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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

道民カレッジ「まなびカフェ」顛末記

2024-08-02 15:41:44 | その他
 人を前にして “授業をする” をするのは何年ぶりだろうか? この度、北見市と帯広市に出向いて2時間の授業をさせていただいた。しかも対象は子どもではなく、大の大人である。緊張しながら務めを果たさせていただいた。    
    
       

 すでに拙ブログでレポしたように7月17日に北見市で、昨日帯広市で道民カレッジの「まなびカフェ」の講師を務めさせていただいた。
 「まなびカフェ」のねらいについて詳細を紹介するのはいろいろ支障があるようなので、募集リーフレットの文言を転写すると「道民カレッジでは気軽に行けて、暮らしが少し便利になる学びがあって、学び方は一人ひとりのペースを大切にされる誰かや何かに出会えるかもしれない。そんな、あたたかみのあるカフェのような学びのスペースをあなたのまちで開催します!」と謳って開催されたものである。

  
    
    ※ 今回の「まなびカフェ」の会場となった「とかちプラザ」です。

 そして「学ぶ内容は小学校~中学校の範囲です」となっている。教科としては、国語・算数・社会の3教科が取り上げられ、3人のスタッフで対応することとなった。私はその中の国語を担当することを依頼された。
 私が担当するのは各所で2時間ずつである。受講生のことがほとんど分からぬ中で、指導内容を検討することが大変だったが、道民カレッジのスタッフと相談のうえで、①「図書館へ行きましょう!」と②「俳句を作ってみましょう!」の二つの指導案を作成することにした。
 今回、その中で「図書館へ行きましょう!」をテーマとした授業を行った。このテーマを設定したのは、私が知り合いなどに取材したところ、意外に図書館へ行ったことがない人、あるいは図書を借りたことのない人が多かったことがあったのだが…。

    
    ※ 8名の受講生を前に講義をする私です。

 しかし、結果として今回受講された方々は、こうした学びの催しに参加しようという意欲のある方々だったために、ほとんどの受講生は図書館を訪れたり、図書を借りたりした体験のある方々だった。そこで私は急遽、その予定を変更して「図書館を利用した目的や体験談」をお話していただき、交流を図ることにした。皆さんそれぞれ積極的に体験談をお話いただき、お互いの交流ができたかなと振り返っている。
 そして最後には私の図書館を利用した体験談、あるいは図書の借り出し方法をお話させていただき、最後に「友人や知り合いの方々に、図書館を利用することをお勧めください」とお話し、講座を締めた。
 今回の帯広市の講座では、この後に私が思ってもいなかったサプライズが用意されていた。それは道民カレッジのスタッフが、私の講義内容をその場で模造紙に逐一、絵や図形、文字などを用いて記録していたのだ。これは「グラフィックレコーディング」という手法だそうだ。スタッフは私の授業後、私の授業内容を効率的に振り返ってくれたのだ。この手法は講義の要点や結論が可視化されるので、文章のみの情報より分かりやすく、印象に残りやすいと最近注目されている手法だそうだ。

    
    ※ 私の講義の内容を可視化してくれたグラフィックレコ―ディングの図です。

 私の講義が思わぬ形で、受講者の方々により刻まれることになったとすれば望外の悦びである。
 次回、「俳句を作ってみましょう!」も、しっかり準備をして受講者の皆さんに喜んでいただける内容にするべく準備をしたい。

道民カレッジ「まなびカフェ」 in 帯広

2024-08-01 23:13:50 | その他
 過日の北見に続いて、本日は帯広において「まなびカフェ」の講師を務めてきた。僅か45分間の授業だったが、8名の受講生と有意義な時間を過ごすことができ、身体は疲れたが充実した思いで帰宅することができた。

    
    ※ 授業をする様子を担当者に撮ってもらいました。

 本日朝、7時15分に家を発って、先ほど20時45分に家に帰り着いた。
 7月17日に北見市で講師を務めたのに続いて、本日2度目の講師を帯広市で行ってきた。
 内容的には北見市と同じ内容だったが、2度目とあって少しは落ち着いてできたかな?と振り返っている。とはいっても、本日ここで詳しく振り返るには身体が疲れすぎている。
明日、その詳細について振り返ることができればと思っている。
とりあえず今はホッとして眠りに就こうと思う。

