今日の日記は、今年4月19日に都内東池袋駅近くで自動車事故を起こし11月12日自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で書類送検された元通商産業省職員(当時87歳)の17年前に起こした行動ではないかと、私が強く思い起こした今札幌別宅で読んでいる書籍『老いへの不安 歳を取りそこねる人たち』の著者の目撃エピソードです。
添付した写真は、その著書(著者:1951年生まれ精神科医・春日武彦:2019年6月初版・中公文庫版:原書は2011年4月朝日新聞出版刊)の表紙です。
この元職員は工業技術院の院長にまでなった高級官僚ですが、昼に予約していたレストランのフレンチに間に合わなくなりそうになったので、猛スピードで速度を上げて、前の車を追い越しながら進み、交差点では、ブレーキを踏むどころか、間違ってアクセルを踏み込んでしまい、渡っていた母子二人を死亡させた交通違反男です。でも、警察の事情聴取では、ブレーキが利かなかったと全くの虚偽証言をし、「高齢者にとって安全な車を作ってほしい」と自分の行為を棚に上げて、逆にその前職らしい自動車業界への【注文】をしている卑劣な人間です。
たまたま、この著書「第2章 鼻白む出来事【パン屋での出来事】」の著者の目撃体験エピソードを読んでいて、この登場した一人の老人は、約17年前の元通商産業省職員ではないか?と、私の勝手な判断ながら強く思い込みましました。以下に、その一老人の行動をその著書から一部引用・掲載します。
『もう十年近く(私注:2002・3年頃か)前の話である。新宿にあるデパートの地下のベーカリーへ立ち寄った。土曜日の午前、比較的空いている時間帯であった。その場で、一人の老人が目に入った。70歳くらいの男性であろうか、薄青いジャケットを着た外見は、金銭的にも生活にも余裕があることを窺わせていた。お気に入りのレストランでワインを傾けつつ【フレンチ】を楽しんだり、紅葉の季節になると妻と箱根湯本温泉に二泊くらい出掛けるのを習慣にしていてもおかしくない風体である。その彼が、一斤のイギリスパン(スライスされていないカタマリ)を床に落としてしまったのである。その事態に、わたし以外、不思議なことに店員も客も誰も気付いていないようであった。彼はあわててパンを拾い上げた。焦っていたのだろう、トンクを使わず素手でパンを掴んで盆に戻していた。そして、イギリスパンが並べてある棚に戻って、今度はトングを使ってその落としたパンをさっと棚を戻し、別なイギリスパンを新たに自分の盆へ載せた。そして何事もなかったようにレジの列へ並んだのである。他人ならば、床に落ちたパンを食べても構わないというのか。そこまで自分勝手なのか。彼はこうした不慮の事態においてこそ、その外見に相応しい「品のある老人」としての身振りを示す義務があると思う。ああいう老人を指して「馬齢を重ねる」と称するべきではないか、と私は甚だ不快に思ったのであった。』
私もこのエピソードを読んで、著者と全く同感です。この無駄に馬齢を重ねた老人は、戦後の食糧難の自らの体験を全く失念放棄して、美食の世界に自らを埋没させています。さらに、他人にはその世界には干渉させず、食当たり(でも、その可能性は皆無だが)になってもいいと、自分勝手に判断しています。
私は、今回の事故を起こした元高級官僚の17年前の姿(お気に入りのレストランでワインを傾けつつ【フレンチ】を楽しむ)を見た思いがしました。そして、食あたりどころか、母子二人の尊い命を奪っていながら、遺族に真摯な謝罪がないのは、人間としての失格者「全く品性の無い老人」だと、私は今強く思っています。
添付した写真は、その著書(著者:1951年生まれ精神科医・春日武彦:2019年6月初版・中公文庫版:原書は2011年4月朝日新聞出版刊)の表紙です。
この元職員は工業技術院の院長にまでなった高級官僚ですが、昼に予約していたレストランのフレンチに間に合わなくなりそうになったので、猛スピードで速度を上げて、前の車を追い越しながら進み、交差点では、ブレーキを踏むどころか、間違ってアクセルを踏み込んでしまい、渡っていた母子二人を死亡させた交通違反男です。でも、警察の事情聴取では、ブレーキが利かなかったと全くの虚偽証言をし、「高齢者にとって安全な車を作ってほしい」と自分の行為を棚に上げて、逆にその前職らしい自動車業界への【注文】をしている卑劣な人間です。
たまたま、この著書「第2章 鼻白む出来事【パン屋での出来事】」の著者の目撃体験エピソードを読んでいて、この登場した一人の老人は、約17年前の元通商産業省職員ではないか?と、私の勝手な判断ながら強く思い込みましました。以下に、その一老人の行動をその著書から一部引用・掲載します。
『もう十年近く(私注:2002・3年頃か)前の話である。新宿にあるデパートの地下のベーカリーへ立ち寄った。土曜日の午前、比較的空いている時間帯であった。その場で、一人の老人が目に入った。70歳くらいの男性であろうか、薄青いジャケットを着た外見は、金銭的にも生活にも余裕があることを窺わせていた。お気に入りのレストランでワインを傾けつつ【フレンチ】を楽しんだり、紅葉の季節になると妻と箱根湯本温泉に二泊くらい出掛けるのを習慣にしていてもおかしくない風体である。その彼が、一斤のイギリスパン(スライスされていないカタマリ)を床に落としてしまったのである。その事態に、わたし以外、不思議なことに店員も客も誰も気付いていないようであった。彼はあわててパンを拾い上げた。焦っていたのだろう、トンクを使わず素手でパンを掴んで盆に戻していた。そして、イギリスパンが並べてある棚に戻って、今度はトングを使ってその落としたパンをさっと棚を戻し、別なイギリスパンを新たに自分の盆へ載せた。そして何事もなかったようにレジの列へ並んだのである。他人ならば、床に落ちたパンを食べても構わないというのか。そこまで自分勝手なのか。彼はこうした不慮の事態においてこそ、その外見に相応しい「品のある老人」としての身振りを示す義務があると思う。ああいう老人を指して「馬齢を重ねる」と称するべきではないか、と私は甚だ不快に思ったのであった。』
私もこのエピソードを読んで、著者と全く同感です。この無駄に馬齢を重ねた老人は、戦後の食糧難の自らの体験を全く失念放棄して、美食の世界に自らを埋没させています。さらに、他人にはその世界には干渉させず、食当たり(でも、その可能性は皆無だが)になってもいいと、自分勝手に判断しています。
私は、今回の事故を起こした元高級官僚の17年前の姿(お気に入りのレストランでワインを傾けつつ【フレンチ】を楽しむ)を見た思いがしました。そして、食あたりどころか、母子二人の尊い命を奪っていながら、遺族に真摯な謝罪がないのは、人間としての失格者「全く品性の無い老人」だと、私は今強く思っています。