インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

宙に浮く夢

2010-10-19 21:11:02 | 自己主張
  色々な夢を見るが、昨夜は日常生活で突如「浮かんだ」夢を見た。シッチュエーションは忘れたが、何人かの知り合いと話をしている?うちに、ふっと体が浮いて、自由自在に宙を回った。自分も相手も驚き、大騒ぎしていたが、とても心地が良かった。それがとてもリアルな夢で、醒めてもまだ夢だという実感が湧かない。

 夢判断の本で調べると、「四次元世界への目ざめ」とかある。なるほど、確かに何か自分の中で飛ぶためのきっかけを掴んだのかもしれない。

 このブログでも色々気高いこと?霊的なことを書き、それでも現実はそこに届くわけもなくて、ただ霊的世界のヒヨコがバタバタいていたわけであるが、何かしらついに変化が現れたのか(??)

 今、我らが感じていて楽しい世界とは、全然違う面白い、素晴らしい世界があることは確かなようだ。それに夢中になれるならば、俗世を捨てて出家する価値はあるのかもしれない(いや、受け入れ先がないから、乞食になるだけか? いや、運も凄くなるようだから、案外、作家とかとして成功し、大金持ちになったり)。

 我々は、身も心も資本主義の奴隷であるから、ある種の囚人のようなものである。逃げようとしてもそこから逃げ出すことは出来ないし、理想的な新しいシステムを導入しようとすれば、かえって混乱するだろう。地域通貨を導入した所で、そんなもので家賃やら電気ガス代は払えないし、農家は米を売ってくれないだろうし、せいぜいボランティアかなイベントの招待券になるくらいのものか

 プリズンの掟にしたがって、マネー神に忠実なる看守に、カネを差し出さなければならない。会社を辞め、脱走したとしても、自由になれるというわけでもなく、ただ路頭に迷うだけである。

 人間は誰しも、社会というプリズンの中に落とされていると思う。それは平安時代、江戸時代とか、ローマ帝国とかアステカ王国とか、沢山あるわけで、それは誰にも選べない。そこへ放り込まれたら、もはやその秩序に従わざるを得ない(もちろん、プリズンが変革する時代、過渡期に落とされる場合もあるのだろうが)。

 今の世の中は色々悪く言われているけれども、「21世紀の日本」というプリズンは相当心地の良い場所で、人間が囚人である(生=苦?)とは到底思われない(しかしどっかの国は完全にプリズンだ)。ただカネがなければ相当に苦しいわけで、一体何のために生きているのか、家主や金貸しに貢ぐために生きているのではないか、看守から逃れて自由になりたい!と思うわけである。しかし家主も金貸しも囚われの身であり、他に貢いでいて、それでシステムが回っている。

 ある意味、能力がある所にカネが集まるわけだから、極めて公平な世界で、封建社会と違い、己の能力を磨くことでシステムの中で上に行ける、看守役になれるわけだ。出世したい=看守になりたい、というわけだが、このシステムもそんなに甘くなく、上に行けば行くほど、きつい看守役に叩かれるわけである。

 やはり囚人状態から逃れるために看守を目指すというのもおかしいわけで、まずは諦めるということが肝要である(何という説法だ!)。肉体を持ってこの世に生きるということは、飢えやら病気やら苦しみから逃れることは出来ないわけで、囚人なのであるから、自由になれることはない(死ねば解放される)。

 社会やら肉体という監獄から自由になれるのは、寝たり瞑想したりしてトリップしている時だけ、そういうのを暗示していた夢だったのかもしれない。

 魂が自由になれば、快活で楽しい、しかしそれを我々は知らない。

 ただそれは一方で、プリズン、社会やら肉体と深く関わっている…、

 言葉を変えるなら、社会はサンクチュアリであり、肉体は神殿である。

 何を書いているのかよく分からない…。

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