インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

道路と車

2013-09-21 20:14:35 | 身の回り
  アパートの下から秋の虫がまろやかに啼いている。雅太はピーナツを齧り、一週間ぶりのビールを味わいながら、ブログを書き始めた。雅太は副業として実家で獲れる米を売っているのだが、稲刈りまではもう少しかかりそうだ。両親が健全であるので、コンバインに乗らなくてもいいが、所詮、あれは車と同じ原理であり、故障した時が厄介なくらいである。雅太は機械が壊れたら赤字になるので米を作る意味はなく、土地を貸して作ってもらった方が得策ではないかと思ったりする。資本主義社会の中では、農業なんて産業は、モトクロスで細い山道を登る道楽みたいな商売ではないかと思ったりする。きちんと舗装された広い道路を、安定して走るというわけにはいかないのである。
 雅太がそのように考えたのは、実家からアパートに戻る途中、そんな具合になってしまったからである。雅太はいつもと違った道で戻れるのではないかと、別の道を走ってみた。標識も間違いではない方面を指していた。道路もきれいで、雅太は少し冒険をしてみることにした。田園風景をしばらく運転していると、黒猫がスタスタと前を横切った。何かの精霊の顕示か。雅太は嫌な予感がしたが、まあ、ネコが横断することぐらいよくあることだとプラス思考でそのまま進む。太い道路は、細い二つの道に枝分かれした。どちらかが正しいのであるが、方向からして南に下らねばおかしいと、ハンドルをそちらに切る。道のアスファルトは消え、砂利道が続き、車は上下に揺れた。それでも何とか少しだけまともな道に戻ったが、再び枝分かれし、果てには雅太はここから先へは進めない看板に直面してしまったのである。
 普通に既知の、いつもの広い道路をひた走っていれば、あんな無駄なことは避けられたのであろうにと、雅太はピーナツを齧り、半分ぐらいになった金麦500mlのアルミ缶を揺すって、再び一口飲む。そういえば、国道2号線に出た後、カラスが雅太のフロントガラスの前をさっと横切った。カラスはそこら辺にいるから、別に問題はないだろうと思いきや、大事故でもあったのではないかと思うほどの大渋滞に巻き込まれた。
 物事は思うようにいかないものである。道を走る車、それ自体がそのことの顕示かも知れない。酔った状態で雅太はおかしなことを想像する。車があっても道がなければ走れない。道があっても車が進まない場合もある。これは何か、経済システムを髣髴させるのではないか。道はお金であり、車は事業、企業、会社である。とするなら。農業をやろうと思っても、お金がなければ運営できない。お金があっても、農業が進まない場合がある。まさに食べ物を作る会社が沢山あるから、事業が進まないのである。まさに日本では小さな農家が多すぎて上手く行かないことの象徴なのかもしれない。農業には絶対な需要があるから、車の数さえ減ればどんどん前進するのであろうが。
 雅太の田舎では「農業は金にならんなぁ、金にならんなぁ」と言いつつも、やめようとしない輩が多い。まさに渋滞になり「車が進まんなぁ、進まんなぁ」と思いつつ、車から降りようとしない輩と同じのように思える。もっとも、車に乗っている以上、降りるわけにもいかず、雅太の田舎でも田畑と農機具がある以上、やめるわけにはいかないのと同じ原理である。それは、都会の工場や商店も同じかもしれない。いや、普通の労働者でさえ、仕事を辞められないのと同じ原理なのだと雅太は考える。
 酔いを醒ますために、雅太は濃い緑茶を一口すする。苦みの後、大きく息を吐く。本当のところ、車から降りることはできるのである。そして自分自身の足で、歩くこともできるわけだ。果てしない道路を。しかし周りをみても、そんなことをしている輩はほとんどいないし、あまりにも非効率で悲惨である。だから体が動かなくなるまで車から降りないという感じになるのだろう。現に農業はそんな感じだ。
 
 ここまで書き綴った時、雅太は自分が一体何を言わんとしているのか分からなくなってきた。要は雅太の親が体が動かなくなった時に、雅太がそれを引き継ぐのは実は恐ろしいことではないかと、黒猫の顕示は発展していったのであった。

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