄にしていなかったこの大阪市立自然史博物館を誇りに思った瞬間でした。
下に掲げた2枚の画像がまぎれもないジャクレーの貴重なアレキサンドラトリバネアゲハのペアです。
オスの美しさと相まって採集による絶滅が心配され、現在ではワシントン条約附属書Ⅰに掲載されて大切に保護されています。しかし附属書Ⅰに掲載されるまでは採集や標本の売買は規制されていませんでした。
フランス人ポール・ジャクレー(1896~1960)は1899年以来、両親と共に日本に住み、版画家として名を成した人ですが、蝶のコレクションにも熱心に励んでいました。太平洋戦争後の日本と言えばまだまだ経済的に恵まれない時代でしたが、そのさなかにドイツのスタウディンガー&ハンクス商会に、アレキサンドラトリバネが入荷して、3ペアが日本に来ました。
1ペアは後に国立がんセンター研究所初代所長となる中原和郎氏が入手、後に国立科学博物館動物研究部長になり、国の天然記念物であるヤンバルテナガコガネを新種記載した黒澤良彦氏と共に著した「世界の蝶」(1958年北隆館発行)に掲載され・・・僕もこの本を買い、むさぼるように読み、海外の蝶へのあこがれを募らせたものです。この1ペアは国立科学博物館に入ったけれども、今や朽ちて見る影もないと言われています。
次の1ペアは先祖伝来の土地を売った資金で大阪の田中龍三なる人が買いました。この標本を専門は蚤の研究ですが、蝶に造詣が深い京大教授阪口浩平氏が引き取り、彼の死後、他の標本と共に阪口コレクションとして三田市にある「兵庫県立人と自然の博物館」に入ったはずですが、田中龍三氏のアレキサンドラは見当たらないと言われています。
3番目のペアは前述のポール・ジャクレーが購入し、ジャクレー亡きあと大阪市立自然史博物館がジャクレーの他の標本と共に一括してポール・ジャクレーコレクションとして購入しています。
1番目、2番目の標本はこのようにして、現在無きに等しいことがわかっていますが、大阪市立自然史博の3番目のアレキサンドラの現状は果たしてどうなっているのだろうか?標本の探索は自然史博外来研究員の僕に突き付けられた課題に思えました。
昆虫研究室の学芸員に尋ねるとポール・ジャクレーの標本はコレクションとしてまとめて保管されていなくて、一般の標本と一緒になって地下の特別収蔵庫のどこかにあるはず、とのことでした。「わあーっ、これはおおごとになりそう!」これが最初に抱いた感想でした。
特別収蔵庫は地下にあって2階構造になっています。扉付きのキャビネットの中に標本箱が収められているのですが、扉には一部を除いて中の標本についての表示がありませんので、キャビネットを開いて中の標本箱を念のため一つ一つ引っ張り出してチエックする・・・これの繰り返しでした。
何ヵ月かをかけましたが、結局1階では見つからなくて、2階に挑戦せざるを得ませんでした。何回かの探索の後キャビネットの前の通路に他の標本箱が高く積まれている場所に来ました。「ああっ、これを動かさないと見られない。もうやめとこか」と思ったのですが、ここまで頑張ったのに・・・との思いと「虫(蝶)の知らせ!?」を感じて、定温に保たれて涼しいはずの特別収蔵庫で汗をかきかき標本箱を移動させました。
後ろに隠れていたキャビネットの標本箱を一つ一つ疲れた身体で期待を抱きながら覗き込んでいきました。「ヤッタア!」ついに探し当てました。他の2ペアと違って、たぶん当時の姿のままで無事保管されているのを確認しました。整理されていなかったのは少し残念でしたが、大阪市民の税金を無駄にしていなかったこの大阪市立自然史博物館を誇りに思った瞬間でした。
下に掲げた2枚の画像がまぎれもないジャクレーの貴重なアレキサンドラトリバネアゲハのペアです。