インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

説得力とは

2010-07-13 21:21:21 | 自己主張
  参議院選挙が終わり、政治家(候補?)たちの祭りは終わった。ほんの少ししかテレビを観ていないが、何か説得力が足りない。口先だけでは、国民はついて来ない。どんなに良いことを言ったとしても、それは言葉でしかない。

 「弱者を救済!」と叫ぶなら、実際に私財を投げて何かをしたのか、知りたいものだ小説作法でもそうであるが、登場人物を描写するのは「会話」ではなく、「行動」である。某の政治家が為した行動で、心を打たれたならば、その人に投票するだろう(なら、オリンピック柔道で心を打たれた人は谷亮子に一票か?)。

 リーダーというのは自己犠牲が必要であるから、「なりたい!」と自分から言うのはどのようなものか。政治家になれば、権力や名誉、カネも手に入る、ということで承諾するのであろうが(?)、本当はあんまり美味しくないはずだ(責任が重すぎる)。

 責任の重さから毎日が真剣であり続けなければならない(私生活を犠牲)のに当選して万歳とニタニタ笑っていられるのか。

 マヤの王やら神官のように、血を流す(昔書いた古代マヤの自己供犠)覚悟(というより、実際の行為)が必要であろう。リーダーたるもの、カネにもならんことを多大にやらねばなるまい。もっとも選挙活動になるのだが…。

 民間企業の社長のように、カネをばら撒くから社員がついてくるというケースもあろうが、そうでなければ人間という利己的な存在はついていくものではない。

 それでも「凄いなぁ、自分には出来ないなぁ」と思わせるような行動を黙々とやっている人物には敬意を払い、従うものである。要するに説得力があるのだ。

 当選した政治家よりも、説得力のある人間はあちこちにいる。職業的には下かも知れないが、そんなものは全く関係ない。いや、生温い二世議員とかより、鍛えられ方が全然違うのである。

 眠くなってきて、書いている内容が怪しくなってきたので今日はここまで(このブログの説得力が) 

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1 コメント

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『今の社会情勢を知ろうとせずヘラヘラ笑ってる政治家屋を斬る』 (智太郎)
2010-07-20 11:35:05
 お世話になります。 共通するキーワード=「二世議員:」でしたので、トラックバックをさせて戴きました。<m(__)m>
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