白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(74) 屋根の上のバイオリン弾き

2016-05-25 12:31:16 | 思い出

昭和53年 9月 屋根の上のヴァイオリン弾き

いつもおんぶしてた かわいい小さな子
いつかおおきくなった二人
こんなにきれいになって 立派になったのか
昨日までは小さな子が
陽は昇り また沈み 時移り
喜び悲しみを乗せて流れゆく
 
口には出して言えない 今日の喜びを
やさしく手を取り合って いつまでも
幸せそうな二人 固く結ばれて
いつの日にか 私たちも
陽は昇り また沈み 時移り
やがて朝がくれば 花もすぐ開く

陽は昇 また沈み 時移り
喜び悲しみを 乗せて流れゆく


8月一ヶ月 東京で一からの稽古に参加、ミュージカル作りを教えて貰った作品
この一か月はミュージカルがどのようにして出来 どう作るのかを勉強した

制作 佐藤勉 日本版演出 佐藤浩史 振付 坂上道之助 演出部 増田さん 神谷さん

デヴィエ 森繁、コールデ 淀かほる、長女 江崎英子 次女 倍賞千恵子、三女 松岡由利子 4,5女は子役 
ラビ 益田喜頓、モーテル 富松千代志 パーチック 井上孝雄 ラザ-ル 谷啓、ら 
今から考えても豪華メンバーであった

その頃乃木坂にあった日向企画東京の事務所の電話番しながら一ヶ月やっかいになった
  (秀和デジデンシャルビル)、
毎朝 近所の公園でラジオ体操を続け皆勤賞のノートを貰った。
東京の48度もある銭湯に初めて入った

毎日グラフの見開きに稽古の写真が載り
「金持ちなら」を歌う森繁とテビエハウスを持つ僕とのツーショットだった

ホーデル役は二回目の日生劇場から倍賞千恵子だが(帝劇初演は浜木綿子)
この年(1976)売れないアンサンブルだった小宮守と結婚する
同じミュージカルに売れぬ旦那が一緒だとまずいということになり
小宮はレギュラーアンサンブルから外される
後年小宮と仕事で一緒になったがこの時100万の札束一つ置いて大阪に行ったらしい
残された小宮はその金をほとんど使わなかったという いや使えなかったと言うべきか
けだし倍賞が歌う「愛する我が家 を離れて」は絶品だった
小宮は4年後離婚し のちに健吾と改名する

舞台事務所で電話を取ると「お父ちゃん 呼んでくれる?」という
お父さんというと?と聞くと「森繁のお父さんよ 私いしだあゆみといいます」
ブルーライトヨコハマの歌手と直接話せた

なおこの公演から名物の長いカーテンコールがつけられて 以後このミュージカルの恒例になる
演出補だった梅コマの松島さんがこんな暗い話は大阪では受けないと森繁に言ったため
舞台袖にいた我々も何度も出演者に舞台に引っ張り出された