似顔絵

2024-07-30 16:10:44 | その他
 う~ん。モデルとなった私としては「なかなか特徴を捉えているかなぁ…」と納得せざるを得ないかなぁ…。さあっ、さーっと、描いた孫娘の似顔絵だったが、彼女のリクエストに応えて拙ブログに掲載することにした。

    

 昨日、久しぶりに我が家で息子と一献傾けることにした。その際、夏休みに入った孫娘二人も同席した。
 近況を語り合いながら、それぞれ食事を楽しみ、一息ついたところで下の孫娘(小学生)がどこから持ち出したのか、スケッチブックを片手に私の横に座った。
 するとペンを片手に私をスケッチし始めたではないか!孫娘が画を描くのが得意などとは聞いていなかった。ただ、我が家に来たときには何やら漫画チックな画を描いていたような気がしてはいたが…。
 それほど時間もかけずにさあっ、さーっと描いた私の似顔絵はなんとも私の特徴を良く捉えているようにも思えた。私は敢えて感想は伝えなかったが…。
 ところが孫娘は自分が描いた似顔絵に自信を持っているようだった。
 「じいちゃんのブログにぜひ載せてほしい」と要請してきたのだ。彼女はどうやら私のブログに時折りアクセスしているらしい。これは爺ちゃんとして彼女のリクエストに応えねばならないかな?ということで本日の投稿は孫娘が描いた私の似顔絵を投稿することにした次第である。〇〇、爺ちゃんは約束を果たしたよ!
 何でもありの拙ブログの面目躍如の本日の投稿である。

北海道初!公立夜間中学校「星友館中学校」訪問

2024-07-13 08:31:10 | その他
 北海道内に中学校未卒者が58,000人余りもいらっしゃるとは!?自分の不明を恥じるばかりだった。関係者の長年の願いが叶って、一昨年(2022年)北海道で初めての公立夜間中学校「星友館中学校」が開校されたが、この度同校を訪問する機会を得た。

    
    ※ 星友館中学校の入学案内パンフレットです。

 7月11日(木)の夕刻、市立資生館小学校内に併設する形で開校した札幌市立の夜間中学校「星友館中学校」を訪問・見学した。
 この催しは、私が所属する退職組織が年1回催す研修会の研修先として、今年は「星友館中学校」が対象となったために訪問することができたのだ。
 研修会は学校長による学校の概要説明と、実際に1時限目の授業の様子を参観する形で実施された。

   
   ※ 学校長の説明を聞く、退職組織の会員の方々です。

 私は以前に「遠友塾 自主夜間中学」も訪問した体験があった。しかし、学校長のお話を伺うと、「遠友塾」とは似て非なるものであることが分かった。
 公立夜間中学校とは、学校教育法で定める昼間の中学校と同じ中学校であるという点である。「遠友塾」の方は、民間の方々によって生徒の実状などに応じ、様々な形で授業を実施しているのとは基本的に違うことを知らされた。(例えば「遠友塾」は週1回の登校だが、公立中学校は毎日週5日登校するというように…)
 ただ生徒の実態は実に様々、多岐にわたるため教科指導は生徒の実態に沿って習熟度別に学年の壁を崩し、たくさんのコースを用意しているという。ちなみに星友館中学校では7コースが設けられていた。学年別・学級別に実施するのは「道徳・学活・総合」などだけだそうである。
 時程は17時30分までに登校し、40分授業で毎日4コマの授業がある。その間、給食時間もある。下校は4時間を終えた21時になるとのことだ。
 現在、星友館中学校には7月現在で113名が在籍していて、10代から80代までの生徒が通学しているという。このうち101名が札幌市内から、12名が札幌市外から通学しているとのことだが、市外の方は札幌市と覚書を交わした近郊の12市町村の方が通学可能となっているとのことだった。
 教職員も正規の教員などが校長、教頭をはじめ17名(養護教諭、事務職員を含む)が配置され、さらには時間講師7名、そして生徒の学習をサポートするボランティアが40名登録されているなど手厚く生徒たちの学習を支えている。
 学校長の丁寧な説明を聴いた後、17時30分から始まった1時限の授業の様子を実際に見て回った。校舎として併用している資生館小学校はとても余裕ある造りをしているため、中学校の教室は小学校とは別の教室に大人用の大きな机が用意されて授業を受けていた。
 授業は前記したようにコース別に授業が展開されていたが、そのレベルは様々だったが、生徒たちは老若男女が机を並べ、ほとんどの生徒たちは真剣に学んでいた。

