白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(269)聞き書き梅沢武生(1)「ある夜の忠治」

2017-10-12 09:47:46 | 梅沢劇団

 2022年1月16日朝8時45分竹沢泰子さんより電話あり、早朝の事でもあるし「ヤッパリ」という思いで電話を取ると果たして武生座長の死去の知らせであった

劇団の明治差公演には6 日の初日から楽屋入りはするが舞台には出演しなかった   かねてから大好きな明治座の舞台で死にたいと言っていて楽屋入りしていたが5日目に病院に運ばれそこで死んだらしい 公表は24日の千秋楽が済んてかららしいが副座長( 富美男)に「吉村くんには知らせてやれ」と言われ電話させてもらいました、とのこと 葬儀も明治座終わりは富美男のスケジュールが詰まっていて29 日頃、桐ヶ谷斎場になりそうなので全身冷凍するそうだが

 コロナで移動もままならずお別れに行けないことを謝ると「こんな時代だから仕方ないわね」とおっしゃって頂いた

公演中はほぼ毎日食事にお誘い頂き、座長の話をお聞きしたその一部分でも「聞き書き」としてお話しよう

 

聞き書き梅沢武生(1)「ある夜の忠治」

 一座には父親である座長梅沢清の戦友で大原さんという客人がいた 武生が子供の頃底冷えのする福島の家で深夜「コリコリ」という音を聞いて 何だろうと覗いてみるとその音は大原さんが掻巻を羽織って一心不乱で書くガリ版の鉄筆の音だ ときおり「コホ コホッ」という咳がまざって極めて絵になる光景だった 上演許可を得るため進駐軍に提出するための台本だった 刷り上がった原稿を見ながら「これじゃ客に受けない」「一字も直すもんか」と言い争いをしている二人を何度も見た 子供心に羨ましく思って聞いていたが結局大抵は舞台を見た大原さんが「梅ちゃんの言う通り客に受けたな 負けたわ」と言って二人の言い争いは終わる 
武生が学業に専念するために劇団を離れ戻ってみるともう大原さんはいなかった

そんな大原さんが書いたと言われる「ある夜の忠治」という名作がある

赤城の山を追われた忠治が大雪の夜 無理やり山を下ろして堅気にした子分弥太郎が営むとある居酒屋へやって来る 弥太郎は嫁お吉の父親で十手持ちの吉兵衛から忠治の噂を聞いていて子供までいる身 忠治がやってきてもすぐ知らせると固く約束していた お吉が所用で留守の間に忠治がやって来る 嫁も子供がいるのを知った忠治は去ろうとするが弥太郎は無理やり一泊だけでもと泊める 弥太郎が義憤に駆られて地元のやくざ権次を切って戻ってみると忠治がいない お吉を問い詰めるが吉兵衛がやってきて止める そこへ忠治が入ってきて 二人の腹の探り合いの芝居があり 吉兵衛は無理やり通行手形を忘れて去る 忠治は弥太郎に俺をお縄にして突き出して親孝行をしろと迫るが弥太郎は拒む 
様子を汲んだ忠治は弥太郎の罪もひっかぶり追いかけて来た権三一家と対峙する 一家を皆殺しにした後 吉兵衛にお縄を受けようとするが吉兵衛は捕まえる代わりに通行手形を忠治に渡す 忠治は涙を押さえて去っていく ざっとこんな芝居だ

武生少年は劇団に戻って一から役者でやり始めるがある日自分のセリフきっかけで入るはずの三味線が入らない お姉さんに問いただしてみると「そんなヘタな芝居では三味は入れられない」と言われ思わず殴ってしまう 下手な役者でも座長の息子だ そのお囃子さんは太鼓専門の旦那と二人辞めてしまう 
そのころ掛けていた芝居の一つに「ある夜の忠治」があった
最後の立ち回りは辞めていった太鼓の旦那の「雪音」のみのパントマイム劇が見せ場だ
 最後の決まりでチョンが入り三味線の音で幕だ この二人が急にいなくなった
仕方なく回って来た音響の仕事を遣らされていた武生はここでかねてから腹案であったラジオでよく聞いていた「ムーンライト・セテナーデ」をかけてみた

忠治 じたばたすんねえ 表に出ろ
 一丁木が入って盆が回る時 雪の中 迎える悪一味が回って来る時ムーンライトセレナーデが流れた
 
 そして大ラスの忠治花道七三にて
弥太郎 親分
忠治 弥太郎 
 決まりで一丁「名月赤城山」が流れキザミで幕


「名月赤城山」のイントロ部分をちょん切って白墨で印をつけ「男ごころーに男が惚れて~」の部分から流した 
決まった時は気持ちが良かった しかし案の定座長にこっぴどく叱られた
「ムーンライト・セレナーデ」は<敵国アメリカを象徴する音楽だった>からかなあと今は思う 
しかし武生少年はめげなかった 叱られても叱られてもかけ続けた 
ある時仙台の小屋での事 客席に何人かの進駐軍が入って来た 「こんな外人に判る芝居じゃない」と子供心に思った 案の定訳も判らず見ていた米兵が「ムーンライト・セレナーデ」が掛かったトタン「ヤンヤヤンヤ」の大喝采 口笛は吹く 煙草は飛ぶ ガムが飛ぶ ドル札は舞う その中で平然と立ち回りを続ける父の清
(この姿は僕は冨美男さんが飛び散る万札にも目もくれず踊っていたので知っている)
 終わって楽屋に呼ばれた武生は生まれて初めて座長からお褒めの言葉をもらう 
といっても息子の彼さえも座長の部屋には入れず暖簾越しに一言「いい曲だった」と一言いい うまそうに洋もくを吸っていた
次の日から噂が噂を呼び 基地からの客が増え 楽屋にはケース単位のタバコ ウイスキー ソーセージなどが届けられた 
それ以降劇団では この芝居の大立ち回りには雪音は使わず「ムーンライト・セレナーデ」が流されることとなった

何だか白鷺だより(133)(昨年9月3日)と同じような文章になったが それは武生座長の楽屋に伺うたびに いつも決まって同じ話になるから仕方がないのである
 
今回(10月10日)新歌舞伎座の楽屋での話題は まず前日の新橋演舞場「ワンピース」での四代目猿之助のスッポンでの事故の話から 実は彼との対談があったがこの事故でキャンセルになった話になり(なんでも企画は冨美男さんとの対談だったが猿之助さんが武生さんも一緒ならと言ったため)、昔その亀ちゃん(16歳・現猿之助)と一緒に踊った話になり 梅沢劇団に入りたいとだだをこめた彼をゆくゆくは4代目を継ぐことになるお前が大衆演劇なんぞで汚されないと断った話や そこから猿之助つながりで浜(木綿子)さんと飲んだ話になり そしてお酒(レミーマルタン)つながりで石森章太郎さんの話になり 突然 チャップリンの「街の灯」「モダンタイムス」「黄金狂時代」のDVDが見たい買ってきてくれないかという話になり 急に何故だか昔の話になって「忠治」の話になり いつものように「化粧」誕生秘話になった

 続いて次回はこの「化粧」誕生の話を書こうと思う 



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