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映画 シンドラーのリスト №297

2020-12-25 21:19:40 | 映画観賞・感想

  第二次世界大戦下、ヒトラー率いるナチス軍のホロコーストは凄惨を極めた。ナチス党員であり、自らの儲けだけを考えるシンドラーだったが、良心の欠片は残っていた。彼は自らの工場で働く1,200人のユダヤ人の命を救ったのだった。

        

 映画は1993(平成5)年に名匠スティーヴン・スピルバーグ監督によって映画化されたもので、去る12月16日BSテレビで放映された。

 第二次大戦物としてはずいぶん日時が経ってからの映画化である。やはり内容が重いだけに映画化を躊躇うものがあったのだろう。事実、スピルバーグ監督は監督のオファーがあってから映画化までに実に10年もの年月を要したということだ。

 映画はドイツナチ軍がホーランドに侵攻するすると共に、ポーランド系ユダヤ人を次から次へとゲットー(ユダヤ人隔離居住区)に送りこんだ。そこへナチ党員であり、実業家だったオスカー・シンドラーが、ユダヤ人が経営していた工場を安く買い取り一儲けしようと企んだ。ユダヤ人の安い労働力を使い、ナチ軍に取り入り、シンドラーは思惑通りに儲けていった。

 しかし、ゲットーを管轄するナチス親衛隊将校のアーモンド・ゲート少尉が赴任してから状況は一変した。ゲート少尉はユダヤ人をまるで虫けらのごとく扱い、彼らの命を残虐に奪い取っていった。その様子を見ているうちにシンドラーの心境に変化が生まれていったのだった。彼は自分の築いた財産をつぎ込み、彼の工場に勤務するユダヤ人の命を救おうと奔走するのだった。

    

   ※ 自ら工場で働くユダヤ人のリストを作成するシンドラー(リーアム・ニーソン)右側

 映画は1993年制作にもかかわらず、全編のほとんどがモノクロフィルムである。これはスピルバーグ監督が「戦争を記録したフィルムはモノクロだからその方が説得力があるだろう」という考えから採用されたという。その中でただ一人、ユダヤ人幼女が街を逃げ回る姿だけ赤い色調で映し出している。このことについてスピルバーグは「この時点ではホロコーストの事実は既に日常的なものとなっており、女の子の服の色ほど明らかなことだったため」とスピルバーグは語っているそうだ。私はピルバーグの言をイマイチ理解できていないが、モノクロの画面の中に唯一赤い点のように映るその場面はかなり印象的で観る者の心に残る効果はあった。

   

   ※ モノクロフィルムの中に、唯一赤い服を着た幼女の姿が強く印象に残ります。

 映画はシンドラーの英断によって救われる思いはするのだが、全体としては悲惨な事実を写し出す暗く重たい映画だった。

 シンドラーの戦後はけっして恵まれたものではなかったようだ。しかし、ユダヤ人にとっては命の恩人である彼のお墓はエルサレムの教会の墓に眠っているという。

 映画を観ながら、私は同様にユダヤ人の多くの命を救うことになった杉原千畝のことを思っていた。彼もまた、リトアニアの領事館において外務省の指示に背いて出国を希望するユダヤ人にビザを発行し続け、多くの人の命を救い「東洋のシンドラー」と称された人物である。

 今年最後の映画評は暗く重い映画が題材となってしまったが、私たち人間の醜い側面を描き出したこの映画を忘れることはできない。



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