~わさび農家の山しごと、山暮らし通信~

伊豆、下田のわさび農家です。
緑の山々と田畑の広がる、のどかな山里での暮らしを父ちゃんと母ちゃんが語ります。

里山遊び

2012年06月30日 05時20分09秒 | 子育て


毎月第4日曜日に行っている”里山遊び”。
週末に行った6月の里山遊びは好天に恵まれ、
大人、子ども合わせて50人ほどが集まり賑やかな一日になりました。
川に入るにはまだまだ気温が低いので川遊びは次回にお預け。
泥だらけ、汗まみれになって山を駆け回りました。
子ども達の様子をアルバム風に紹介したいと思います。

午前中、ジグザグ小道を登って、三角点までの散策。
生憎の曇り空で海は見えず。
台風の後ということもあり、倒木やぬかるみなどで少々歩きにくく、
下りは転がる大人も続出。
ちょっぴりサバイバル風の山登り、いい腹ごしらえになりました。

3歳やんちゃトリオ!
小さな体で山道をずんずん歩きます。
お兄ちゃん、お姉ちゃんに負けていませんよ~。



小さな子から大きな子まで輪になって相談中。
「なにしようか?」



倒木の周りでも遊びの輪が。
ある時は海賊船に、またある時は無人島に。
何もなくても遊びは生まれるんだなぁ。



スリル満点のターザンロープも大人気。
まるで空中散歩をしているかのよう。



午後まで存分に山で遊んだ後、里に下りて来た子ども達。
みんなで頭を寄せて何をやっているのかしら?
(仲良くべっ甲飴を作っていました)



おやつの時間。
山奥のアイス屋さん”よしだ屋”へ行く事に。
山道を歩くわが家の次男坊はいたってのんびりマイペース。
たどり着けるかしら?



”よしだ屋”に到着!
普通の民家の玄関先でアイスとジュースを買う事ができます。
「どれにしようかな~」



”里山遊び”では地域や年齢関係なく、
いろいろな人が集まって一緒に遊んでいます。
腕白、お転婆、大歓迎。
泣き虫や怖がりでも大丈夫。
新しい遊びに挑戦したり、仲間をつくったり、
子どもの好奇心の扉を開くきっかけになったら嬉しいなと思います。


                     母ちゃん
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「原発」県民投票・静岡、始まりました

2012年06月18日 20時47分41秒 | その他


梅雨入りし、ただいまアジサイの見頃です。
「原発」県民投票・静岡の署名期間が始まりました。
正式には、「中部電力浜岡原子力発電所の再稼動の是非を問う
県民投票条例の制定を求める」署名です。
今回、母ちゃんはこの署名を集める「受任者」となりました。

各地に原発が存在する日本ですが、静岡県にはどこの原発よりも
問題視されている「浜岡原発」があります。
御前崎市の海岸にある浜岡原発。
直下地震の確率が向こう30年で88%という、
いつ東海地震が起きてもおかしくない地に立地しています。
地震の際には高さ21mという津波が予想されており、
更に敷地内の地盤が非常に弱く、断層群の上を
冷却系配管が横断しているという事実。
そして風下には東京を中心とした大都市があり、20km圏内に東名・新東名、
新幹線などの大動脈が走っているのです。
今、もし東海地震が起こったら…。
考えただけで恐ろしくなる状況にあります。

県内の市町村では既に5/13~7/11の署名活動が始まっているのですが、
下田市では市長選挙が予定されていた為、
本日、6/18~の周回遅れのスタートとなってしまいました。
市長選挙も結局行われず、無投票となったのですが…。



2012年が明けてすぐに、東日本大震災で被災された知人の
お見舞いに行ってきました。
父ちゃんと母ちゃん、小3だった長男の3人で2泊3日、
車中泊しながらの旅でした。
岩手県花巻まで北上し、釜石に出て大船渡、陸前高田、気仙沼、
南三陸、石巻、仙台、名取、亘理と南下し、福島県に入る行程。

それまでテレビや新聞で見聞きし、理解しようと努力してきた
つもりでしたが、現実は想像をはるかに超えていました。
学校や住宅、商店、鉄道、道路のあったはずの町。
穏やかな日常があったはずの町が、跡形もなく消えている。
それが1つや2つの町ではなく、青森~福島の海岸線の数々の町が
もぎとられたように消えてしまっているのです。
凄まじい惨状に、発する言葉も見当たりませんでした。



上の写真は今から約7年前、長男が2歳だった時に訪れた
宮城県石巻市長面海水浴場での一枚です。
北上川の河口に位置する長面海岸は、
白い砂浜と松林が弓なりに広がる美しい海岸でした。
その長面地区は震災により地区全体が地盤沈下。
砂浜も松林も、ホテルも住宅も何もない、海になっていました。
そして海岸から車で5分ほどの北上川のほとりにある大川小学校では、
多くの児童が津波の犠牲となって亡くなりました。



その後福島県に入り、南相馬から先に南下する事ができなくなり、
飯館村を抜けて帰路へと向かいました。
「日本で最も美しい村」に認定されていた飯館村。
なだらかな丘陵が続き、冬、葉を落とした雑木林には
やわらかい陽の光が降り注いでいました。
かつて子ども達が駆け回り、
村人が稲作りや畑仕事に勤しんでいたのどかな村。
静まりかえった村の一角に人がいました。
小学校と思われる小高い丘の回りで、
白い防護服に身を包んだ人々が除染の為に落ち葉を集めているのでした…。
今でもその光景が頭から離れません。

放射能は目に見えないし、臭いもしない、体に刺激を感じることもない。
しかし人体へ計り知れない影響を与え続け、
土地へ降り注いだ放射能は留まり続ける。

東日本大震災を経験した私たち大人は
もっともっと考えなくてはいけないし、動かなくてはならない。
生き方に責任を持たなければならない。
本当に子ども達のことや、そのまた先に続く生命のことを思わなければいけない。

東北から帰ってきて半年。
息子は特別何も言わないし、私たちが聞く事もありません。
しかし感じるのです。
子どもは黙って見ている。
大人たちがどのように行動するかをじっと見ている、と。
だから、今できることはやらなければならない、と思っています。

                     母ちゃん
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初夏のわさび田

2012年06月07日 08時44分08秒 | わさび


今、収穫をしているわさび田、”庵ノ入(あんのいり)”は
山の一番奥にあります。
運搬用モノレールに収穫したわさびを載せて、山を下る父ちゃん。
緑に染まる山の中を降りていく姿は、景色に溶け込んでいます。

山のように積んだ荷物は重く、バランスを崩すと
荷物もろとも川へ落ちてしまうので、細心の注意が必要です。
川沿いを進みながら、途中、いくつもの小さな滝や橋を渡っていく…。
人工的に作られたジェットコースターよりずっと迫力満点です。



一方、母ちゃんは行きも帰りもひたすら山道を歩いていきます。
毎朝のように斜度のキツイ上り坂を歩くのは、まるでトレーニング。
野生のシカやイノシシ、ノウサギやリスに遭遇するのは日常的で、
この時期はヘビと出会う事も…。

じぃじやばぁばが若かりし頃は、山奥のわさび田の周りまで田んぼが広がり、
炭焼きによって山の循環が守られていました。
今では田んぼの名残の苔むした石垣があるだけ。
植林されたスギやヒノキがうっそうと茂り、
大雨による倒木や土砂崩れが起こり、年々、山道は酷い状態になっています。

そんな山で働く毎日。
わさび農家にとっては当たり前の日常なのですが、
都会育ちの母ちゃんにとっては今でも新鮮な体験です。
今やすっかり肉体労働者。
今日もわさび田へ出勤です。

                     母ちゃん
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