旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

NHKニュースにマーキング入りのアサギマダラが偶然に・・・

2010-10-20 | 


10月19日、何の気なしにニュースを見ていたら、大阪・吹田市にある万博記念公園の色とりどりのコスモスが今を盛りと咲いている美しい画面が映し出された。翅が少し傷んだアサギマダラが吸蜜に訪れていた。

「・・・ん? 少し翅の模様がおかしい!」 蝶を追い続けてきたせいで、普通の人よりはかなり鋭敏になっていると自負している僕の動体視力はわずかな異常も見逃さなかった。翅の裏面に文字が書かれている。

マーキングとは捕獲した個体に油性フェルトペンで翅にマーク(標識)を書くことで、この蝶を放して移動の調査をする。標識として放した人が特定できるような記号、個体番号やマーキングした日付などを書き込むことになっている。これによって再捕獲された個体の寿命や移動分散の距離を知ることができる。

現在は日本鱗翅学会を始めとしていろいろな団体がこの調査に加わっているが、もともと大阪市立自然史博物館学芸員の故日浦 勇氏によって1980年代にスタートしたプロジェクトで、アサギマダラが非常に長距離の渡りをすることがわかってきた。移動の最長距離記録は2000kmを超えるとのことである。

漁師が海上に横たわって漂っているアサギマダラを見つけ、船を近づけると舞い上がって飛び去ったという話を聞くと、海面を漂うことによって休息を取りながら移動を続けている可能性があり、まだまだ最長距離記録は更新されそうで大変興味深い。

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書評ー幻影のアリバンバン

2010-10-10 | 
科学関係の書籍と雑誌出版の老舗、ニューサイエンス社の月刊誌「昆虫と自然」に拙著「幻影のアリバンバン」の書評が掲載されている。評者は関西在住の医師で僕より一回り若いが、アジア島嶼地域から数々の蝶の新種を記載されている。蝶好き少年であった彼が外国の蝶に関心を持つようになったのは、古今書院発行の拙著「ボルネオの人と風土」(書中に蝶についてのくだりが何か所かある)によってであり、とても光栄に思っている。以下、彼の書評を紹介させていただくことにする。


現在では日本人によってもアジア各地域から新種記載が数多くなされているが、著者は、その黎明期にとりわけフィリピンのシジミチョウで多数の新種、新亜種を記載されている。今回、蝶への情熱と一人の女性への永遠の愛を織り成して初めて書き下ろした物語が本書である。
 
 新種を発見、記載したいと考えO大学理学部に進学した蝶好きの少年杉村昭彦は、海外への遠征を目指して探検部を創設する。何人かへの淡い恋を経験しながら、可憐なシジミチョウにイメージが重なる田代茂登子と巡り会う。愛の証として新種を発見し、彼女に献名するためにボルネオまで遠征するが、簡単には新種発見に至らない。その後、分類学の手法研究のため大英博物館へ1年間留学する。

 1960年代のまだ海外渡航が困難な時代にボルネオに遠征するための苦労や当時のサラワクの様子が描かれていて隔世の感がある。評者自身、中学生の頃、本多勝一の探検三部作や著者の処女作「ボルネオの人と風土」を読んで、将来、海外へ蝶の採集に出かけたいと強く憧れたことが思い出された。大英博物館でハワースに師事した事、エリオットとの交流、ライデンでのデ・ヨンとの出会いなども綴られている。
 
 その後、昭彦は憧憬する茂登子に献名するためのアリバンバン(ビサヤ語で蝶の意)を求めて数次にわたりフィリピン、ネグロス島のカンラオン山を目指す。そこでドイツの蝶研究家トレッダウェイとも出会う。そして・・・
 
 蝶好き少年が成長してゆく過程でのフィクション?の永遠の愛を織り交ぜたまさに著者自身の自伝物語であろう。
 なかなか女性によくもてる主人公であり、かつ種々の蝶だけでなく実在のヨーロッパの蝶研究者も登場し、蝶屋には楽しい1冊である。
 
 なお、表紙カバー裏面には著者の命名した多数のフィリピンとボルネオのシジミチョウが美しくデザインされている。

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蝶と道尾秀介著・光媒の花

2010-10-01 | 
この本の広告を見た時、表紙カバーに一匹の蝶が舞っているのに気付いた。そして「一匹の蝶が見た、絶望の果ての温かく希望にみちた世界」の文字が目に入った。カバーに蝶が描かれていたり、タイトルに蝶の名前が入っていても、本の内容が蝶と関係の無い場合が多くて、がっかりすることがよくあるが、この時はなぜか心に響くものを感じて、すぐに本屋で手に入れた。

読み進んでいって、文章の構成の巧みさに思わず唸った。さすがミステリー、ホラー、文芸などのジャンルを超えた作品を生み出している著者だと感嘆した。連作群像劇と謳っているように六章から成る小説はそれぞれの章が独立した物語になっていながら、一部が互いに関連を持ち著者の優れた筆力で僕をアッと思わせる展開を見せる。

そして肝腎の「蝶」も僕の期待を裏切らなかった。各章に必ず蝶を登場させている、しかも暗く絶望的な世界からあたらしい希望を予感させる未来への先導役として「蝶」は忽然として姿を現す。どんなに救いようのない状態でも未来への希望を捨ててはいけないよ、と蝶は教えている。僕は常々、蝶を美の象徴であるばかりでなく、儚げな存在に見えながら実はしなやかにたくましく生きていることを書き綴っているが、著者は正しく蝶の生命力の強さを未来への希望のシンボルとして書き表している。暗澹たるストーリーが続く中、一匹の蝶の存在を挿入することにより登場人物と読者を絶望の淵から救いあげている著者の意図に蝶屋として厚い敬意を表したい。

著者はひょっとして虫屋(蝶屋)かも、あるいは虫屋を目指していたのかも知れない!と感じさせる表現がある。「第三章 冬の蝶」に越冬するキタテハの描写の部分は正しく蝶屋の眼を通して描かれている。また「当時の私には、昆虫学者になるという夢があった」という文章や「第六章 遠い光」ではトンボに詳しい少年が「将来は昆虫学者?」と聞かれて「そのつもり」「昆虫学者になりたかったというよそのおじさんが夢を大きく持てって教えてくれたから、昆虫学者になることにしたんだ。虫が好きだから」というくだりがあって、著者の虫に寄せるただならぬ関心がうかがえて興味深い。

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