    
    ※ 資生館小学校の前には「星友館中学校」の校名も加えられていました。

 素晴らしいなぁ、と思えたのは先生たちが教材研究をしっかりされて授業に臨んでいること伺えたことだ。学校全体が学校長を始めとして全体で新しい学校づくり取り組んでいることが窺えたことは嬉しかった。
 さまざまな事情で中学年代に学校に通えることができなかった中年、老年の方。そして、形式的には中学卒業はしたもののほとんど学校に通えなかった10~20代の若者。そうした方々が一人でも多く「星友館中学校」で学び、学ぶ楽しさを体得して中学校を巣立ってほしいと願いたい。

ボゴールパインを試してみたが…

2024-06-14 17:05:00 | その他
 “スナックパイン” として人気だというボゴールパインを試してみたが…、どうも私にはイマイチだったかな? 「ちぎって食べられる」ということが “スナックパイン” の命名の由来のようなのだが…。

 私の諸事情により話題に事欠いてしまい、少々古い話題を持ち出してしまうことになり恐縮です。
 先週6月5日のことであるが、北海道新聞にコンビニのセイコーマートが   「石垣島からANA便で空輸したボゴールパイン(スナックパイン)を道内60店舗で限定販売する」という記事が掲載された。
 珍しもの好きの私は、早速セイコーマートの本部に問合せし、取扱店を訪ねたところ幸いにも自宅近くのセイコーマート店で扱っていることが分かり、いち早く駆け付けて買い求めた。(確か一個税込み980円だったはずだ)

    
    ※ 購入したボゴールパインですが、まだ熟れ切っている状態ではないようです。

 私はかなりの果物好きを自認している。家にはいつも何らかの果物があることを妻にはお願いしている。ところが果物はご存じのようにけっこうな価格なので、我が家のような家計ではいつも果物があるという状況を保つことはなかなか難しい。
 そうした中、パイナップルはかなり格安な果物である。フィリピン産のパイナップルだと1玉300~400円程度で購入できる。これを食するのが私一人なので、少なくとも4~5日は楽しむことができるのだ。今が旬のサクランボなどは400gで1,500円前後もするが、私にかかると一晩で食してしまう。
 ということで「ボゴールパインって、どこが違うの?」という興味もあり購入してみたのだ。いつものパイナップルの場合は妻が手早く、上手に外側の皮の部分を除いて一口サイズに切ってくれるのだが、今回は動画を参考にしながら私が処理することにした。
 ボゴールパインの場合はお尻の部分を切り落として、その後は皮の部分の溝に指を入れ、一つ一つちぎるようにして全体から取り出すのだ。これが考えようによって楽しい作業とも思えるが、私にはけっこう時間のかかる大変な作業だった。さらには、この作業の最中に果汁がずいぶん無駄に流れるのが気になった。

    
  ※ 私が手でちぎったボゴールパインです。左側には茎の部分を小切りしたものです。

 さて、食する段階であるが、確かに一口サイズの大きさは「スナックパイン」と称されるのに相応しいのだが、どうも私には物足りない思いが付きまとった。通常のバインを食した時のような食べ応えのようなものを感ずることができなかったのだ。
 後から撮った写真をあらためてみると、青い部分が目立ちあるいは収穫時期が尚早だったのでは?という疑問や、私自身の処理の仕方が未熟だった点も考えられるが、ボゴールパインの初体験はイマイチだったなぁ、というのが正直な感想である…。

目まい

2024-05-24 21:44:41 | その他
 朝から目まいの症状が続き、通常の生活ができないでいる。予定していた札幌学院大のコミュニティカレッジの最終講義を止む無く欠席してしまった。
 妻は「昨日の疲れが原因ではないか?」というが、私の中でそれほど疲れたという実感はないのだが…。
 今日は一日中ベッドの中で過ごす羽目となった。食事もまったく摂っていない。

         

 先ほど夜8時過ぎになって、やや症状が軽減したかな?との思いからベッドから抜け出し、なんとかブログの原稿を叩いている。
 目まいの症状というと、2009年の11月にやはり一度発症しているが、それ以来である。その際はブログの連続投稿を諦めたのだが、今回はそれほど酷い症状でもないため、こうしてなんとか今日の投稿をすることができた。
 安心はできないが、ともかく養生に務めたいと思っている。



5月6日は私のブログ記念日

2024-05-06 18:32:27 | その他
 私のブログの事始めは2006年の5月6日である。以来、昨日で18年が過ぎ、本日は19年目の初日となる。我ながら長く続いてきたもんだなぁ…、と一人感慨に耽っている。この際、私なりに18年間を振り返ってみたい。

 実は私にはブログ記念日というものが3回ある。一つ目は文字どおり最初の投稿をした5月6日である。
 二つ目は、「毎日欠かさず投稿しよう!」と決意して連日投稿を開始した2008年の1月14日である。
 そして三つ目は、順調に連続投稿を続けていたのだが原因不明の病を発症し、当時勤めていた第二の職場を欠勤しなければならない事態となった。勤務を欠勤してまでブログを投稿するという不謹慎なことはできない。止むを得ず出勤できるまでの4日間投稿を諦めた。それが2009年11月13日~16日までの4日間だった。そして2009年11月17日に再開以来は、今日まで連続投稿を続けてくることができた。その日数を計算してみたところ本日現在で5,285日と出た。実に14年以上にわたって1日も休まず投稿を続けてきたことになる。したがって第三の記念日は11月17日ということになる。
 この5,285日の中には、2度の海外旅行中(アメリカ・カナダとニュージーランド)も現地から発信を続けた。また、パソコンが故障してしまいネットカフェのパソコンから投稿したこともあった。
 さて、こうして続けてきたブログ投稿だが、私がいつも気にしていることは「アクセス数」である。そんなこと特に気にはしていない、という方もおられるだろうが、私は自分の投稿をどれだけの人が見てくれているかは大いに気になるところである。だから、私はブログ開設以来、ずーっと記録を取り続けている。私が気にしているのは、閲覧数(PV)ではなく、訪問者数(UU)である。つまり、投稿した日に何人の人が私のブログを訪問してくれたか、に注目している。
 その記録を私は高橋書店の「3年卓上日誌」に記録している。卓上日誌には併せて投稿したブログのタイトルも記録し続けている。
     

 そうして記録した一日当たりの訪問者数の変遷が次の表である。  
  
   
 ブログを開設した当初は順調に右肩上がりで年毎に訪問者数が増えていたが、2021年頃から伸び悩み始めた。それが今年に入って訪問者数が今のところ1,000人を超える数を記録している。(2024年は4月末現在の数字です)文章が主の地味な拙ブログだが、これほどの人たちがアクセスしてくれていることを素直に喜んでいる。
 1日平均が今のところ1,000人を超えたことでこれ以上は望まず、これからも地道に発信を続けていきたいと考えている。いつまで、そして何歳まで続けることができるか分からないが、できうる限りこれからも続けることができればと思っている。
 ブログ記念日を迎えて、ブログを発信し続けたことによる様々な思いについても言及したかったが、本日のところそのことに言及するまでのエネルギーがない。いつかまた、拙ブログのことについて振り返る機会を作りたいと思ってる。

山口百恵と大谷翔平

2024-05-01 19:17:28 | その他
 二人は一見どこにも繋がりなどないように見える。ところが私の中では突然のように二人が繋がって見えてしまったのである。そんな “とんでも話” を綴ってみたい。お付き合いください。

