白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(16) 名古屋 中村遊郭(その2)

2016-03-30 13:21:14 | 思い出
名鉄ホールといえばその昔電話帳といわれた「夫婦善哉」の脚本(昭和42年)以来
藤田まこと、野川由美子コンビの夫婦シリーズ(演出は竹内伸光)を書いてきた逢坂勉さんが一本立ちの兆し。
のちのロマン舎の核が出来つつあった。

昭和54年4月逢坂 勉作・演出「お天道さん、見ててや!」の公演に付いた時の話

野川由美子、大木実が主役で後は桜木健一、大橋壮多、小林芳宏 島米八 大竹修三らボクと同年齢の関西の若手役者ばかりが絶えず喧嘩を繰り返すといった芝居に当時超人気者の笑福亭仁鶴がゲストに出たことがある。

その中日近くに仁鶴の嫁(たかこ姫としてこれまた人気があった)がやってきて役者、スタッフを慰労会を催してくれたした。ちなみに当時の仁鶴のマネージャーは後の常務になった木村政雄さんであった。
いわく素人風情が人気者ゆえいい役を戴きご迷惑をおかけした、またスケジュールを無理させて申し訳がなかった(一回公演が多かった)と男性は仁鶴やんが、看板と女優は嫁が接待したことがある。
女性陣はどうしたか知らないが男性陣は中村の近くの焼肉屋で宴会をして精を点けてから全員でソープに繰り込んだ。
全員で番号札を持った記念写真が残っている。
ベテランのNという関西の役者はそういう遊びをしたことがなく、「天国じゃ、天国じゃあ」と喜んだ。
大人数で繰り出したから 少なくとも何人かは「何とか兄弟」になったはずである。

このあとの芝居が俄然良くなったのはいうまでもない。

こういう女郎屋遊びは実に劇団を統一するには一番の方法であると実感した。
ただし金がかかるが・・


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