ドヴォルザークの「新世界」はさすがに熟練が紡ぎ出す確かな音が魅力だった。ただ今回はゲストが多かったためか、アルカディアの演奏会というより、二人のソプラノ歌手のリサイタル的要素が前面に出たような印象を私はもってしまったのだが…。

一昨日(5月9日)夜、札幌コンサートホールKitaraにおいて第31回の札幌アルカディア室内管弦楽団のスプリングコンサートがあり、昨年に引き続いて鑑賞させてもらいました。
アルカディア室内管弦楽団はプロフィール紹介によると、プロフェッショナルとアマチュアが合同で結成している管弦楽団だそうです。団員は70名弱という大演奏陣ですが、比較的高齢の方も目立つ構成です。
昨年も言及したのですが、室内管弦楽団とは 比較的少人数の演奏者で成る団体で20名程度で構成される場合が一般的とされているそうですから、アルカディアの場合はオーケストラと呼称しても良いのではと思われるほどの大編成です。
さて、プログラムの方ですが、次のような構成でした。
《第一部》
◇J.シベリウス/交響詩「フィンランディア」
(讃美歌)北星学園女子高校聖歌隊
◇J.ホール/讃美歌 第496番 (讃美歌)北星学園女子高校聖歌隊
◇A.ドヴォルザーク/我が母が教えたまいし歌
◇J.ホール/讃美歌 第496番 (讃美歌)北星学園女子高校聖歌隊
◇A.ドヴォルザーク/我が母が教えたまいし歌
(ソプラノ)大友ひろ世
◇G.プッチーニ/歌劇「シャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」
◇G.プッチーニ/歌劇「シャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」
(ソプラノ)平野則子
◇F.レハール/オペレッタ「メリー・ウイドウ」より「ヴィリアの歌」
◇F.レハール/オペレッタ「メリー・ウイドウ」より「ヴィリアの歌」
(ソプラノ)平野則子
《第二部》 ~ハープとピアノの調べにのせて~
(ソプラノ) 大友ひろ世
(ハープ) 村上 直子
(ピアノ) 松下香推子
◇山田耕筰/からたちの花
◇F.メンデルスゾーン/歌の翼
◇A.トーマ/オペラ「ミニョン」より「君よ知るや南の国」
〈 休 憩 〉
《第三部》
◇A.ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」
第一楽章 アダージョ アレグロモルト
第二楽章 ラルゴ
第三楽章 スケルツオ、モルト・ヴィヴァーチェ
第四楽章 アレグロ・コン・フォーコ
〈アンコール〉◇滝廉太郎/隅田川
《第二部》 ~ハープとピアノの調べにのせて~
(ソプラノ) 大友ひろ世
(ハープ) 村上 直子
(ピアノ) 松下香推子
◇山田耕筰/からたちの花
◇F.メンデルスゾーン/歌の翼
◇A.トーマ/オペラ「ミニョン」より「君よ知るや南の国」
〈 休 憩 〉
《第三部》
◇A.ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調「新世界より」
第一楽章 アダージョ アレグロモルト
第二楽章 ラルゴ
第三楽章 スケルツオ、モルト・ヴィヴァーチェ
第四楽章 アレグロ・コン・フォーコ
〈アンコール〉◇滝廉太郎/隅田川

プログラムを見てお気づきでしょうか?アルカディア室内管弦楽団単独のステージは第三部のドヴォルザークの「新世界」のみなのです。
第一部の「フィンランディア」の前半こそ、アルカディアの演奏でしたが、後半は聖歌隊が入り、その次の讃美歌も聖歌隊がメインのような演奏でした。さらにその後の3曲はソプラノ独唱の伴奏といった趣きでした。
そして第二部は、紹介したように三者によるステージだったのです。
休憩時に私は「アルカディアの演奏を聴きにきたのに…」と思わず呟いていました。
そのお二人のソプラノですが、私は前日に北一条教会で声量豊かに美しくも力強いソプラノを聴いた後でしたから、いま一つ物足りなさを感じていたのも事実でした。もっとも、教会の大聖堂とKitarakの大ホールとでは、その規模が違いますから一概に比べることはできないとは思うのですが…。
救いは第三部のアルカディア単独によるドヴォルザークの「新世界より」でした。
この演奏では、アルカディアの良さを十分に汲み取ることができました。その第一は、弦楽器と管楽器のバランスが適度だったということがあります。アマチュアの管弦楽の場合、時として管楽器が耳障りに感ずることがあるのですが、アルカディアの場合はそのあたりに老練さを感じさせるバランスへの配慮があったように思われました。
「新世界より」は何といっても第四楽章のエネルギーに満ちた有名な旋律です。この曲は彼がアメリカに渡っていた3年間の中で作曲された曲だということです。故郷スラブの音楽を懐かしみながらも新大陸アメリカのエネルギーをも取り込んだよう力強い旋律が印象的です。
もちろん第二楽章のイングリッシュホルンによる故郷を懐かしむ旋律も、奏者の演奏の素晴らしさもあって十分に堪能できました。(後に「家路」と題名を付けられて有名になった旋律です)
一曲目のシベリウスの「フィンランディア」、そしてドヴォルザークの「新世界より」を聴くことができたことで、私はある程度満足して「家路」に就くことができました。