旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

Rachana mioae ・・・・ 消えた属名 Eliotia

2007-07-30 | 
蝶の、世界中に通用する名前として、学名がある。学名は国際動物命名規約に詳しい取り決めがあり、新種を発見した場合、これに従って学名を決定し、記載論文を印刷物の形で発表する。

学名はリンネの提唱した二名法に基づいていて、属名(ぞくめい)と種名から成り、この二つの名前の組み合わせですべての動物の中のある特定の種を表すことが出来る。学名の後に命名者、命名年が続く。

画像のシジミチョウを例にとれば、 Rachana は属名、mioae は種名で、H. HAYASHI は命名者、すなわち僕、そして 1978 は西暦で表した命名年である。もし亜種が存在する場合は、三名式となり、種名の後に亜種名が挿入される。

僕は1978年(昭和53年)、このシジミチョウを模式種(タイプ標本)としてEliotia属を創設した。属とは分類上、種の上に位置し、一般的な表現を使えば、普通は幾つかの共通する特徴を持った種が集まって属を形成している(一属一種の場合もある)ので、いわばそのグループ名に当たるものである。

属名のEliotiaとは、僕の蝶師(?)の一人で長年にわたって有益な教えを受けた英国の著名な蝶研究者、Eliot氏に感謝の意を表して献名したもので、氏の名前をラテン語化したものである。

属名や種名を命名する時は、以前に学名として使われたことが無いことを確認して発表するのだが、1978年当時はせいぜい昆虫類で名前が重複していないか調べるのが関の山で、全動物をチェックすることは現実には不可能な作業だった。

最近はあらゆる分野でデータベース化が進み、全動物の学名のチェックが容易になった。その結果、属名Eliotiaは、1909年(100年前!!)に軟体動物のショウジョウウミウシ科の属名に使われていたのが判明した。画像の下段は中山書店発行の「動物系統分類学、軟体動物(Ⅱ)」の中の一ページで、ショウジョウウミウシ科の解説中に「別属Eliotiaは本邦未記録、地中海産」という記述がある。多分、20世紀初頭にEliotという名の人物に献名された属名であろう。これはホモニム(異物同名)といって二つの違った属に同じ属名が使われていることになり、後年シジミチョウの属名に使った僕のEliotiaは無効名(junior homonym)となって消え、僕の命名より後に付けられて、シノニム(同物異名:同じ属に二つの名前が付いていること)で無効名として消されていたRachanaという属名が復活することになった。

長くなったが、これがEliotia mioaeが現在Rachana mioaeという学名に変わった顛末記である。

それにしても新属の創設という多大なエネルギーと専門的知識を要求される作業が、ただ時代が早すぎた(データベースの無かった時代)ということと、Eliot氏の名前が姓としてはあまりにもありふれていた(Eliotさん、申し訳ありません)というだけで、僕が世界中で一番初めにmioaeが既知の属とは違う新しいグループを形成しうるという考えを発表したという客観的事実まで、命名上のきまりとはいえ、葬られてしまうのには釈然としない思いを抱くと共に、mioaeを新しい属の創設にふさわしい種であると見抜いた僕の慧眼(自画自賛ですみません)と努力が無に帰したのは、何ともくやしくてならない。

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新種の発見、命名は虫屋(蝶屋)の夢!

2007-07-25 | 
小学校高学年の時、身近な所にいる蝶の採集と標本作りに精を出し始めた。その頃はせいぜい日本の珍しい蝶を捕ることが出来ればと思っていたが、それでも少年の僕にとっては大きな夢であった。

大学時代に探検部で長期間ボルネオへ遠征したのが、大きな転機となった。日本の蝶で新種が出る可能性は考えられなかったが、ひょっとしたらボルネオでは、と期待して出かけた。しかしボルネオは古くからイギリスの勢力下にあり、ウォレスを初めとする採集家や博物学者が研究を続けてきた地域だったので、多くの種が既に発見され、記載されていた。多数の蝶を採集したが、この時の遠征では結局、新種を見いだすことは出来なかった(幸いにも後年、ボルネオから2新種を発見、命名出来たが)。

新種を発見して、記載論文を書き、命名したい!との思いがボルネオ遠征の後、ますます強くなった。博物学好きのイギリス人やオランダ人が進出していない地域(それは取りも直さず新種発見の可能性が残っている地域なのだが)、それがフィリピンであった。

フィリピンの蝶に関しては、ドイツ人のゼムパー(Semper)の研究が知られていたが、多くの島々から成る地域のことゆえ、とてもカバーしきれる訳が無い。予想した通り次々と新種が見つかり、記載論文を発表、命名した。

「新種発見」と言葉で書けば簡単だが、上掲の画像の記事にあるように新種であることを確定するには非常な努力と専門知識を要求される。しかし、未知の蝶に名前(学名)をつける。これを達成した時の喜びは何物にも代え難い。

画像、右側は博物館の専門家のことについて書かれた記事であるが、プロの学者にとっても大きな喜びであり、業績となる。まして僕のようなアマチュアなら、なおさらである。

画像、左側は書評である。「新種はそう簡単には見つからない。特にチョウなどは、チョウ専門の虫屋が多いことから、ほとんど絶望的である。」と書かれているのを読むと、「僕は幸せな虫屋(蝶屋)なんだな~」と自己満足の感慨に酔いしれてしまう。






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大阪市章「みおつくし」の名前の付いた シジミチョウ

2007-07-19 | 
関西学院大探検部は1967年(昭和42年)から数次にわたり、フィリピン・パラワン島に調査隊を派遣した。隊員の一人は熱心なチョウの採集家で、毎回一生懸命にチョウを捕った。

パラワンは当時、幻の部族の存在が噂される秘境とされ、チョウについても入手しがたい地域で、そのコレクションは垂涎の的であった。大阪市立自然史博物館がこの貴重なコレクションを購入し、僕がシジミチョウの同定(分類上の所属や種名を決定すること)を担当した。

同定作業の結果、幾つかの新種、新亜種を発見、記載した。このコレクション購入に予算を付けた大阪市の英断に敬意を払って、1976年(昭和51年)、その中の一新亜種に大阪市の市章「みおつくし」に因んだ亜種名「miotsukushi 」をつけた。

エメラルドグリーンに輝く美しい小型のシジミチョウ  Cyaniriodes libna miotsukushi H. HAYASHI である。

Cyaniriodes 属は和名ではチビキララシジミ 属と呼ばれているが、小さくてかわいらしいものを指す「ヒメ」を使用した方が今の時代に合っているのではないかと考え、「ヒメキララシジミ」と呼ぶことにしたい。従って「リブナヒメキララシジミ」のパラワン亜種が大阪市章に因んだシジミチョウである。

蛇足だが、みおつくし(澪標)とは昔、船が往来する時の目印にしたもので、昔から水運と出船、入船によって大阪が繁栄した(画像、左下2枚)ことから「みおつくし」が、明治27年に大阪市の市章になったそうである。
    





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平和な時代の日本で、 生きてきて良かった!

2007-07-17 | 
チョウを追い求めて、東南アジアの島嶼地域の山野を数十年にわたって駆けめぐってきた。チョウを探して、というと、何やら優雅に聞こえるが、熱帯雨林の中を汗まみれになって、息を切らせて歩き回らねばならず、肉体的に大変ハードな趣味である。

これらの画像は採集に出かけた時の光景で、右下はやや若い時に、ミンダナオ島のフィリピン最高峰、アポ山(3144m)をバックに、泊めてもらっていた村長さん家の子供と一緒に童心に帰って捕虫網を振った時のものである。

右上隅の画像、小さくて見えにくいと思うが、汗でジュクジュクになった帽子に水分とミネラル?を求めて、シジミチョウ(黄色の→の先)がやってきて、帽子の後部にとまっている。

画像、左は山中での昼食風景である。若い時はガンバリがきいたが年を取ってくると疲れやすくなって、あまり食欲が無くなる。でも食べねばバテテしまう。パサパサのまずい外米にワサビ入り海苔のふりかけ(右手に掲げている)をタップリ振って、胃を刺激して押し込むようにして食べて元気を取り戻している。

このように東南アジア各地に出かけているが、ほとんどの地は太平洋戦争中、日本軍が進出していた地域である。チョウを採りに出かけるのだから、当然へんぴな、そして自然いっぱいの地を目指して行くのだが、こんな所にまで!と思うような場所にも日本軍の足跡が残っていて驚かされる。

山中の採集行で疲れ果ててしまった時、いつも頭に浮かんでくるのは「戦争中の日本の兵隊で無くて良かった」という思いである。食料や(安全な)水の補給を満足に受けられずに重い装備を身につけ、敵の襲撃におびえながら、ジャングルの中を進軍、あるいは逃避行を続けた日本の兵士たち。

今、水はある!(まずいながらも・・僕のわがまま)食料はある!敵襲は無い!お前は恵まれている。こんなことぐらいでバテテは駄目だ、と自分を鼓舞する。そして、つくづく思う・・・平和な時代に人生を送ってこられたことの幸せを。


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大阪市天王寺区の花、 「パンジー」とツマグロヒョウモン

2007-07-04 | 
僕の中学時代(昭和30年前後)、ツマグロヒョウモンは郊外の山に出かけても、なかなかお目にかかれない珍蝶であった。初めて採集した時の興奮は、今でも忘れることが出来ない。

食草はスミレ類で、パンジーも含まれる。大阪市天王寺区では区の花として、「パンジー」を指定し、町会では鉢植えのパンジーを配ったりして、花々に彩られる区を目指している。また、各地域の公園でも時季になるとパンジーを見かけることが多くなった。

地球温暖化の影響もあって、熱帯系のツマグロヒョウモンは分布域を北方へ広げ、最近では東京でも越冬が確認されている。

かくして、特に夏から秋にかけて、交通量の多い都会のまっただ中でもオレンジ色も鮮やかな本種がヒラヒラと舞うように飛んでいるのをしばしば目撃出来るようになった。

画像はいずれも天王寺区の真田山公園で撮ったもので、パンジーの葉を注意して見ると、黒い体に濃いオレンジ色の棘が目立つ幼虫が見つかる。気味悪く見えるが、触っても、刺しもかぶれもしないので、できるだけ殺さないでそっとしておいて欲しい。

昔、珍蝶だったこの美しい蝶が身近に見られるようになり、とてもうれしいが、もっともっと増えてやがて「天王寺区の蝶?」に昇格してくれれば・・・、と少年時代に戻ったような気持ちで楽しい夢を見続けている。

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