札幌市内には映画館が最盛期(1980年代末)には20館もあったという。さらには同じ1980年代、中央の影響を受け小劇場によるアングラ演劇も盛んに上演されたそうだ。その象徴が「駅裏8号倉庫」だったという。

少し時間を置いてしまいましたが、2月27日(木)午後、北海道立文学館で「札幌の映画と演劇 展示解説講座」なるものが開講され、受講してきました。
北海道立文学館では現在、「札幌の映画と演劇~80年代を中心に~」という展示会が開催されているのですが、その展示解説を同館の浦島七那学芸員が解説するという講座でした。
札幌の映画館に関する推移は、1952(昭和52)年にGHQの映画検閲が廃止されたことで映画産業が勢いを増したことに伴い、札幌においても映画館が急激にその数を増しました。多い時では1955(昭和30)年には一年間で10館の映画館が開館したそうです。

しかし、映画のブームはテレビの登場によって長くは続かなかったようで、今回の講座で焦点をあてた1980年代がそのピークだったとのことです。
ただ、大スクリーンでの映画が斜陽となる中、インディーズ系やアート系の作品を上映するミニシアターが一種のブームとなっていったそうです。
札幌市内20館の中の一つ須貝ビル(最近まで存続していました)には、大スクリーンの他に10館ものミニシアターが集中していた時代もあったそうです。
そうした流れを引き継いでいるのが、現在の「シアターキノ」のようです。事実、館主である中島洋氏は、その頃からミニシアターに携わってきた方だということです。

現在の札幌市内の映画館はシアターキノを含めても全5館ですから、昔日の感があります。もっともシアターキノ以外はシネコン方式ですから、一概に比較はできませんが…。
一方で、演劇シーンも1980年代は活発に活動を展開した時代だったようです。中央において通称「アングラ演劇」という実験的で前衛的な劇団が続々と誕生したそうです。
「駅裏8号倉庫」、「スペース・アルテノ」、「札幌本多小劇場」、「琴似日食倉庫コンカリーニョ」、江別の「ドラマシアター・ども」等々…。(「琴似コンカリーニョ」、「ドラマシアター・ども」は、現在もその名を継いで現存していますね)
その象徴的な場所となったのが「駅裏8号倉庫」だと言われています。
「駅裏8号倉庫」は、劇団53荘が公演場所兼稽古場を探していたところ、拓殖倉庫所有の札幌軟石造り、45坪の倉庫が見つかり、そこを「駅裏8号倉庫」と命名して1981(昭和56)年にオープンしたそうです。しかし、その倉庫は翌年鉄道の高架化工事で撤去が決まっていたため、わずか一年で閉館の憂き目に遭ったそうです。しかし、メンバーは諦めずに近くにあった倉庫を借り「第2次駅裏8号倉庫」を1983年にオープンし、1986年まで活動したということです。
「駅裏8号倉庫」は、演劇に限らず、映画上映、音楽ライブ、さらには詩の朗読、フリーマーケット、政治討論会などジャンルを超えて幅広い用途で使用され、80年代におけるサブカルチャーの中心的存在だったそうです。
こうして聴いてみると、札幌の1980年代というのは、ミニシアターや小劇場が乱立し、混然一体となった状況だったのかもしれません。いわば資本のある大手ではない、誰もが手の届くところに映画や演劇というものがあって、そこに関わろうとする人たちのエネルギーに満ち満ちていた時代だったようです。
ミニシアターの方は残念ながら「シアターキノ」が存在するだけですが、演劇の方は現在も「札幌演劇シーズン」という形で、その空気が脈々と受け継がれているようにも思います。
いや~、札幌にも熱い時代があったのですねぇ~。
なお、北海道立文学館で開催中の、「札幌の映画と演劇~80年代を中心に~」という展示会は3月23日まで常設展示室で展示されているそうです。興味のある方はぜひどうぞ!