旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

ニセコスキー・2012年

2017-04-01 | 登山・スキー
2012年3月、幾度ともなく訪れたニセコスキー場で、娘に滑走シーンを初めて動画で撮ってもらった。僕がスキーを始めるきっかけになったトニー・ザイラーの「黒い稲妻」をBGMに入れた。カメラの撮影可能な範囲を滑るとまさにアッという間であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒルトンニセコビレッジ

2012-04-01 | 登山・スキー
北海道・ニセコスキー場は主にヒラフ、東山、アンヌプリの3地区に分かれていて、主峰ニセコアンヌプリ山頂近くまで上がると自由に各スキー場へ滑り下りることが出来、カナダやヨーロッパのスキー場に劣らぬ雄大な滑走を楽しめる。


ヒラフと東山のホテルを根拠地に何度も訪れていて、東山ではプリンスホテルに泊まってきたが、最近プリンスホテルの名が消えてヒルトンニセコビレッジなる名前をよく目にするようになった。

写真を見るとプリンスホテルの特徴であった円形の白い外壁の建物なので、多分ヒルトンが買い取ったのだろうと思っていたが、この3月に行ってみたらやはりそうであった。
ロビーやレストランは改装されて完全にイメージチェンジされていたが、部屋や大浴場、露天風呂は以前の面影のままであった。ホテル前から出ているゴンドラの終点から少し滑り下りたところからホテルを撮ったのが上掲の画像である。少し遠すぎて小さく写っているので分かりづらくて申し訳ないが、ゲレンデ中央の奥にグレイっぽく見えているのが、ホテルの裏正面である。

ニセコの国際化が始まって久しいが、相変わらずホテルでもゲレンデでも外国人の姿がよく目につく。どこの言葉かよくわからないグループがいたので聞いてみると、ノルウェー人であった。以前は英語と中国語が飛び交っていたが、韓国語も増えてきた。その上にあまり耳にする機会のない言葉まで混じって来て外国のスキー場に来たような雰囲気が味わえて楽しい。

一番上のリフトで山頂近くまで上がって快晴の羊蹄山を真正面に見ながら滑り降りるのはまことに胸がすく思いであった。

デジカメの動画で滑走シーンを娘に撮ってもらったのを切り取って静止画にして下に掲げるが、ビデオカメラで撮影したようにはゆかず、画素数が小さくなって不鮮明になってしまったことをお許し願いたい<(_ _)>

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘッセとオーストリア・シュトゥーバイ

2011-02-01 | 登山・スキー
ヘッセとはもちろんノーベル賞作家のヘルマン・ヘッセである。彼は蝶(や蛾)が大好きで、数々の詩歌や散文の中で、そのきらめきながら消えゆく生命の神秘をうたいあげた。作品「クジャクヤママユ」は改稿されて「少年の日の思い出」として、わが国の中学国語の教科書に63年間も掲載され続けてきたので、読まれた方も多いと思う。

ヘッセは自ら採集した標本に記録のラベルを付ける際、無機質なデータを羅列するのでは無く、ラベルのサイズは大きくなるが、場所を特定出来るように詳細に記録している。このようなラベルの付いたヘッセ採集の標本を実は地元大阪の蝶研究者、木下總一郎氏が持っておられる。

ジャノメチョウ科のベニヒカゲの仲間 Erebia pharte var.eupompa (画像、上側左の蝶、ファルテベニヒカゲ)で標本の右にある下側のラベルがそうである。黄色の枠内にまぎれも無く H. Hesse の署名がある。ラベルに書かれた採集地は「オーストリー・インスブルックから24km南西、北チロル地方シュトゥーバイ(ア)・アルペン山脈、オーバーベルクの谷の最も奥にあるフランツ・ゼン・ヒュッテ」となっている。

このラベルとその上にあるラベルに書かれているシュトゥバイ(ア)、Stubai(el)の地名を見てアッと思った。20年ほど前、オーストリア・チロル地方へスキーに行った時、インスブルックに宿泊して近郊の3か所のゲレンデで滑った中にシュトゥバイアがあった(画像中、橙色の矢印や囲いで示した地名)。氷河 の上で滑っているのですよ・・とガイドに言われて、「そうか、夏はこの下の氷河が姿を現すのか」と気付いた。標高3,200mにあるゲレンデだったが、息苦しさを感じることもなく、締まった雪の上で思いっきり滑走を楽しんだ。最後は3,200m地点から麓のロープウエーの駅まで何キロも続く峡谷を滑り下りた。

