煌びやかな衣装を纏ったひな人形たちを眺めて気分が悪かろうはずがない。ひな人形はまた春の訪れを告げてくれるようにも思える。歴史ゆかしい「北海道開拓の村」の建物内に飾られているひな人形たちを見て回った。
※ 旧開拓使札幌本庁舎内には8組のひな人形が展示されていました。それを横から撮ったものです。
2月20日~3月21日までの間、「北海道開拓の村」で計23組のひな人形を展示していることを知った。特別にひな人形に関心があるわけではないが、旺盛(?)な好奇心の持ち主の私はちょっと覗いてみようと思い、昨日(29日)「北海道開拓の村」に向かった。(65歳以上は入村料が無料という特典も手伝って…)
この日は日曜日とあって、家族連れなど多くの人たちが開拓の村を訪れ、ひな人形に見入っていた。私は今回はともかくも全てのひな人形を見て回り、それをカメラに収めることだけを自らのミッションとして村内を歩き回った。それでは「北海道開拓の村」に展示されていた23組全ての雛飾りを紹介します。
まずは開拓の村のエントランスホールを兼ねる「旧札幌停車場」に飾られていた【昭和初期】のものと【昭和28年】製の「豆雛」を撮った。さらには売店のところで販売されていた「繭雛」もカメラに収めた。
※ エントランスホールを兼ねた「旧札幌停車場」の建物です。
※ ガラスケースに入った小型のひな人形です。
※ 繭玉を使用したお土産用の内裏雛です。
続いて、「旧開拓使札幌本庁舎」内に飾られていた【明治末】、【大正8年】、【大正10年】、【大正中期】、【昭和20年代】、【昭和21年】、【昭和30年】、【昭和32年】、【平成2年】の8組のひな人形を見た。
※ 旧開拓使札幌本庁舎の建物です。
※ 展示されていたひな人形の中で最も古い時代のものです。
次は、「旧来正旅館」に展示されていた【大正14年】、【昭和初期(年代不明)】の2組のひな人形が飾られていた。
その次は、「旧三〼河本そば屋」内に飾られていた【昭和29年】のひな人形で、実際に河本家で飾られていたものだそうだ。
隣りに建つ「旧武井商店酒造部」内には【昭和5年】、【昭和10年】、【昭和50年】と3組のひな人形を撮った。(本来は4組展示されていたようだが取り忘れた?)
少し離れたところに建つ「旧武岡商店」には【昭和2年】、【昭和9年】の2組のひな人形が展示されていた。
開拓の村内では少し離れたところに建つ「旧青山家漁家住宅」内には、青山家由来の1組のひな人形が飾られていた。
最後に、「旧松橋家住宅」内には【昭和29年】と松橋家由来の【昭和32年】の2組のひな人形と「雛軸」(絵入掛図)が展示されていた。
全てを回ってみて、時代によって多少の違いはあるものの、基本的に大きな違いはないように思われた。平成に入ってからは住宅事情など影響して内裏雛と三人官女のみとか、内裏雛のみという雛飾りも出回っているという。
また、内裏雛の並びは京都方式では 正面から見て左手に女雛が座るが、東京方式では左手に男雛が座っているそうだ。ただ、近年では大正天皇のご結婚の際に天皇が向かって左側に立ったことから東京方式が主流となっているそうだ。
また、現在では男雛をお内裏様、女雛をお雛様と呼んでいるが、本来はどちらもお内裏様というのが正式だそうだ。間違った呼び方が一般に流布してしまったのは、詩人のサトウハチローさんが「うれしいひなまつり」を作詞した時に、二番の歌詞で「お内裏様と お雛様 二人んで すまし顔 ……」と作詞した歌が全国的に広がったことが影響したと言われているそうだ。後にサトウハチロー氏がその間違いについて言及しているそうだ。
「ひな飾り」の全体像ばかり撮ってもつまらないと考え、ひな達の表情を大写ししてみたいと近寄ってみたのだが、内裏雛も三人官女雛も五人囃子の雛も、どれも同じように取り澄ました表情で面白味に欠けた。そんな中、唯一少し表情の違った雛を見つけることができた。それは「随身」と言われる内裏雛をお守りする警護役の雛である。比較的年齢を経た雛だったので作者も表情を変化しやすかったのかもしれない。最後にそんな随身の二人の表情を載せることにします。