インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

さまよえるインディオ犬

2009-12-12 13:07:52 | 自己主張
 インディオ犬は何を書きたいのか分からなかった。のろのろと書いていると、何かが浮かんでくるのだが、どうも目的地らしきものが何も見えない。

 インディオ犬は呟いた。このまま歩いていれば、犬死してしまう。そうだ。首輪を自分で創ろう。自分で首輪をつくって自分ではめればいいのだ。

 インディオ犬は駆け出した。首輪をつくるためにだ。ありきたりの首輪ではなく、オリジナルな首輪。自分が自分である証。他の犬たちが近づいても、認められるような代物。

 ただオリジナルな首輪を見て、大勢が擦り寄ってくるわわけがない。怪しいと警戒されるだけ、そんな目印で終わるかもしれない。

 いや、別に好感をもたれる必要はない。そもそも首輪というのは、所属を定め、違うものを排除するためにあるのではないか? この世には犬の数が余りにも多すぎるのだ。

 我輩はインディオ犬である。

 もう既に「インディオ」なる名称の首輪がついているのかも知れぬ。いかれた犬、狂犬の…。

 そうか。もはやオリジナルな首輪をつくる必要はないわけか。インディオなる首輪でもって、ただひたすら、ブログ犬の大群の中を徘徊し、その存在を知らしめ、自己満足に浸り、犬死にするだけである。

 かくしてインディオ犬は大いなる自己矛盾・業を背負い、さまよい始めたのであった。

 

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