旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

小説・八月の青い蝶

2014-05-01 | 
新聞の広告欄で「八月の青い蝶」という表題の本が目に止まった。
内容の紹介文・・昭和20年8月の朝、広島――。陸軍偵察機搭乗員の子として育った亮輔。彼が何十年にもわたって大切にしてきた昆虫標本箱には、妻も娘も知らないある物語があった・・・

タイトルに蝶の文字が入っていても、蝶の出てこない小説は結構あるが、昆虫標本箱とあるので、蝶が関わっている可能性が高い。カバーにある蝶には尾状突起があるので、青い蝶といってもモルフォではない。興味に駆られて入手した。帯には・・前翅の一部が欠けた小さな青い蝶がピンでとめられていた・・の文字が並んでいる。ひょっとして僕の好きなシジミチョウかも知れない。

読み始めて十数ページで、標本箱の中の蝶が出て来た――ほんの三センチほどのちいさな青いチョウ――大きさから言って紛れもなくシジミチョウである。何シジミだろう? 僕の悪い癖が頭をもたげた。

軍用飛行機というと、僕のような素人はつい零戦のような戦闘機を真っ先に思い浮かべ、偵察機には思いを馳せることはなかった。三菱の一00式司令部偵察機「新司偵」。空の忍者と呼ぶにふさわしい。過酷な長時間の隠密飛行に耐えられる双発の流麗な形状の高速機の写真を見て思った。高速での隠密飛行の使命達成のため武装せず、戦闘機の護衛も無く単機行動し、敵機に見つかってうまく離脱出来なければ撃墜され消息を絶つ。これほど孤独な兵士はあるだろうか。この小説の主人公亮輔の父がこの兵士のひとりであった。

2010年8月、亮輔は急性骨髄性白血病で短い余命を自宅で療養して過ごすことになり、妻と娘のきみ子は彼の受け入れ準備に忙殺されていた。そして仏壇の引き戸から上述の蝶が入った標本箱を見つけた。ちいさな青い蝶には亮輔しか知らない秘められた恋の物語が詰まっていたのである。

これからストーリーを紹介するつもりではない。僕の関心事、蝶に移る。太平洋戦争末期、中学生だった亮輔と父の若い愛人であった希恵とを強く結びつけたのが蝶であった。二人の会話を抜き出してみる。

・・・そのとき希恵が、ふと思い出したように、「あ、そんなことより」と、亮輔の制服の袖を引っ張って、先ほどまでしゃがみこんでいた場所を、見てごらんと指で示した。そこはやわらかいシロツメクサのくさむらで、よく見るとひとつの葉の裏に指の先ほどのちいさなダルマ型のさなぎが細い糸をかけてへばりついていた。


 希恵はそのちいさなさなぎをそっと手のひらで受けながら、「亮ちゃん、これはチョウチョのさなぎ。もうすぐ羽化するのよ。ほら、こんなふうに黒くなっているでしょう? こうなるとあと一日もかからない。たぶんあしたの朝よ」
 希恵は親指とひとさし指で三センチほどの隙間を作って、「このくらいの、ちいさなシジミというなかまがいるでしょう。これはそのひとつで、わたしが間違ってなければ青空みたいな、泉みたいな、きれいなきれいな青色のチョウチョよ。翅の両側の下のところにツバメみたいなしっぽがちょん、ちょん、とついているの。・・・」

ツバメシジミとよばれるシジミチョウである。二人は翌朝、羽化する瞬間を見に来る約束をする。 亮輔は、「うん、来る来る。きえさんも来てね」
 
翌朝とは昭和20年8月6日の朝、場所は広島である。希恵は原爆で亡くなった。亮輔は学徒動員の疎開作業をしていて、川の中へ飛ばされ重傷を負いながらも運良く助かった。亮輔は地獄と化した町を必死になって希恵を探し回った。

・・・亮輔の右手の甲の上に、なにかがひら、ひら、と降ってきた。
 火事の燃えカスかなにかかと思ったら、ちいさな灰色のチョウだった。
 ・・・・・
 ふわり、ふわり、と呼吸するように閉じ開きしているその灰色のチョウチョの内側に覗いた色――!
 それはちょうどいま時分のような暮れかけの夏空に似た、きれいなきれいな深い青色だった。そして、両側の後翅のところに、ちょん、ちょんと、ツバメのしっぽのようなものがついていた。
 ――これは……これは……、もしかして……。
 ――あの、チョウチョか?
 ――けさ、生まれたやつか?
 よく見ると、右側の前翅の角が少し焼けて欠けていた。
 ――きえさん!
 ――きえさん!
・・・・・

2010年8月6日、原爆記念日のサイレンが鳴るころ、亮輔は白いチョウの大群の夢を見ていた。娘のきみ子は父が気になって様子を見に来て声をかけた。亮輔は娘に顔を向け、目を見張り、世にもうれしそうに目を細めて、「おお、おお、きいさん、か」と言い、まっ白な、チョウチョの群れの夢の話を始めた。きみ子は自分を見つめた父の輝くようなまなざしが、ちょっと変だと思い、なぜ自分のことを「きいちゃん」でなく「きいさん」と呼んだのか、と思った。これまできみ子は父からさんづけで呼ばれたことは一度もなかった。

・・・亮輔は人生の最後で、探し求めていた希恵についに巡り会うことが出来た。

小説の中には、もちろん原爆と被爆者の問題、亮輔と偵察機搭乗員だった父親との関係が描かれているが、物語の中心は亮輔と希恵の戦時下の甘くて切ない恋である。二人の秘められた恋を結びつけているのが、ちいさな青いシジミチョウなのである。シジミチョウ屋を自認する僕にとってこれほどうれしいことはない。

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