カスタネダの本には、「戦士」という言葉が多々あり、◎になろうとする○をもっている者こそが、戦士なのだろう。幅広く言うなら、自分の○を良い方向に変えようとする者も(成功哲学?)、戦士になるのか。
とするなら、呪術☆は○を変えるための「戦士の戦術」であるということになるか。
ストーリーを更に進めるに、0の状態では…
世界はかつて一つであった。
まだ▽天と△地が分かれず、▽陽と▼陰にも分かれていなかった。
だから○も▲も□も◎も何もない。
目の前にある世界が現れた時は、既に○は操作され、飲み込まれていた。
○にはVがないので、
噛み砕かれる感じで、▼と▲の間で、がっちりと○が固定されている。
戦士は☆によって、そこから逃れ(∬)、いろいろ修行して(卍、∞、+、♪…)、
ジャガーの牙から外れ(集合点の移動)、
◎の境地に足して、区別区分のない状態の世界を知覚するということか。
ただ、◎の境地に達したあとが問題のようだ。
『時の輪』より抜粋。
未熟な戦士たちの最も根の深い構造的な欠点は、自分たちの「見て」いる不思議さを「見る」さきから忘れてしまうところにある。
連中は自分たちが「見た」という事実に圧倒され、自分にはありがたくも天賦の才があるなどと思い込む。
われわれ人間の置かれた状況ではいかんとも克服できないだらしなさを乗り越えるために、老練な戦士ほど、修行における鑑であらねばならない。
「見ること」それ自体よりも、その「見た」もので戦士たちが何をするのかが、より重要なのだ。
とするなら、呪術☆は○を変えるための「戦士の戦術」であるということになるか。
ストーリーを更に進めるに、0の状態では…
世界はかつて一つであった。
まだ▽天と△地が分かれず、▽陽と▼陰にも分かれていなかった。
だから○も▲も□も◎も何もない。
目の前にある世界が現れた時は、既に○は操作され、飲み込まれていた。
○にはVがないので、
噛み砕かれる感じで、▼と▲の間で、がっちりと○が固定されている。
戦士は☆によって、そこから逃れ(∬)、いろいろ修行して(卍、∞、+、♪…)、
ジャガーの牙から外れ(集合点の移動)、
◎の境地に足して、区別区分のない状態の世界を知覚するということか。
ただ、◎の境地に達したあとが問題のようだ。
『時の輪』より抜粋。
未熟な戦士たちの最も根の深い構造的な欠点は、自分たちの「見て」いる不思議さを「見る」さきから忘れてしまうところにある。
連中は自分たちが「見た」という事実に圧倒され、自分にはありがたくも天賦の才があるなどと思い込む。
われわれ人間の置かれた状況ではいかんとも克服できないだらしなさを乗り越えるために、老練な戦士ほど、修行における鑑であらねばならない。
「見ること」それ自体よりも、その「見た」もので戦士たちが何をするのかが、より重要なのだ。
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