インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

変化

2013-09-19 07:10:07 | 身の回り
雅太が起きて、ブログの編集画面を開くと「閲覧数439、訪問者数150」とあり、何か魚でもつれたような手ごたえを感じる。予定されていた玄米や納豆、魚などを咀嚼しながら、そういえば、『仁』が放送されていた頃、訪問者300人台を連発しことがあった気がするが、それはタイトルでつられてクリックしたからかもしれない。今回のアクセス解析では『半沢直樹』では一人もやってこず、「一体この先どうなるのか」でやってきたわけである。
 人間は大抵同じようなことを考えているわけであり、雅太のような中年の独身者が抱える悩みは、共有されてしかるべきであろう。確かに責任がない分、楽ではあるが、張り合いがなく、人生において何か大事なものが欠けている、欠落感に夜中やある日突然悩むわけである。何かに熱中している間はいいが、沈黙の時間が続くと黒い闇に圧倒されて飲み込まれてしまう。
 毎朝、子供の顔が見たい。そのためには縁もいるし、円もいる。それらを得んならば、ただ自分が歳をとっていくだけで、それを子供の成長で相殺させることができなくなり……、
 そう考えている所で、台所へ食器を持っていくときに雅太は膳を滑らせて大皿を割ってしまった。魚の骨が飛び散り、雅太は後片付けに手間を食う。
 雅太は、これまで淡々と受け入れてきた自分の心が、割れた予兆であると、解釈したのであった。
 

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