白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(19) 芦屋雁平「思い出かばん」

2016-03-30 17:04:28 | 人物

友人の元プロデューサーのKからこんな訃報が来たのだがとのメールが入った。
それによると(要約だか)

「昨年12月11日 夫西部重一もと芦屋雁平が享年77歳で永眠いたしました
急性心不全でございました 引退後は「普通のおっちゃん」をとの望み通り
御町内の方や子や孫に見送られて 皆様方との楽しかった事をいっぱい「思い出かばん」に
詰め込んでさっさと旅立ってしまいました。 
もう少し老いの楽しみを味わってからでもと思われてなりません。
49日の法要のあと京都宇治の地に樹木葬で桜のもとに眠ります」

とのこと

驚いて芦屋凡々にメールすると彼のもとにも届いていた
なにせ初代芦屋凡々は雁平さんだ

ボクと雁平さんは同じ大宝芸能の所属で
大宝が制作した中日喜劇(僕の商業演劇デビュー作となる)公演で初めて御一緒した。

それから芦屋兄弟の公演はもちろん京唄子公演 かしまし娘の公演歌手の芝居など数え切れない程ご一緒したが
 記憶に残っているのは日本香堂の巡業でたしか佐世保の市民会館の裏の陽だまりでくつろいでいると
(これが巡業の醍醐味だ)雁平さんが話しかけてきて

「吉村ちゃんはこどもはいくつになったんや」「上が二十歳で下は17や」
「まだまだやな うちは子供は巣立っていったがもう少し働いて 金が貯まったらすっぱり辞めて
普通のおっさんになって 好きなオートバイ乗って旅すんのや」
さらに
「俺は兄貴たちみたいにやれミュージカルの映画や、やれホラー映画やとそんな金かかる趣味もないし
カメラを買いまくることも、みんな引き連れて飲みに行くこともない 金貯めるのはそないかかるとは思えない」
「頑張って早く普通のおっさんになって下さい」
「体が動けるうちに辞めて元気な雁平ちゃんを目に焼き付けておきたい」

平成17年かしまし娘の公演は僕の演出で「清く正しく美しく!?」だ。
この公演で雁平さんも出てもらっていた
名鉄ホール公演が終わって南座公演の千秋楽に雁平さんが奥さんと子供を招待したので聞くと
「この公演で役者を辞めるんや 最後に皆にみてもらおうと思て いい役にしてもらっておおきにな」
なにせ花道のスッポンから上がって出る役だ 奥さんもその側の席だった

この年は雁平さんにとって役者人生50年目の節目だった。
そして現在のボクの年だ。

あれから10年目だ。
雁平さんは普通のおっさんとして充分に老後を楽しめたのであろうか?
彼のことだ 充分に楽しんだに違いない

しかしながら僕はバカをやってきた兄貴たちの生き方のほうが
役者として人間として魅力的に見えてしまうのが哀しい。

今年(2016)の正月南座の新喜劇公演に小雁さんが出ていて
その衰えブリを見ていたらあまりに辛く楽屋にもいかなかった。
その帰り道 雁平さんのことを思い出していたところへ
思わず入った訃報だった。




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1 コメント

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Unknown (tomotada007)
2019-02-23 10:43:31
凡凡です、
雁之助先生は6人兄弟と聞いています、
一番上の京都市電の運転手していた人は、私が昔 雁之助先生の弟子時代 南座楽屋に何度も来られ師匠のようにトゲもなく優しいいつもニコニコされていた記憶が有ります、
それと後から雁平のお兄さんの奥さん 小夜子さんから聞いたのですが、雁平さんだけがお母さん違いというのも聞きました、 もう 言っても良いかなと思います。
現在 脳血管性痴呆症と闘ってる小雁師匠には病に負けず頑張って欲しいと切に願います。
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