当時は、ヘッセがかの地に夏場、採集に来ていたことはまったく知らなかったので、白銀の世界を楽しんだだけだが、今、あの峡谷の夏の風景を想像して、岩稜地帯や緑に覆われた草原を1927年7月下旬、ヘッセがベニヒカゲを追っていたのかと思うと感慨深いものがある。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カナダ・ウイスラースキー場

2010-03-11 | 登山・スキー
バンクーバー・冬季オリンピックが終わった。バンクーバーという名で代表されているもののバンクーバーに雪山があるわけではなく、スキー競技は山岳地帯のウイスラーで開催された。昔、ウイスラーへ滑りに行ったことがあるので懐かしい思いでTV画面に見入っていた。僕の興味はアルペン競技だったが、残念ながら日本人選手の成績は芳しくなかった。男子回転(スラローム)で前回、トリノで4位だった皆川選手は期待されていたが、1回目の滑走でコースアウトして棄権、決勝に進むことは出来なかった。

観戦していて、かの地の急斜面のゲレンデでハデに転倒した時のことを思い出した。当然スキー板はブーツからはずれてくれたのだが、斜面を転げ落ちる僕の目に入ったのは高く舞い上がって行く板であった。ようやく停止した僕は急いで板の行方を目で追った。板は何と雪面にほぼ直角に突き刺さっていた。広大なゲレンデには幸いスキーヤーはほとんどいなかったので、ヤレヤレと胸をなでおろしたのだが、僕の長いスキー経験で初めての光景に苦笑いするしかなかった。

この時はJALの2名より催行というスキーツアーに参加したのだが、2か月前の申し込み時点では僕を入れて3名申し込みになるので、「ツアーは決行します」ということだったので申し込んだ。予定通りバンクーバー空港に到着して驚いた。2か月前の2名はキャンセルしていて、客は僕ひとりだという。大型の観光バスにただひとりの客として、ウイスラーへ向かった。

海外のスキーツアーでは、いくつもある広いゲレンデを初日に現地のスキーガイドが半日かけて案内してくれるのが慣例になっている。やはりここでも僕ひとりのためにちゃんとガイドが付いて一緒に滑ってくれた。完全に採算割れやん!・・・と気の毒な半面、おもいっきりガイドと二人きりで日本のスキーゲレンデでは味わえない豪快な滑りを楽しむことができ、本当に贅沢なスキー旅行となった思い出の地である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道・ルスツスキー場

2008-03-16 | 登山・スキー
3月中旬、北海道・洞爺湖にほど近い、ルスツへスキーに行った。例年ならまだまだ寒く、吹雪くと真冬に逆戻りする北海道だが、好天に恵まれ、気温も高く、一足早く春スキーを楽しむことが出来た。

厳寒時の締まった雪はもちろんベストだが、指先の感覚が無くなり、肌に突き刺さるような冷気に震えるのとは、まったく無縁の、春先のあたたかい陽光を浴びて、眼下に広がる白銀の世界を楽しみながら滑るのは実に心地よいものである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利尻山とウニ丼

2007-05-30 | 登山・スキー
6月に利尻山を登った。さすが北国の山で雪渓をトラバースしなければならない所が数カ所あった。

左、上段の画像の右下に八合目の赤い屋根の避難小屋が小さく写っている。山頂は北峰と南峰があって、南峰をバックにシャッターを押してもらった。

さて、この時期に利尻へ行ったのには、もう一つ目的があった。美味で知られる「エゾバフンウニ」の漁が解禁になっているからだ。

画像右、上段のオレンジ色をしたウニがそうだ。稚内、利尻島と三日間、取れたての地元でしか味わえない「ミョウバン」不使用の純粋のウニを食べ続けた。最初の内は本当においしかった。でもさすがにだんだんとその濃厚な味が鼻に付いてきた。

港に漁協の食堂があって、「キタムラサキウニ丼」の看板が上がっていた。ここまで来たのだから、エゾバフンウニと思いこんでいたので、横目に通り過ぎていたのだが、バフンウニより値段は安いし、一度味見をしてみようと注文した。

エゾバフンウニに食傷気味だった僕は新しい発見に驚いた。キタムラサキウニのアッサリとして、美味しいこと。 そうだ! この二種のウニを交互に食べていれば良かったんだと(大したことでは無いが)、悟った次第である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒマラヤの名峰をバックに

2007-05-06 | 登山・スキー
山登りが大好きで、日本アルプスを中心に数々の山頂を踏破。

憧れのヒマラヤをトレッキング。夢にまで見た名峰を目の当たりにした時の感動と心のときめきはとても言葉にはあらわせなかった。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒマラヤの子供たち

