旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

フィリピン、ミンドロ島の山の民・マンニャン族

2009-06-02 | 探検
フィリピンには大小7000以上の島があるが、人が住んでいるのはそのうちの1000ほどである。主要11島のほとんどの島を訪れたが、ミンドロは行ったことがなかった。島の名はスペインの植民地時代に名付けられ、スペイン語でMina de Oro、「金山」を意味しているらしいが、特に有望な金脈があるわけではないので、当時のスペイン人の願望をあらわしただけのネーミングのようである。

5月にマニラから陸路で、ルソン島を南下、ミンドロ島へのアクセス拠点バタンガスの港に着いた。あいにく台風がルソン島中部を横切って西へ進んだため、ルソン、ミンドロ間の海は大荒れ、船は全便欠航していた。それでも波が収まれば出航するかも知れないので、船着き場で待つことにした。同じ期待を持つ人たちで待合い所は人の波で溢れかえらんばかりであった。夜半になってフェリーが出航することになった。船の座席に座れない人が続出。どう考えても定員オーバーだ。

港を出ると船は揺れ出し、横殴りの雨に甲板では傘などまったく役に立たなかった。数年前にフィリピンの海で定員オーバーの船が嵐で沈没して700名以上の犠牲者を出した海難事故のことが頭をよぎる。未明に目的地ミンドロ島のカラパン港に入った時は、正直ホッとした。本来ならば前日の夕刻にはカラパンの宿に到着しているはずが、明け方になってしまい、ミンドロでの初日は山に入るころではなくなった。

翌日になって、ようやく島の最高峰で、フィリピンで三番めに高いハルコン山(Mt.Halcon、2587m)を目指すことが出来た。日本にもいる山蛭だが、ここハルコン山では特に多かった。画像にあるようにガイドの男性の素足に次々とのぼって来る。僕は靴下に長ズボンだから安心しきって、シジミチョウの写真を撮ることに夢中だった。

夜になって宿に戻って、靴や服を脱ぎ始めて、驚いた。靴下、ズボンはもちろんのこと、下着まで血だらけになっていた。蛭は満腹したのか、すでに姿は無かった。シャワーで血を洗い流したが、何カ所にもわたる噛み痕からの出血は止まらない。蛭は噛むと血を吸いやすくするために、血を止まらなくする物質を出すと聞いたような覚えがある。結局、持参の綿と絆創膏で噛み口をしっかりと押えたので、幸い翌朝には出血は止まっていた。以後、ズボンの裾を靴下の中に巻き込んで輪ゴムできつく締めたので、蛭の被害には会わなくなった。

ミンドロ島には山岳地帯にマンニャン族(Mangyan Tribes)と呼ばれる先住民が住んでいる。陸稲やじゃがいもを栽培し、ラタン(籐)や蜂蜜を採取して現金収入を得たり、平地に住んでいる人々の水稲栽培の手伝いで生活している人たちもいるという。ハルコン山中で気さくな彼らと出会ったので、一緒に記念写真に入ってもらったのが、上掲の画像である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする