~わさび農家の山しごと、山暮らし通信~

伊豆、下田のわさび農家です。
緑の山々と田畑の広がる、のどかな山里での暮らしを父ちゃんと母ちゃんが語ります。

「原発」県民投票・静岡、始まりました

2012年06月18日 20時47分41秒 | その他


梅雨入りし、ただいまアジサイの見頃です。
「原発」県民投票・静岡の署名期間が始まりました。
正式には、「中部電力浜岡原子力発電所の再稼動の是非を問う
県民投票条例の制定を求める」署名です。
今回、母ちゃんはこの署名を集める「受任者」となりました。

各地に原発が存在する日本ですが、静岡県にはどこの原発よりも
問題視されている「浜岡原発」があります。
御前崎市の海岸にある浜岡原発。
直下地震の確率が向こう30年で88%という、
いつ東海地震が起きてもおかしくない地に立地しています。
地震の際には高さ21mという津波が予想されており、
更に敷地内の地盤が非常に弱く、断層群の上を
冷却系配管が横断しているという事実。
そして風下には東京を中心とした大都市があり、20km圏内に東名・新東名、
新幹線などの大動脈が走っているのです。
今、もし東海地震が起こったら…。
考えただけで恐ろしくなる状況にあります。

県内の市町村では既に5/13~7/11の署名活動が始まっているのですが、
下田市では市長選挙が予定されていた為、
本日、6/18~の周回遅れのスタートとなってしまいました。
市長選挙も結局行われず、無投票となったのですが…。



2012年が明けてすぐに、東日本大震災で被災された知人の
お見舞いに行ってきました。
父ちゃんと母ちゃん、小3だった長男の3人で2泊3日、
車中泊しながらの旅でした。
岩手県花巻まで北上し、釜石に出て大船渡、陸前高田、気仙沼、
南三陸、石巻、仙台、名取、亘理と南下し、福島県に入る行程。

それまでテレビや新聞で見聞きし、理解しようと努力してきた
つもりでしたが、現実は想像をはるかに超えていました。
学校や住宅、商店、鉄道、道路のあったはずの町。
穏やかな日常があったはずの町が、跡形もなく消えている。
それが1つや2つの町ではなく、青森~福島の海岸線の数々の町が
もぎとられたように消えてしまっているのです。
凄まじい惨状に、発する言葉も見当たりませんでした。



上の写真は今から約7年前、長男が2歳だった時に訪れた
宮城県石巻市長面海水浴場での一枚です。
北上川の河口に位置する長面海岸は、
白い砂浜と松林が弓なりに広がる美しい海岸でした。
その長面地区は震災により地区全体が地盤沈下。
砂浜も松林も、ホテルも住宅も何もない、海になっていました。
そして海岸から車で5分ほどの北上川のほとりにある大川小学校では、
多くの児童が津波の犠牲となって亡くなりました。



その後福島県に入り、南相馬から先に南下する事ができなくなり、
飯館村を抜けて帰路へと向かいました。
「日本で最も美しい村」に認定されていた飯館村。
なだらかな丘陵が続き、冬、葉を落とした雑木林には
やわらかい陽の光が降り注いでいました。
かつて子ども達が駆け回り、
村人が稲作りや畑仕事に勤しんでいたのどかな村。
静まりかえった村の一角に人がいました。
小学校と思われる小高い丘の回りで、
白い防護服に身を包んだ人々が除染の為に落ち葉を集めているのでした…。
今でもその光景が頭から離れません。

放射能は目に見えないし、臭いもしない、体に刺激を感じることもない。
しかし人体へ計り知れない影響を与え続け、
土地へ降り注いだ放射能は留まり続ける。

東日本大震災を経験した私たち大人は
もっともっと考えなくてはいけないし、動かなくてはならない。
生き方に責任を持たなければならない。
本当に子ども達のことや、そのまた先に続く生命のことを思わなければいけない。

東北から帰ってきて半年。
息子は特別何も言わないし、私たちが聞く事もありません。
しかし感じるのです。
子どもは黙って見ている。
大人たちがどのように行動するかをじっと見ている、と。
だから、今できることはやらなければならない、と思っています。

                     母ちゃん
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コメント (2)
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