昨年(2018年)10月から始まった連続テレビ小説「まんぷく」・・・言わずと知れた日清食品の社長、安藤百福氏の生き方を彷彿させるストーリーを特別な思いで視聴した。僕の高校時代に発売されたチキンラーメンは子供ごころに少し高いなと思ったけど、あまりのおいしさに母がカートン買いしてくれたチキンラーメンを夜食の楽しみに受験勉強に励んだことを懐かしく思い出した。大学時代、探検部の山行では、朝・昼食の調理と跡片付けの手間を短縮するためにチキンラーメンは大活躍し、体力維持のため夕食はしっかり調理したものを食べたが、朝・夕食はチキンラーメンを常食とするほどで大変重宝したものである。
1964年(昭和39年)探検部からボルネオ島へ学術調査隊を派遣することになり、当時日本は発展途上にあり、まだまだ貧しく海外遠征は高嶺の花であったので遠征資金のみならず様々な物資の調達も寄付に頼らざるを得なかった。
食料が不足した場合に備えて日清食品にも白羽の矢を立て、現物の寄付をお願いに行った。ちょうど日清焼きそばの中毒事件(これは小売店の在庫管理のミスで、真夏に日の当たる店先に商品を積み上げて売っていたので古くなった商品の油が酸化し、食中毒事件に発展してしまった)が発生し、会社には回収した商品が積まれていた。そこへ寄付をお願いに行ったので気前よくカートンごといただくことが出来た。もちろん中毒の心配のない製造後日数の浅い商品であった。創部して間もない何の実績もない我が探検部に返品商品とはいえ援助していただき、とてもありがたかった。
かくて他の様々な物資と共にはるばるボルネオへ日清やきそばは旅立ったのである。原住民の村で我らと原住民で味わった日清焼きそばのおいしかったこと! もちろん原住民の人たちにも上々の評判であった。まだこのようなインスタント食品が海外では一般的でなかった時代にボルネオで味わった人々がいたというひそかなエピソードを紹介した。当時の包装袋はもちろん残っていないので、下に現在販売されている日清焼きそばの袋の画像を掲げた。
1964年(昭和39年)探検部からボルネオ島へ学術調査隊を派遣することになり、当時日本は発展途上にあり、まだまだ貧しく海外遠征は高嶺の花であったので遠征資金のみならず様々な物資の調達も寄付に頼らざるを得なかった。
食料が不足した場合に備えて日清食品にも白羽の矢を立て、現物の寄付をお願いに行った。ちょうど日清焼きそばの中毒事件(これは小売店の在庫管理のミスで、真夏に日の当たる店先に商品を積み上げて売っていたので古くなった商品の油が酸化し、食中毒事件に発展してしまった)が発生し、会社には回収した商品が積まれていた。そこへ寄付をお願いに行ったので気前よくカートンごといただくことが出来た。もちろん中毒の心配のない製造後日数の浅い商品であった。創部して間もない何の実績もない我が探検部に返品商品とはいえ援助していただき、とてもありがたかった。
かくて他の様々な物資と共にはるばるボルネオへ日清やきそばは旅立ったのである。原住民の村で我らと原住民で味わった日清焼きそばのおいしかったこと! もちろん原住民の人たちにも上々の評判であった。まだこのようなインスタント食品が海外では一般的でなかった時代にボルネオで味わった人々がいたというひそかなエピソードを紹介した。当時の包装袋はもちろん残っていないので、下に現在販売されている日清焼きそばの袋の画像を掲げた。