旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

サクラダイ、伊豆半島・田子

2007-09-16 | ダイビング
いわゆる大物のほとんどに出会えたので、最近はハタ科のハナダイの美しさに魅せられている。セレベス海、フィリピン、沖縄のきれいな珊瑚の海でカラフルなハナダイたちが僕の目を楽しませてくれた。

一方、伊豆半島には我が国の固有種といわれるハナダイの仲間「サクラダイ」がいる。サクラダイといっても春に獲れる真鯛のことではない。水深30mほどの深場に生息し、体長は15cmぐらいで、鮮やかな赤色の体表に桜の花びらが風に舞い散っている如き斑紋があり、とても風情がある。和風で、いかにも日本本土に産するハナダイといった感じが、僕はとても気に入っている。

東海、関東地方を直撃した台風9号のせいで、まだ9月半ば、例年だと水温は22~24度だというのに、19度を切り、ポイントによってはそれ以下で、5ミリ厚のウエットスーツにフード付きベストを着ていても寒くてたまらない時もあった。寒冷期用のドライスーツを来ているダイバーが何人もいたのには驚かされた。

でも、サクラダイに出会うと寒さは吹っ飛び、夢中でシャッターを押していた。ストロボの閃光に一瞬映える深紅に白い桜吹雪の模様。夢幻の世界に酔いしれるばかりであった。




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僕の名前が付いているシジミチョウ:Drupadia hayashii

2007-09-09 | 

僕の名前が付いたシジミチョウを紹介しよう。
Drupadia hayashii Schroeder & Treadaway
ハヤシ フシギノモリノオナガシジミ 少し長たらしいが、なかなかしゃれた和名が付いている。♂の前翅長11-12mm、♀の前翅長14-15mmの小型のシジミである。
 
画像左端の地図で示したように、フィリピン南西部に位置するスールー諸島の最西端の、南北に細長い形をした小島、Sibutu(シビュートゥ)島の特産種である。キリスト教徒が大部分を占めるフィリピンだが、ミンダナオ島の一部からスールー諸島にかけては、イスラム教徒の勢力下にあり、モロ・イスラム解放戦線(MILF)や過激派組織アブサヤフなどが武装活動を続けている大変物騒な地域である。

Treadaway氏はフィリピンの島嶼をしばしば訪れ、精力的に蝶を採集しているドイツの著名な研究者である。彼は危険な地域を、小舟を何度も乗り継ぎ、Sibutu島へ渡り、採集したシジミチョウをドイツのSenckenberg博物館のSchroeder博士と共に新種として記載したのが本種である。

Sibutuは平坦な島で、画像中央に小高く見えるのが、標高約100mの丘である。この丘の麓近くにある二次林が本種の住みかである。「生息地B」の左端に見えるのはテントで、島では泊めてもらえる家が無くて、テント泊で自炊を余儀なくされたという。

本種は飛び回ることはまず無いので、「生息地」の画像に見られる藪や低木の枝をたたいて追い出すと、せいぜい3~5mほど飛んで、葉に止まるのでそれを採集したそうだ。本種は個体数が少なく、飛翔力が極端に弱い(生息範囲が非常に狭い)上に、島民による二次林の開発(破壊)が進んでいるので、Treadaway氏は、本種は遠からず絶滅すると予測している。

実際に、2004年2月発行の「Animal Conservation」(ケンブリッジ大学出版会)という科学誌に掲載されているデンマークの研究者との共同論文で、本種を絶滅危惧Ⅰa(絶滅寸前、すなわち、ごく近い将来、野生絶滅のリスクが高い)に挙げている。

エッ! 僕の名前を冠したチョウがこの世から姿を消す!! 
そんな殺生な・・・

二度と行く気はしないというほどの命がけの苦労をして得た、このような貴重な種に僕の名を付けてくれたTreadaway氏とSchroeder博士に大いなる感謝と敬意を表したい。