2007-05-06 | 登山・スキー
平成3年(1991年)10月、アンナプルナ峰を目指してトレッキング中のある日、我々のテント場に子供たちがやって来た。

きれいな澄んだひとみをキラキラ輝かせた無邪気な子供たちの仕草に心が和んだ。

ヒマラヤの夜空で仰いだ無数の美しい星のきらめきと共に忘れられない想い出だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒマラヤの路傍の花々 1

2007-05-06 | 登山・スキー
ヒマラヤ山群をトレッキングしていると、路傍に咲いている美しい花々に思わず見とれてしまうことがある。

この清楚なうす青色のリンドウもその一つであった。ヒマラヤの空の濃い青色と対照的な上品な色彩にこころ安らぐ思いであった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒマラヤの路傍の花々 2

2007-05-06 | 登山・スキー
ヒマラヤのリンドウの色彩とは対照的にあでやかな濃いめのピンク色に目を奪われた。

ヒマラヤサクラ草とでも呼ぼうか。小さな株なのに、その存在をアピールするかのように咲いていた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒマラヤの路傍の花々 3

2007-05-06 | 登山・スキー
11月のポストモンスーンの時期であったが、ヒマラヤ桜といった風情の薄紅色の上品な花が、そろそろトレッキング疲れを感じ始めた我々の心を癒してくれるように咲いていた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エベレスト山群で13邦人含む26人遭難、1995年11月12日朝日新聞

2007-05-06 | 登山・スキー
平成7年(1995年)11月、トレッキング開始から二日目、エベレスト街道をパクディンからシェルパの里、ナムチェを目指して登っていた。上空をヘリコプターが何機も飛んでいく。
我々のパーティーの若いシェルパ頭が何か起きたのではないか、と不審そうな顔をして、こんなにヘリコプターが飛び回っているのはおかしいという。

夜、テントの中でシェルパ頭が聞いたラジオ放送で悲劇を知った。4,700m地点で起きた雪崩によって日本人13人を含む26人が遭難したのだ。シェルパ頭が、仲間のシェルパ数人も亡くなったようだと興奮気味に言う。

日本へ帰国後に聞いた話だが、テレビ画面上に 「エベレスト方面で、日本人大量遭難」いうテロップが流れたそうだ。僕の家族もずいぶん心配したようだ。というのは、我々も同じルートをたどっていたからだ。
しばらくして、日程上まだ遭難現場に到着していない筈だ、と分かり、遭難した人には気の毒だが、一安心したという。

もう一週間でも早く出発していたら、我々も遭難していたかも知れない、と思うと、こころ穏やかでは無かった。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャンボチェに着いた真新しい空(から)のひつぎ

2007-05-06 | 登山・スキー
捜索隊前線本部が置かれているシャンボチェに大型ヘリコプターで真新しい13の空(から)のひつぎが運ばれてきた。遭難した13人の日本人のためのものだ。

同じく亡くなったシェルパたちには宗教上の理由からか、習慣の違いからか、ひつぎは用意されなかった。

高山の強い風にあおられて、まるで死者の魂がこの世に別れをつげるかのように、並べられたひつぎのふたがハラハラと空中に舞い上がった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しい13のひつぎ、1995年11月15日、朝日新聞

2007-05-06 | 登山・スキー
遭難した日本人13人の遺体がゴーキョ峰からヘリコプターでシャンボチェに運ばれてきた。

「白銀のふもと 悲しい13の棺」という見出しで、並べられたひつぎの写真が掲載された。

「後方の丘では約百人のシェルパたちがじっと見守った」と記事に書かれていたが、僕もシェルパたちに混じってこの光景を悲しい思いで見ていた。

写真を撮る気にもならなくて、亡くなられた人々の冥福を祈っていた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雪山主峰 旭岳スキー

2007-05-03 | 登山・スキー
北海道の最高峰、大雪山連峰の主峰、旭岳(2、290m)には、山岳スキー場として有名な旭岳スキー場がある。

四月下旬になっても、さらさらのパウダースノーの新雪が積もり、スキー好きにとっては天国のような存在だ。

旭岳ロープウェイの終点、姿見駅(1,600m)でゴンドラを降り、普通は山麓に向かって山岳コースを滑って下りるのだが、あまりにいい天気だったので、スキー板をかついで噴煙を上げる「姿見の池」の方に登って行った。

かつて夏山シーズンに旭岳から黒岳へ大雪山系を縦走したことはあるが、その時の登山靴と違って、スキーブーツで板をかついで雪上を歩くのはちょっと無茶だった。

息が切れてしんどかったが、旭岳をバックに「姿見駅」に向かって滑走を始めた途端、今までの疲れを忘れて思わず快哉を叫んだ。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする