白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(51) バミリのこと

2016-04-19 17:35:58 | 思い出
            

井上ひさしと水谷良重共著の「拝啓 水谷八重子様」という本を読んでいたら 水谷良重がテレビ創世記の頃の思い出話の中で面白い
話をしていた。ちょっと長いが引用させていただく。

「良重さーん、画面に入ってない、映らないなら居る必要なーい」とトークバックのボリーム全開で怒鳴られました その頃テクニカルディレクターに通称「バミダン」と呼ばれる人がいて 何故かいつもビニールテープを持っていて 人の立つ場所にテープを貼っていくのです カメラの位置にまで床にベタベタ貼るのです 「バミダン」の貼るビニールテープが「バミテ」と呼ばれるようになりました それが動詞になり「バミる」「バミリ」になりました 今はどこの局でも使っているこの言葉、そもそもは日本テレビ井原チーム語でございます・・・・・・


(この日テレの井原高忠さんと言えば伝説上の方で「光子の窓」や「シャボン玉ホリデイ」「11PM」「スター誕生」「ゲバゲバ」「うわさのチャンネル」「24時間テレビ」などを作り常に日本のテレビのバラエテイ、ショウ番組をリードしてきた方で 日頃から50歳になったら会社を辞めると公言していて1980年実際退職した)

日本テレビは1954年に開局した局で何もかも試行錯誤のこの時代のスタッフさんの通称「バミダン」の語源が何かというのははなはな疑問だが おそらくは大酒のみで蟒蛇(うわばみ)の旦那でバミダンといわれていたと思われる。

さてこの「バミる」という言葉は例えばヤフーの業界用語辞典によると
ばみる 立ち位置などをあらかじめガムテープなどでマークしておくこと とあり
その語源は「場見る」からというのが有力 転じて予約する、予定を入れるなどという意味でも使われる 
派生語として「バミテ」がある・・というのが定説になっている。

この日テレの業界伝説を知らない人たちはその語源も知らないまま使うのであろう。

この言葉はやがて舞台にも入ってきた。 
だけど我々の時代でも檜(ひのき)の舞台にはテープを貼ることはご法度であった。
 出来たばかりの市民会館などもガムテープ禁止のところが多かった。
(昔の会館の綱元ではビニールテープは不可で代わりにぼろ布が置いてあり それを巻き付けて目印にしていた)

それならそれ以前はどうしていたのか
歌舞伎の台本などをみると 「花道のよきところで見得」などとある 
昔はサスなどというものはなかった。 
看板役者はよきところで芝居をして廻りの役者が合わせたのであろう
道具さんは板目の何枚目という言い方をしていた。

先代の仁左衛門さんなどは晩年緑内障で失明しても中座の舞台なら見えなくても歩けますといっていた。
 実際見えぬ目で出演していた。

この本には水谷良重さんが他に
「百も知らない、二百も不承知、三百も存ぜぬ 無知な私」などと何かの脚本から盗ってきたと思われる面白い言い回しがあり 
調べると反対の意味の使い方で
「百も承知、二百も合点」という言い方はあった。

他の江戸期の言い回しではこの前「必殺仕置き人」をみていたら
「ここんとこずいぶんイタチの道だあなと言っていたので 
調べるとイタチは同じ道は二度と通らないといわれているから出た言葉だそうな。


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