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旧真田山陸軍墓地と小説「シリウスの道」とコムラサキ(蝶)

2007-09-07 | 
旧真田山(さなだやま)陸軍墓地(画像・上部)は大阪市天王寺区にあり、1871年(明治4年)、当時の兵部省が大阪に陸軍を創設した際、日本最初の埋葬地として設置され、1938年(昭和13年)に「陸軍墓地」と改称された。真田山は真田幸村の出城や旧大坂城に通じる真田の抜け穴があったことでも知られている。当墓地は全国各地に現存する陸軍墓地の中でも最大であり、かつ旧状をよく残している。日清戦争と第一次世界大戦でそれぞれ日本軍の捕虜となった清国兵とドイツ兵の墓碑まであって、ユニークである。

「あの星はまだ輝いているか?」・・・「シリウスの道」の著者、藤原伊織は地元の真田山小、高津(こうず)中、高津高から東大を卒業、「テロリストのパラソル」で直木賞と江戸川乱歩賞をダブル受賞した団塊世代を代表する作家である。緑に溢れた広大なこの墓地は多感な少年時代の彼にとって忘れられない、格好の場所であったようで、「シリウスの道」ではある秘密に絡む重要な場所として登場している。

中学時代(昭和30年前後)、僕は放課後や休日ともなれば捕虫網を手に広い墓地内を蝶を求めて駆け回った。中学のおませな先輩が彼女とデートしている場に出くわしてドギマギしたこともある。エノキの大木があって、その高みを悠々と飛んでいる蝶がいた。遠くて種類は分からない。もちろん捕虫網は届くはずはなく、見かける度にくやしい思いを抱き続けていた。ある日、目の前の低木の葉に突然、蝶がさっと舞い降りてきて翅をいっぱいに広げてとまった。

胸が高鳴った。ひとめで分かった。アイツや! すかさず網を振る。紫の幻光と鮮やかなオレンジ色が網の中で踊っていた。

あの日以来、陸軍墓地では何故かコムラサキを見かけたことは無いが、少年時代の幻ではない、輝かしい思い出のひとこまであった。


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ヤンバルテナガコガネ命名者にささげた蝶の学名

2007-09-01 | 
若き日、ロンドンの大英(自然史)博物館に留学したことは先に述べたが、留学中のある日、東京の国立科学博物館動物研究部長の黒澤良彦博士が欧州の研究機関視察の途次、大英博物館に来られて研究のため数日滞在された。

先生の専門は甲虫であるが、鱗翅類(蝶、蛾)についても詳しく、多くの業績を残しておられて、僕のようなアマチュアの蝶の研究者にとっても憧れの存在であった。その先生にロンドンでお目にかかれるとは予想だにしていなかったので、僕の胸は高鳴った。高名な学者であるにかかわらず、先生は初対面の僕にとても丁寧に接して下さった。
 
帰国後も交流は続き、先生の研究室を訪れるといつもにこやかに歓迎して下さった。国立科学博物館所蔵のシジミチョウの研究を快く許していただき、おかげで所蔵標本の中からいくつもの新種を発見、記載することが出来た。もちろんこれら新種の基準となったホロタイプ(完模式)標本はすべて国立科学博物館に大切に保管されているので、少しは先生への恩返しが出来たのでは、と思っている。

前述のように黒澤先生は甲虫の専門家で、山原(やんばる)と呼ばれる沖縄本島北部の山地に生息する日本最大の甲虫で、国天然記念物である  ヤンバルテナガコガネ   Cheirotonus  jambar Y. Kurosawaを記載された学者であるといえば、一般の方に理解してもらえるのではないかと思う。

フィリピンを中心に繁栄しているDacalana属の中、パラワン島特産の稀種に Dacalana  kurosawai H. Hayashi  クロサワ ウラオビフタオシジミと名付けて先生への感謝の気持ちをあらわした。

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