 大谷翔平…、今や飛ぶ鳥を落とすほどの勢いでアメリカ大リーグのドジャースで大活躍中である。彼の一打一打(今シーズンは一投一打と記せないが、来シーズンはそれも可能となる?)に日本中が一喜一憂していることはテレビの報道からも伝わってくる。もちろん私も彼がヒットを打った、ホームランを打った、と見たり、聞いたりしたときは心から嬉しくなってくる。彼の活躍は間違いなく私たち日本人を幸せにしてくれていると思う。

   
   ※ エンゼルスレッドも良かったが、ドジャースブルーがよく似合う大谷翔平です。

 今や大谷翔平という名は、日本ばかりでなく、アメリカにおいても最も有名な日本人となっているのではないだろうか?それは、彼が野球人として超一流というだけではなく、人間としても素晴らしい振る舞いが誰からも愛される大きな要因だろう。例の水原通訳の問題で大ピンチに陥ったが、今やそれすらも乗り越えて大活躍中である。

    
    ※ 昨年のWBCでもサムライジャパンの主力として大活躍の大谷翔平でした。

 一方の山口百恵であるが、彼女が光輝いたのは1970年代の8年間だけであり、結婚と同時に芸能界をスパッと引退したので、彼女と同時代を生きたのは我々おじさん・おばさん(いや、お爺さん・お婆さん)世代しか知らないかもしれない。
 彼女はその生い立ちもあり、他のアイドルようにキャピキャピした明るさだけではなく、どこか翳のある表情が魅力的だった。そんな彼女の主なヒット曲を並べてみると、「としごろ」でデビューし、その後「ひと夏の経験」、「横須賀ストーリー」、「イミテーションゴールド」、「秋桜」、「プレイバックPart2」、「いい日旅立ち」などが思い浮かぶ。

     
     ※ デビュー当時のまだあどけない表情の山口百恵です。

 特に私は「秋桜」以降の後半に出された曲目に注目した。「秋桜」のしっとりとした情景を歌ったと思うと、「プレイバックPart2」では暴走族のお姉さんが突っ張り少年とやり合うという真逆のキャラクターを何の違和感もなく歌いこなす彼女の力量に驚いたものだ。おそらく当時の山口百恵を見る日本人の多くは彼女のことを好ましく見ていたのではないか?ちょうど今、私たちが大谷翔平を見るように…。
 彼女の「秋桜」を歌うユーチューブのコメント欄に次のようなコメントが載っていた。
「彼女はある領域やジャンルを超越していた人なので、大人っぽいとか綺麗だとか歌が上手いとかそういう評価を遥か超えて、神々しい感じです」まさに当時の日本人の山口百恵を見る目を代表するような言葉である。

   
   ※ すっかり女性の魅力もそなえた後半(といっても20歳前後)の山口百恵です。

 彼女が結婚を機に一切マスコミの前に姿を現さなかった潔い生き方も、また多くの日本人の共感を呼んだのではないか?彼女は間違いなく、歌手という領域にとどまらず多くの日本人にある種の幸福感を与えてくれた人だった。
 対して、現代を生き、今の日本人に幸福感を与え続けてくれている大谷翔平はどこまでその活躍の幅を広げるのだろうか?彼の一挙手一投足を追い続けたいと思う。

 昨日投稿した「市民バンドフェスティバル」の合同演奏で聴いた「ジャパニーズ・グラフティⅨ~いい日旅立ち~」から恐ろしく発想が飛んでしまった。しかし、本日の投稿は私にとっては幸福感を感ずることのできたひと時だった…。

夢を喰う獏(バク)でありたい

2024-04-01 15:51:56 | その他
 他人は私のことを何でも喰らう “ダボハゼ” のようだと囁いているとか?いないとか? 確かにそういえるかもしれないのだが、“ダボハゼ” は酷いではないか。私は自らのことを、夢を喰う “獏” でありたいと思っているのだが…。

