昭和29年「明日の幸福」明治座初演
今回の日本香堂観劇会の資料として松竹の演出家成瀬さんより戴いたDVDを見た
「明日の幸福」昭和29年度明治座初演版だ
物の本によるとその年9,10月新派は演舞場で「新派大合同、オール新作二か月興行」と銘打って勝負に出たが興行的に思わしくなかった
そこで花柳・水谷がお互いに協力して企画面での打開をはかろうとして 翌月明治座の「秋の新派祭」がその第一回公演である
出し物は昼の部は
1 川口松太郎作「しぐれ酒」一幕
2 泉鏡花 作「婦系図・めの惣」一幕
3 中野実 作「明日の幸福」三幕六場
夜の部は
1 北村小松 作「青い靴」二幕
2 久保田万太郎 作「あさくさばなし」三幕
3 川口松太郎 作「振袖纏」三幕八場
「明日の幸福」と「青い靴」が新作
花柳、水谷は昼夜第二第三演目でたっぷり共演する体制を取った
そして「明日の幸福」と「「あさくさばなし」の二作はその年の芸術祭に参加した
「明治座評判記」での批評は次の通り
「明日の幸福」は各紙に絶賛された 早速翌月の演舞場にロングしたのだから この初演は大成功だったと言っていい 今も新派の財産演目にもなっている作で 秘蔵の古代の馬の埴輪がブリッジになって財界の大物の祖父(小堀誠・70歳)と祖母(花柳章太郎・61歳)家庭裁判所の息子夫婦(伊志井寛・54歳 水谷八重子・50歳)、その新婚の息子夫婦(花柳武始・29歳 若水美子・21歳)の三代の夫婦が広い邸宅に一緒に住んでいる 三人の女が埴輪を壊したのはてんでに自分だと思い込み修理しょうとする そのおかしさを笑劇に堕とさず微笑ましく描き 最後まで観客をハラハラさせながら興味をもたせていく構成は心憎いほど巧妙 最後に家庭裁判所の離婚問題は若夫婦(花柳喜章・31歳 桜緋紗子・41歳)が姑(河合明石?)のワガママに勝って解決し 所長の家庭も祖父の念願の大臣就任が決まって家族一同朗らかな(?)笑いのうちに幕で万事目出度しだが 作者自身の演出も隅々まで神経が行き届いて とかく誇張しがちな俳優の演技を適度に押さえて 舞台に良きアンサンブルを見せるという具合 安藤鶴夫評は「商業演劇における今年の芸術祭参加作品の賞はこの作品に決定した」という援護ぶりだったが実際に「明日の幸福」関係者一同が芸術祭奨励賞を受賞した
とある(年齢 フルネームは吉村)
DVDは昭和29年11月12日に撮影したものだが3日初日から10日目の舞台である
その割には小堀や章太郎のセリフが入っていなくてプロンプターの声がやけに聞こえる
伊志井寛・水谷八重子は油の乗り切った年代でじっくりとした演技が見もの
それでも大詰めは笑い声で聞こえぬセリフも多々あった なるほどこれだけ受けていたのかということがよーく判る
特記すべきはいわゆる音楽は一切なしである
(その後クラシック音楽のレコードを幕切れに流したらしい)
若嫁をやった若水美子は二年後東映に映画入り中村錦之助らと何本か撮ったあと結婚 相手は舞台美術家の古賀宏一先生
丁度水谷良重が新派入りして(昭和30年)この役は昭和31年御園座からバトンタッチされた
水谷良重はこのあと妻恵子役を経て祖母淑子役と全役制覇した
その水谷八重子(当代)がブログ「ないしょばなし」に書いた「明日の幸福」についての文章があるので紹介する
「華岡青洲の二回公演続きで和歌山弁の口が疲れ切っておりますが一回公演だった14日に
8月三越劇場公演の「明日の幸福」の読み合わせがありました
「明日の幸福」は昭和29年に初演された新派のホームドラマの最高傑作なんです
3世代の家族の物語 セレブな家の物語なのに誰でも抵抗なく入って行かれる物語
S29年にはオジーチャマに小堀誠先生 オバーチャマに花柳章太郎先生 家庭裁判所の判事を務める堅物のオトーチャマに伊志井寛先生 そのお嫁さんでオカーチャマに母 孫息子に花柳武始さん若嫁に若水美子さん 大矢市次郎先生が政治ゴロの谷川という配役
私が、何にも出来ないズブの素人の私がデビューしたのがその翌年 そして評判を呼んだ「明日の幸福」がすぐに再演されました
16歳でこの若妻を
オジーチャマの小堀先生が亡くなり藤村秀夫先生になり
花柳先生が亡くなり母がオバーチャマになり
母の役恵子に木暮実千代さんを迎えたり・・・
まだ再演の時のメンバーがやっているときに
NHKが昭和天皇に「お誕生日の放送に何かご希望がございますでしょうか?」
その時のお答えが「ミョウニチの幸福」と仰ったとかで
NHKのスタジオで「明日の幸福」を撮りに行ったときの若妻は確か私だったような
いつの間にか母に替わって恵子役になり
いつの間にかオバーチャマの淑子役になり
また恵子役に戻ったりと「明日の幸福」とうとう全世代の役をやってきてしまいました
(以下略)
(水谷八重子「ないしょばなし」 2012・6・18)より
