旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

ボルネオ島で太平洋戦争中に復活した首狩りの風習・3-2

2022-04-01 | 探検
2019年、ナショナルジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC)のテレビ番組で「Headh-unters of World War Ⅱ」のタイトルを目にして、閃くものがあった。ひょっとしてトム・ハリソン(以下、敬称略)のことが出て来るかも・・・!
「出て来るかも」どころか、彼を主体に描かれたドキュメンタリー風の映画であった。1944年11月、日本海軍の空母がブルネイに向かっている(のちのレイテ島沖海戦に参加するためと思われる)との情報で米軍のB24爆撃機が攻撃のため出動、日本軍の対空砲火を浴びて1機が墜落し、数人がパラシュートでボルネオ山中に降下し生き残った米兵たちは先住民にかくまわれた。

B24墜落地点

彼らを救うために英軍将校が送り込まれた。この英軍将校がトム・ハリソンであった。

彼はオックスフォード大学の探検隊の一員としてボルネオに行き、先住民と暮らし、彼らの生活や習慣、伝統をよく知り、入れ墨までしていた。

現地のことをよく知るハリソンを英軍はボルネオ奪還のための強力な人材として起用していた。英軍少佐になっていたハリソンはオーストラリアの特殊部隊と協力し、1945年3月ボルネオ島北西中央部の先住民ケラビット族が支配する高原近くにパラシュートで降下、対日ゲリラ戦に協力するよう彼らに医薬品を配った。


(画像は3-1の最初を除き、すべてナショナルジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC)の「Headhunters of World War Ⅱ」のものを使用させていただいた)

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