 今日から新年度である。
 すでにリタイアして久しい自分にとっては特に感慨を覚える日ではないのだが…。現職時代は、新しい年度になると新たに転入した職員との出会いがあり、さらには新しい子どもとの対面もあり、清新な気持ちで一年のスタートを切る日であった。
 そうしたことと縁遠くはなったものの、シニアの生涯学習グループ「めだかの学校」の代表を担っている私としては、やはり新年度からは新たな学習計画による学習が始まるという意味では改めて気を引き締めねばと思っているところである。
 というわけで、いつものブログとは一線を画し、少しだけ新たな気持ちでブログを綴ったみたいと考えた。
 私の現在の日々は、拙ブログをご覧になっている方には容易に想像が付くのではと思われるが、日々あちらこちらへ出かけ、講演や講義を聴いたり、ステージを楽しんだり、はたまたどこかへ出かけたり、と脈絡のない生活を送っているように見えるかもしれない。その様子が “ダボハゼ” に見えるかもしれないのだが…。
        
 しかし私の中では一見脈絡のない日々ではあるが、私が実践している一つ一つのことに私はいつも新鮮な刺激を感じている。そしてその新鮮な刺激を一文にまとめることで私の中での小さな一つ一つの蓄積が、やがて大きな実りになっていることを実感もしている。
 そしてそれは私の中では一つの “夢” へと繋がっていると思っている。
 その “夢” とは…。
 人生のゴールが視野に入ってきた今、それがいつか本当のゴールとなった時に「いい人生だったなぁ…」と心から自らに云える自分でありたいと念願しているのだ。さまざまな ことを見聞し、体験することで新鮮な驚きや喜びを感じ、それらが自らの中に蓄積していくことに大きな充足感を感じている昨今である。

    
 人生のゴールが視野に入ってきた…などと記したが、実際には「まだまだ先のこと…」とも思っている。
 私はできればこれまで以上にアクティブに夢を追い続けたいと思っている。夢を喰う獏(バク)のように…。そしてその先に、さらに大きな “夢” を夢見ているのだが…。
 えっ?その “夢” とは?? いや~、それは秘密としておきましょう…。

 年甲斐もなく、青臭い表現となってしまいましたがご容赦ください。

年賀状

2024-01-02 13:05:22 | その他
 今年も知人、旧友などからたくさんの年賀状が届いた。懐かしさがこみ上げる。昔の旧友との一コマが走馬灯のように蘇る。年賀状不要論が姦しいが、私は日本人の良き風習としてこれからもできるだけ続けていこうと思っている。
     
 デジタル時代となって年賀状による交換が激減しているという。しかし、アナログ人間を抜けきれない私にとって、やはり年賀状は特別なものに感じている。日常において交流が途絶えた知人や旧友から届いた年賀状を目にすると知人・友人の健在を安堵するとともに、昔日の交流を思い出す機会となっている。
 さて、私の方から知人・友人に届ける年賀状であるが、物心がついた頃から私自身の近況を伝える文章を加えたものにするように心がけてきた。私の健在を伝えるとともに、近々の一年間の中からトピック的なことを伝えることを心掛けてきた。
 今年の場合は、ある意味淡々と近況を伝える内容となった。友人・知人はこの文章から何を感じてくれるだろうか、と思いながら…。
 冒頭の年賀状の写真からは文章が読みづらいかと思われるので、文章のみを再掲することにする。知人・友人に届ける年賀状をブログ上に公開するとは露悪的なことかもしれないが、内容的にはブログ上で交友を図っている方にも届ける意味で敢えて公開することにしたことをご理解いただけたらと思います。

   あけましておめでとうございます!!
 昨年も悲喜こもごものニュースが飛び交った一年でしたが、あなた様にとりまして昨年はどのような一年間だったでしょうか?
 私たちはおかげさまで年老いた体を労りながら無事に一年間を過ごすことができました。妻は歩数計を片手に、街まで徒歩で往復して買い物に出かけ健康を図っています。私も負けじと様々な講座やステージを追いかけ積極的に戸外へ出向き歩数を稼いでいます。しかし老いは確実にやってきています。妻ともどもマンション内の有志と続けてきた道立近代美術館前の清掃ボランティアも14年が経過しましたが、今年が最後かなぁと思案しているところです。
 今年もまた無事に一年間を乗り越えたいと祈願しているところですが、あなた様にとりましても今年一年が健康で、幸せに満ちた一年間でありますように願い新年のご挨拶といたします。