今回の日本香堂観劇会の資料として松竹の演出家成瀬さんより戴いたDVDを見た
「明日の幸福」昭和29年度明治座初演版だ
物の本によるとその年9,10月新派は演舞場で「新派大合同、オール新作二か月興行」と銘打って勝負に出たが興行的に思わしくなかった
そこで花柳・水谷がお互いに協力して企画面での打開をはかろうとして 翌月明治座の「秋の新派祭」がその第一回公演である
出し物は昼の部は
1 川口松太郎作「しぐれ酒」一幕
2 泉鏡花 作「婦系図・めの惣」一幕
3 中野実 作「明日の幸福」三幕六場
夜の部は
1 北村小松 作「青い靴」二幕
2 久保田万太郎 作「あさくさばなし」三幕
3 川口松太郎 作「振袖纏」三幕八場
「明日の幸福」と「青い靴」が新作
花柳、水谷は昼夜第二第三演目でたっぷり共演する体制を取った
そして「明日の幸福」と「「あさくさばなし」の二作はその年の芸術祭に参加した
「明治座評判記」での批評は次の通り
「明日の幸福」は各紙に絶賛された 早速翌月の演舞場にロングしたのだから この初演は大成功だったと言っていい 今も新派の財産演目にもなっている作で 秘蔵の古代の馬の埴輪がブリッジになって財界の大物の祖父(小堀誠・70歳)と祖母(花柳章太郎・61歳)家庭裁判所の息子夫婦(伊志井寛・54歳 水谷八重子・50歳)、その新婚の息子夫婦(花柳武始・29歳 若水美子・21歳)の三代の夫婦が広い邸宅に一緒に住んでいる 三人の女が埴輪を壊したのはてんでに自分だと思い込み修理しょうとする そのおかしさを笑劇に堕とさず微笑ましく描き 最後まで観客をハラハラさせながら興味をもたせていく構成は心憎いほど巧妙 最後に家庭裁判所の離婚問題は若夫婦(花柳喜章・31歳 桜緋紗子・41歳)が姑(河合明石?)のワガママに勝って解決し 所長の家庭も祖父の念願の大臣就任が決まって家族一同朗らかな(?)笑いのうちに幕で万事目出度しだが 作者自身の演出も隅々まで神経が行き届いて とかく誇張しがちな俳優の演技を適度に押さえて 舞台に良きアンサンブルを見せるという具合 安藤鶴夫評は「商業演劇における今年の芸術祭参加作品の賞はこの作品に決定した」という援護ぶりだったが実際に「明日の幸福」関係者一同が芸術祭奨励賞を受賞した
とある(年齢 フルネームは吉村)
DVDは昭和29年11月12日に撮影したものだが3日初日から10日目の舞台である
その割には小堀や章太郎のセリフが入っていなくてプロンプターの声がやけに聞こえる
伊志井寛・水谷八重子は油の乗り切った年代でじっくりとした演技が見もの
それでも大詰めは笑い声で聞こえぬセリフも多々あった なるほどこれだけ受けていたのかということがよーく判る
特記すべきはいわゆる音楽は一切なしである
(その後クラシック音楽のレコードを幕切れに流したらしい)
若嫁をやった若水美子は二年後東映に映画入り中村錦之助らと何本か撮ったあと結婚 相手は舞台美術家の古賀宏一先生
丁度水谷良重が新派入りして(昭和30年)この役は昭和31年御園座からバトンタッチされた
水谷良重はこのあと妻恵子役を経て祖母淑子役と全役制覇した
その水谷八重子(当代)がブログ「ないしょばなし」に書いた「明日の幸福」についての文章があるので紹介する
「華岡青洲の二回公演続きで和歌山弁の口が疲れ切っておりますが一回公演だった14日に
8月三越劇場公演の「明日の幸福」の読み合わせがありました
「明日の幸福」は昭和29年に初演された新派のホームドラマの最高傑作なんです
3世代の家族の物語 セレブな家の物語なのに誰でも抵抗なく入って行かれる物語
S29年にはオジーチャマに小堀誠先生 オバーチャマに花柳章太郎先生 家庭裁判所の判事を務める堅物のオトーチャマに伊志井寛先生 そのお嫁さんでオカーチャマに母 孫息子に花柳武始さん若嫁に若水美子さん 大矢市次郎先生が政治ゴロの谷川という配役
私が、何にも出来ないズブの素人の私がデビューしたのがその翌年 そして評判を呼んだ「明日の幸福」がすぐに再演されました
16歳でこの若妻を
オジーチャマの小堀先生が亡くなり藤村秀夫先生になり
花柳先生が亡くなり母がオバーチャマになり
母の役恵子に木暮実千代さんを迎えたり・・・
まだ再演の時のメンバーがやっているときに
NHKが昭和天皇に「お誕生日の放送に何かご希望がございますでしょうか?」
その時のお答えが「ミョウニチの幸福」と仰ったとかで
NHKのスタジオで「明日の幸福」を撮りに行ったときの若妻は確か私だったような
いつの間にか母に替わって恵子役になり
いつの間にかオバーチャマの淑子役になり
また恵子役に戻ったりと「明日の幸福」とうとう全世代の役をやってきてしまいました
(以下略)
(水谷八重子「ないしょばなし」 2012・6・18)より
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