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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

桑園のいま・むかし

2012-09-26 23:00:43 | 札幌学 & ほっかいどう学
 地域の方から桑園の生き字引とも言われている丸岡勇氏の話を聴く機会があった。丘珠空港ビルで「地域歴史講座」が開催されたのだ。それにしても、「空港ピルでなぜ歴史講座を?」と思われませんか? 

 9月23日(日)丘珠空港ビルで「桑園のいま・むかし」と題する講座が開催されるとあって、桑園のことを学びたいと考え、地下鉄を乗り継いで丘珠空港ビルに向かった。
 会場は2階出発ロビーに隣接した集会室のようなところであった。思っていた以上に受講者がいて3~40名くらいいたのではないか。

 講師の丸岡氏は70歳を超えていると見られるが、桑園で生まれ育ち、その後も桑園にずっと住まわれている方と聞いた。
 丸岡氏のお話は題名どおり、桑園の現在と昔の姿を紹介するものだったが、私にとってはむろん昔のことが興味の対象であった。

          
          ※ お話をする丸岡勇氏ですが、パワーポイント使用中のため表情が写りませんでしたね。

 興味深かったことの一つとして、明治の頃の桑園地区はあちこちに湧出する泉(メム)があり、丸岡氏の言葉を借りると「じゃぶじゃぶだった」ということだ。そのため各所に池が存在し、釣り堀などもあったそうだ。特に現在の桑園駅近くのSCのイオンのところには大きな池があったという話も興味深かった。

「桑園」という地名の由来は、明治初期に開拓使が山形の旧庄内藩士に桑の木を植えることを奨励したことがその由来となっているそうだ。旧庄内藩士たちは明治8年6月から9月までの短期間のうちに現在の桑園の地に4万本の桑の木を植樹したそうである。
 ところが当時の桑園地区は前記したようにかなりの湿地帯だったために桑の木は大きく育たず、育てるのにかなり苦労したということだった。

 大正時代、桑園駅は札幌の物流の拠点として発展したそうである。札幌駅に隣接しているという地の利を生かした貨物ターミナルができ、引き込み線も多数あり、倉庫も多数存在していたということだ。
 また、鉄路は今のように高架になっていなかったことから事故が多発する踏切があったという話も今では考えられないことで興味深かった。

          

 まだまだいろいろな話をうかがえたが、私のような桑園新参組にとってはいずれもが興味深くうかがえた。これからも機会があればうかがってみたいと思った。

 ところで、「空港ビルでなぜ歴史講座を?」という疑問だが、丘珠空港ビルではビルの2階の一角に「札幌いま・むかし探検ひろば」というコーナーを設け、札幌のまちの歴史を紹介している。それと併せて、定期的に「地域歴史講座」を開催しているということだ。その一環として「桑園のいま・むかし」講座が開催されたということである。
 関係者によると、丘珠空港ビルの利用者を少しでも増やしたいという空港ビルの工夫の一つということだ。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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空港ビルの講座 (ちゃんこま )
2012-09-27 07:50:20
 空港ビルでの講座。本当に場所が珍しい。それも歴史講座とは。
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