インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

本当の現実はどこにあるのだろう。

2009-10-04 23:07:31 | 考えるインディオ
 昨日は深夜0時台に50人以上訪問されたようだ(閲覧数:379PV 訪問者数:169IP)。最近、インディオダンスホールの方にも、中国地方の地域感想について書いていたりしているが、

 日本の人口は圧倒的に関東地方に偏っているから関心が持たれんわい(関西地方も多いか)

 高速道路が無料化し、プリウスなどに乗り換えたりしたら(無理か?)、関西地方までは行動範囲となるであろうが、う~ん、日帰りはキツイから泊り込みになって、金がかかるだろう(国内旅行で、人生の視野が広がるとは…)。

 我々日本人は、所詮、日本語というフィルターで、日本の文化・歴史という色眼鏡で世界を見ているにすぎないわけで、中東やらアフリカへ行って現地人に混じり長いこと滞在していると、きっと世界観が変るだろう(生きて帰れるか)。

 現実は、ただそこにあるだけ。それはひとりの人間の内面とは全然関係ない。知識がなければシンクロしないし、興味がなければ、そこにあるものも注意を払わない。いかに立派な鍾乳洞であろうと。

 人間の内面は、いつも現実と離れている。自分にカネがなければ、「不況でみんなカネがないのだなぁ」と見るけれど、実際はみんな持っているのである(本当にない人も多いか?)。

 自分しだい。事実や現実とは別に、自分が見ようとするものだけが、見えるのだ。

 それは、テレビとかマスコミによって頭に刷り込まされているわけで、本当の現実とか、我々を取り巻く環境とか、伝えようがない(ただ擬似環境を伝えている)。

 このブログにしても、「インディオ」と名乗る野郎が、勝手に感じたことを、勝手に伝えているわけで、ただ言葉を並べているだけで、空回りしている部分も多い。第一、そのときの気分によって、書いている内容も違う。

 コーヒーを飲んでいるとき(カフェイン摂取)、どぶろくを飲んでいるとき(『マネー神の崇拝』とか、聖なる木とかわめく)、気分が沈んでいるとき、陽気なとき、全部書いていることは違うし、ということは、見ている世界が、違うのだろう。
 
 複雑な現代では個人の力が無力化されているが(?)、主人公はそれぞれの人間であり、ひとりひとりの人生は絶対である。

 鳩山首相が見ている世界と、ヤクザが見ている世界は、違うし、インディアンが見ている世界も、麻薬中毒者が見ている世界も、全然違うはずである(いや、シャーマニズムは…)。

 何が言いたいのか分からなくなったが、世界が変わっても、自分の感じ方が変わらなければ、世界はずっとそのままであるということか。

 現実とは、いってみれば、大多数の感じ方と一致するように感じることなのだろうか。 

 だから麻薬で異常な感じ方をしたり、はっと気づいて違うことを叫んだりすれば、村八分にされるのかも知れんわい(日本の現実とは、大多数の日本人の感じ方です)

 長いものに巻かれろということですか(郷に入れば郷に従えの精神ですね)