天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『昭和天皇実録第5』昭和六年二月六日御成婚記念祝宴でトーキー映画「モロッコ」を劇場公開に先立って御覧

2016-07-10 14:02:24 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる『昭和天皇実録第5 自昭和三年至昭和六年』に書かれた1931年(昭和6年)2月6日御成婚記念の祝賀後、皇后共御覧になったアメリカ映画のことです。その当日の記載の一部を引用・掲載します。
・二月六日金曜日『・・侍従次長河井弥八に議会の紛糾状況について御下問になり、同人の所見をお聞きになる。・・衆議院ではさる三日の予算総会において、幣原首相臨時代理(私注:浜口雄幸首相が東京駅で重傷を受けた為)がロンドン海軍軍縮条約は既に御批准さになっていることから、本条約は国防を危うくするものではないと答弁したことに対し、野党は天皇に政治責任を帰するものであると強く反発し、・・議会は大混乱に陥った。・・幣原が失言を取り消したことで事態は一応沈静化をみる。夕刻、側近者をお召しになり、御成婚記念の祝宴を催される。・・屋内謁見所において一同とトーキー映画「モロッコ」「画家の夢」「米国の顔」及びパラマウントニュースを御覧になる。』
この日の午前中に昭和天皇は、ロンドン海軍軍縮条約に関して議会での紛糾状況を御下問になっています。でも、その後の天皇のご様子には実録では何も記載がないですが、一部軍拡派議員らによる議会混迷に、天皇は深く憂慮されていたと私は思っています。そして、その不快な御心痛を晴らすように、側近者たちと御成婚7周年記念の祝宴(予定は1929年1月26日に御成婚5周年だったが延期を重ねた)を催されたようです。
その会の最後に一同と、日本最初のトーキー映画であったアメリカ映画『モロッコ』(1930年製作・31年2月25日より松竹系で公開・添付した写真はその外国版公開ポスター)の劇場公開に先だって御覧(この実録により、私は初めてその事実を知った)になったのです。パラマウント映画社の深い配慮により実現したとても良い出来事だったと思います。その映画の御印象は何も書かれていないですが、このような映画を製作した自由なアメリカの国情に対して強く共感されたと思っています。また、この日を最後に、世界平和を願っていた昭和天皇に意志に反して、日本国の政治指導者たちは軍部の暴走(同年に起きた満州事変)を止められず、悲惨な戦争への道を進んで行ったのです。
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