インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

関西で、「山水人」、という催しがあるようです。

2012-06-15 06:21:50 | 身の回り
  先月末、堂々公園で開催されたヒッピーマーケットが面白かったので、他にもないかと調べていくうちに突き当たったのが、

  山水人(やまうど)なる催しである。八月の終から九月の初頭にかけて、滋賀県高島市朽木生杉 山水人エコビレッジというところで、店やワークショップが開かれるわけである。

 そんなに遠くないから(いや、遠いか?)行ってみたいと思うのだが、堂々公園は500円だったが、こちらは当日6000円、前売り券4900円、早割入場券(~6月末)3900円と結構な値段である。駐車1000円、テント代1000円…、行くなら出費は覚悟しなければならないだろうが(人間をふるいにかけているのか?)、音楽演奏やら、いろんな人間に出会えたり、人生体験ができそうなので、安いものなのかもしれない。

 それにしても、前回の福山市の堂々公園でのヒッピーマーケットであるが、せっかく出会ったのだから、名刺でも渡しておけばよかったかもしれない(こういうブログをやっています)

 ひょっとしたらコメントしてもらえたり、「ヒッピーマーケット」とかで検索して、「おお、あいつか!」ともっと深く印象に刻み込まれたかもしれない。そして再びな先入観を持って、「山水人」で出会ったりするのである。

 案外、こういう場に、価値観が近い人が集うわけで、まあ、金にはならんだろうが、何か面白いことが立ち上がったりするわけである。

 社会というものはシステムが出来上がっており、我々はその歯車として飼い慣らされているだけである。それに抗おうとしても、「家賃やらガソリン代やら食費」などをまかなうために、何かして稼ぐしかなく、みんな?それで格闘しているわけである。

 理想的な社会では、それぞれが能力を活かして自発的に働いているが、人数が多くなってくると混乱し、「誰が、何を、どれだけ働くか、そしてどのように分配するか」は、お金による投票で決めた方がスムーズに行くわけである(価格メカニズム)。

 パソコンやスマートフォン等が普及し、誰でもインターネットで書き込めるようになってくると、「物書きになって暮らしたい!(ライターでもいい)」という輩が増えてくるわけであるが、作家はほとんど必要ない。

 社会的に必要なのは、ハローワークで募集されているような仕事であり、それを避けるならば、知り合いから仕事を頂くか、自分で立ち上げるしかない(価格メカニズムに乗らない場合、税金で政府が介入する)。

  どっちにしろ、生きるということは修行であり、楽なことはないこということだ。

  ヒッピーマーケットやら、山水人へ行って「ああいう楽な生き方があるのか」と勘違いしないことが重要なのだわい(自然の中で自由に生きることには賛同します)

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